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フジロックを批判する「痛いニュース」私見

2021年08月28日 | 日記

500字2回でマストドンに書いたことをこちらにまとめておこう。まとめるならもう少し論理性を高めるよう書き直したい気もするが、まあ、言いたいことは言えたと思うので、2投稿続けてそのまま貼るだけにしとくか


痛いニュース
「フジロック開催、国から支援受けていた…3日間で9000万円補助」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2010074.html




この時期に観客を集めて開催したことの是非については、僕もフジロックに全面的な賛成はしない

しかし、それはそれ単体で批判すべきだ

「オリンピックが感染を拡大した」という言説の正しさと、それがどこで発言されたかは関係ない。オリンピックを正当化したい人間が、正当化のためにフジロックを批判するなら、それは誤りだ。答えは「どっちもダメ」。フジロックを批判するならオリンピックも批判しなければ整合性はない

そして、このリンク先で支配的な「政府の補助金で政府批判をするな」は、根本的に誤っている

権力を掌握し国中から金を集める存在には、金を出して人々に言論の場を構築する責任がある。それが「言論の自由を保障する」ことだ

言論の自由の第一義は個々の言論に介入しないこと。しかし、それだけでは言論の自由は保障されない。より積極的な補助がなければ、言論の場は生まれない。政府は、不介入に加えて、金を出さねばならないんだ

政府の関与した場では政府の批判が許されないなら、そこに言論の自由はない


もちろん、あらゆる表現者に対して国が補助しなければならない、なんて理屈はない

表現に対して介入しないという形の自由の保障とは違い、公金を支出して補助する以上、「誰を補助するか」については政府の裁量が存在する

その裁量権の存在が、「国の金を使って国の批判をすることは許されない」と言い張る人間の実質的な根拠だろう。しかし、それは根本的に誤っている

その裁量の本質は、「誰に金を出せば、より、文化が発展し、芸術的価値を奨励することができるか」という判断であり、そうでなければならない。その判断には、積み重ねられてきた文化的歴史的価値に基づくものでなければならないという制約があると同時に、その価値を一義的に決める資格は、国といえど有していない

まして、政府にとって都合のいい言論だけに金を出すことなど許されない。芸術的文化的価値の判断に一定の裁量があるとしても、言論内容を判断要素とすることは完全な他事考慮であり、言論の自由の侵害であるとともに、裁量権の逸脱となる

もしフジロックの出演者に音楽的価値がないと言うなら、ただの馬鹿だ