【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =014=

2017-06-02 06:14:53 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ 研究課題との縁 = 1/3= ◇◆

 人と人との出会いに縁があるように、おそらく研究者と研究課題との間にも縁がある。 そして、それは往々にして、人知を超える不思議なものであり、たとえ何十年の時を経たとしても、縁があれば両者は引き寄せられる。

 私にとって、大ピラミッドの内部構造の研究は、まさにそういったものだった。 連載の第1回に書いたように、古代エジプトに興味を持ったきっかけは、ピラミッド内部の空間を探すテレビ番組を10代の頃に見たことだったが、それから実に四半世紀以上経ってから、その謎に自分が挑むことになるとは想像だにしなかった。 (参考記事:前記「ピラミットの発掘調査への長い道のり」)

 もちろん、ピラミッドを造った労働者の町「ピラミッド・タウン」の発掘や他の遺跡の調査をしながらも、いつかピラミッド自体について研究することになるだろうとは思っていた。 しかし、それを行うには、ほんとうに多くの出会いや経験や学びを得なければならなかったのだ。

 そして、歴史に「もし」はありえないが、一つでも条件が変わっていれば、この研究課題に挑むことはできなかった。 それらは、テレビ番組「世界ふしぎ発見!」への予定外の出演であり、2011年のエジプト革命以前であれば絶対に下りなかったピラミッド登頂の許可が下りたということであり、番組の映像を特別に利用させてもらえたということであり、さらに、そもそも3D(3次元)計測調査を行う産学チームを編成していなければ、映像から3Dデータを生成しようというアイデアは浮かばなかっただろう。

3次元から2次元へ

 前回書いたように、関西大学のチームは大ピラミッドの内部構造の手がかりを得るために、Structure From Motion(以下SFM)という技術を用い、「世界ふしぎ発見!」のクルーが撮影した映像から、「窪み」と「洞穴」の3Dデータを生成することに成功した。(参考記事:前記「3Dモデル作成、舞台裏の奮闘」)

 その3Dデータを考古学研究に使うためには、そこから2次元の平面図や立面図を生成する必要があった。 しかし、3次元の世界を2次元に落とし込むのは、実は、容易なことではなかった。

 通常3Dデータは、パソコンの画面上で3D画像をぐるぐる回せば、その構造を直感的には理解できる。 しかし、論理的に構造を理解するためには、真横や真上から見た図面が必要で、なおかつ形状の特徴を表す「尾根構造」や「谷構造」、そして「奥行き」などの情報が必要となる。 しかし、こうした情報は2次元では表現しきれず、特に奥行きが曖昧になってしまうのが大きな問題だった。

 大ピラミッドの窪みと洞穴の3Dデータを考古学研究に活用するためには、この問題を解決しなければならなかったが、ぐずぐずしていると、「内部螺旋傾斜路」説を唱えたフランスの建築家ジャン=ピエール・ウーダン氏のチームも、窪みと洞穴の映像を独自に撮影しているため、彼らに先を越されてしまう。 私たちはPEAKITという特別な技術を用いて、この問題の解決に当たることにした。

=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(4) =階段ピラミッド&屈折ピラミッド=

階段ピラミッドはピラミッドの最初の形態で、紀元前27世紀、第3王朝時代サッカラに、宰相イムホテプが設計し、ジェセル王が築いたジェゼル王のピラミッドがその始まりである。当初は日干し煉瓦による方形のマスタバとして建立され、ピラミッド状とすることは想定されていなかったと考えられているが、幾度もの試行錯誤の末、次々と上部に煉瓦を積み上げて最終的には階段状の巨石建造物と成した。

一度階段形態が完成した後も、追加して拡張が成された。完成時の寸法は東西約121m、南北約109m、高さ約60m。このピラミッドは後世に巨大な影響を及ぼし、以後はそれまでのマスタバにかわりピラミッドが王墓の主流の形式となった。

既存のピラミッドを基調に、メイドゥームに51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた。このメイドゥームのピラミッドは最初に四角錐の形状を採用しており、その意味では画期的な建造物であった。ただし、これは後に(あるいは建設途中に)崩壊した。このピラミッド(崩壊ピラミッド、偽ピラミッドとも呼ばれる)はそもそも四角錐を目指していなかったとする説もある。 また、このピラミッドをスネフェルのものとして数えない場合もある。

スネフェル王はまた、屈折ピラミッドと称されることになるピラミッドも築いた。 これは建設途中に(地上から49m地点で)勾配を約54度から約43度に変更していて、高さは約101mであった。 屈折ピラミッドの形状の理由としては、

  • 勾配が急過ぎて危険なため(崩壊の危険、玄室にかかる重量過多)角度を途中で変更した。
  • 建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げた。
  • これが完成形であり、下エジプト・上エジプトの合一を象徴している。

などの説がある。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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