【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

めくるめく知のフロンティア・学究達 =129= / 栃本武良(05/24)

2021-01-28 06:23:47 | 浪漫紀行・漫遊之譜

生態がほとんどわかっていなかったオオサンショウウオ

驚くべきは国の特別天然記念物でありながら、その生態は謎だらけ

勤務する水族館でよく聞かれた素朴な疑問に答えようと研究をはじめた

子供たちに答えようと、ついには「日本ハンザキ研究所」を作ってしまった栃本武良

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=的野弘路、堀信行 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

栃本武良: 第2回 「オオサンショウウオって何年生きるの?」 =2/3= ◆◇

 オオサンショウウオは、戦後間もない1952年に特別天然記念物になったのだが、それ以前は、山間部では貴重なタンパク源だった。今、地元に住む70代、80代の人たちは、食べた経験があるという。産後の肥立ちを良くするということで特に出産後の女性に与えられたり、卵は栄養価が高く結核に効くとされたため採集して売る人もいた。

   特別天然記念物になることで、食習慣と密着した関係も切れてしまい、地元の人たちの関心も薄らぎ、生物学的な研究もほとんどされず……ある意味、誰からも顧みられない状況になっていたかもしれない。

「直接のきっかけは、文化庁から依頼を受けた3年計画の調査です。1975年ですから、37年前ですね。このあたりにいると聞き込みして、川に入って。でも、3年間じゃね。調査の方法も確立されてない、調査道具も分からない状態からスタートして、糸口がやっとつかめたぐらいで終了したわけですよ」

 調査を終えても、栃本さん自身は終わったつもりになれず、水族館での仕事の合間をぬい、川へと通うようになった。

「それまでのオオサンショウウオの研究は、個体識別をあまりしてないんですね。それで標識を着けようと。ウミガメ用のやつとか、鳥用のやつとか、10種類ぐらい試してみたんですけど、何しろ川岸の狭い穴に入るので植物の根や何かにひっかかって取れてしまう。じゃあ、体の模様で識別できるんじゃないかということで、1500頭以上登録しました。14年前からマイクロチップを埋め込めるようになって、それは850以上」

 結局、調査地に棲息するオオサンショウウオを個体識別して、徹底的に追いかける、という方法に落ち着いていくわけだが、それに加えて、別系統の仕事も加わっていった。

「平成2年(1990年)なんですが、当時の建設省が今までの直線的な河川工事では、川の自然が台無しになるから、自然型の河川工事を工夫しろというふうに方針転換したわけです。ちょうどその年に兵庫県養父市の建屋川で災害があって、翌年から4年かけて川一本丸々改修したんですね。そのときにオオサンショウウオ230頭、一時、養魚場に保護して後で戻す仕事をしました。平成16年(2004年)に豊岡市の出石川で堤防が崩れて工事をすることになって、その時は413頭保護したんですね」

 行政としても、特別天然記念物のオオサンショウウオを、そこにいると分かっていて無視することはできない。河川工事の際に、オオサンショウウオに詳しく、かつ、市立水族館の飼育員(のちに館長)である栃本さんに相談するのは自然だったのだろう。一方、栃本さんは、やはりこの朝来市生野町の市川に通っており、実地での観察を続けていた。

・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: “謎の生物”オオサンショウウオを追って (2/2) □■

 オオサンショウウオの寿命は、1830年にシーボルトがオランダへ持ち帰った個体が約51年生存し、飼育下では最長と言われている。これまでにマイクロチップを埋め込んだ個体のうち、30年以上が過ぎたのは9匹で、最も長い個体は38年8カ月だ。あと12年数カ月追いかければ、最長記録に達する。

 他にも、人工巣穴などで見つかった卵をふ化させ、5歳まで育ててマイクロチップを埋め込み、放流する取り組みも行っている。これらは生まれた年がはっきりと分かっているため、長い時間をかけて追跡調査すれば、寿命の解明につながる。

 しかし、それには気の遠くなるような時間が必要で、栃本さん1人ではとうてい達成できそうもない。このため、08年に研究所をNPO法人化し、組織化や後継者の育成にも力を注ぐ。副理事長には鳥取県でオオサンショウウオの調査をしてきた岡田純さん(47)をスカウトし、地域の人たちも巻き込んで運営。子どもを含む多くの人たちにオオサンショウウオに興味を持ってもらおうと、夜間観察会や施設の公開見学会(月2回)なども行う。

 研究所というと堅苦しいイメージだが、ハンザキ研究所に関しては、栃本さんの穏やかな人柄のせいか、地域の人たちが町おこしも兼ねてボランティアで運営に参加するなど、ほのぼのとした雰囲気を醸し出している。

 栃本さんは、昔はオオサンショウウオがそんなに好きではなかったという。だが、「もはや好きか嫌いかの問題ではない。オオサンショウウオはほっといてほしいだろうが、40年間(捕まえて測定するなどして)痛めつけたつぐないだと思い取り組んでいる」のだとか。岡田さんは「これまで集めたデータはとても貴重。次の世代にバトンタッチするまで引き継いでいきたい」と栃本さんを支える。

 果たして“謎の生物”の寿命は解明なるか。栃本さんらの挑戦に期待したい。

.-.-.- オオサンショウウオ幼生動画 -.-.-.

動画のURL: https://youtu.be/yn1P5inEKUo

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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