【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =040=

2017-10-22 06:05:06 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠ 

◇◆  『青春を山に賭けて』の時代 9/9= ◇◆

 大塚氏降板の知らせを聞いて、植村はまず第一にこのまま隊員にとどまるのは恩義にもとる、と考えた。 と同時に、いまエベレストに背を向けて、何をするというあてもない。そこで悶々と思い悩む。

 日記・覚え書にもはっきりそう記述しているわけではないが、大塚氏が来ないとなれば、自分は頂上アタックの要員には選ばれないだろうという予測もあったはずだ。 ひとたびは日本エベレスト登山隊という「大きな歯車のひとつ」でもしかたがないと思おうとした。 しかし大塚氏が来なければアタック要員の希望が絶たれる。 植村の大塚氏への思いの裏側にはそのことがあるのは否定できない

 けれども、植村の苦悶は1週間で終わった。 ネパールの英字新聞に、1月4日東京発として、日本エベレスト登山隊のメンバー発表の記事が掲載された。 総隊長松方三郎、登攀隊長大塚博美以下総勢30名、もちろん植村直己の名前もそこにあった。

 植村は悪夢から覚めた思いだったに違いない。 この吉報を得て、「冷えきっていた私の胸がふたたび意欲でみるみる膨(ふく)らんでいった」(『エベレストを越えて』)と、簡潔にその喜びを書いている。

 70年2月から始まった本隊の登山行動をつぶさに見ても、実力者ぞろいの隊員のなかで、植村が特別扱いされたわけではなかった。 それどころか、下働きのような仕事に酷使されているし、植村もそれをいとわなかった。 しかし客観的にみて、大塚登攀隊長にとって、植村こそは秘蔵の切り札であったに違いない。

 植村は松浦輝夫氏と共に第一次アタック隊に選ばれ、5月11日9時10分、2人は世界最高峰の頂上に立った。 日本人としては初めての快挙だった。

このエベレスト登山隊のくわしい登山行動については、『エベレストを越えて』にゆずる。 登山隊と同時期にアイス・フォールにいた三浦雄一郎氏らのスキー隊のシェルパ6名が雪崩にあい、死亡するという事故があった。 また、成田隊員が体調を崩して死亡、という不慮の出来事があったが、登山は着実に進み、植村はそれを淡々と記述している。

 この登山隊の一員として行動した植村について、私が特に注目した点が、登頂の栄光とは別に二つある。 

 一つは、組織のなかの行動(登山)ということで植村がさんざん思い悩んだ、ということ。先に述べたように、ペンバ・テンジンの家に泊めてもらった時間がもっとも安らぎにみちていたことがそれを傍証している。 その上に、大塚博美氏の交替事件もあった。 植村はその前の世界放浪1000日を思い、「単独行動」の自由を身にしみて感じとったに違いない。

 植村は1980年に「日本冬期エベレスト登山隊」を組織し、隊長として冬のエベレストにいどんだ。 この登山隊は結果を出すことができなかったが、70年のエベレスト登頂以後、植村がチームを組んで行動した唯一のケースになった。 彼が試みた他の登山や冒険は、すべて単独であった。

 もう一つ。 69年の暮れにカトマンズで大塚氏交替の衝撃的ニュースを聞いた後、植村は飯もノドに通らない状態のなかで、今後の自分の進路をあれこれ考えた。 そのとき、「南極大陸の単独横断」がふっと頭に浮かぶのである(日記にもその記載がある)。

 第二次偵察隊のとき、カトマンズで出会った朝日新聞の記者とグリーンランドについて雑談を交わした。 グリーンランド単独横断をいつか実現したいと思っていたのだが、68年に日大隊によって先を越されてしまった。 植村がそういうと、朝日の百々信夫記者が、「北がだめなら南極で行くさ」とおそらくは軽い調子でいったことが耳に残った。 70年の年頭に今後の進路を考えざるを得なくなったとき、「南極」に思いが至るのである。

 しかし、南極はまだ心に根を下ろすような夢にはなっていない。 植村の気分は4、5日で再逆転して、エベレストに向うのである。 いつ、「南極単独横断」の夢がよりはっきりしたものになったのか。 植村自身、エベレスト登頂後とか、エベレストを終えて同年8月にアラスカのマッキンリーに単独登頂した後とか、時によって少しずつずれた発言をしている。 ただ、エベレスト登頂を果たした70年の秋には、南極への夢が彼の全身に根を下ろしたことはまちがいない。

=補講・資料=

メスナーだけじゃない!すごい海外の登山家まとめ=ガーラン・クロップ(その2/2)

1996年のエベレスト大量遭難は、1996年5月に起きたエベレスト登山史上有数の遭難事故の一つ。 5月10日に起きた嵐の影響で8人の登山家が死亡し、その前後も含めると春の登山シーズン中に12人が死亡した。 2014年4月18日に雪崩のため16人が死亡する事故( (2014 Mount Everest ice avalanche)が発生するまでは、エベレスト登山史上最悪の遭難事故とされていた。

エベレストは、1990年代半ばには公募隊による登山が主流となり、アマチュア登山家であっても必要な費用を負担すれば容易にエベレスト登山に参加できるようになった。あらかじめシェルパやガイドによるルート工作や荷揚げが行われるため、本来なら必要であった登攀技術や経験を持たないまま入山する登山者が現れるとともに、ルートが狭い場所においては登山家が渋滞し、長時間待つようなことも増えた。

1996年アドベンチャー・コンサルタンツ社は、1人65,000ドルでエベレスト営業公募隊を募集した。 探検家のロブ・ホールが引率して、世界中のアマチュア登山家と共に5月10日に登頂を果たすというツアーで、いわゆる商業登山隊であった。 日本人の難波康子も参加した。 他にもスコット・フィッシャーが引率するマウンテン・マッドネス社公募隊も行動を共にすることになった。 

参加者の中には、本来登山には必要ない大量の資材を持ち込んだり、不適切な性交渉を行う参加者がおり、ガイドやシェルパの負担は小さくなかった。荷揚げの時点でマウンテン・マッドネス社の主力シェルパ、ナワン・トプチェが高所性肺水腫によって重体となり、この処理にシェルパ頭のロブサンが当たったため負担はさらに増加した。

スコット・フィッシャーの隊には、サブガイドとしてロシア人のアナトリ・ブクレーエフ (Anatoli Boukreev) が初参加した。 ブクレーエフはガイドとして十分な仕事をせず、隊長のスコット・フィッシャー自ら体調不良者をBCに送り返す等の労働に従事することになり、登頂前すでにスコット・フィッシャーは疲労困憊となっていた。 また、顧客の一人レーネ・ギャメルガードが数度にわたり無酸素登頂を要請したが、これを撥ねつけたため険悪な空気が醸成されていた。

エベレスト大量遭難事故に先立つこと1週間前の5月3日、各隊の登頂日の振り分けの結果最初に頂上に向かったのがアルパインクライマーのガーラン・クロップだった。 この最初のアタックでも彼はたった一人でラッセルし8750m地点まで到達するが、時間切れを見て取り撤退。 彼は消耗の激しい無酸素登頂を行ったうえ、他の顧客より先にC4に帰還している。 ^8,750m地点より先には他隊も到達していなかった。

山頂まであとわずかに迫りながら撤退した彼の判断を高く評価したのが事故を起こしたアドベンチャーコンサルタンツ隊の隊長、ロブ・ホールだった。

動画資料映画『エベレスト 3D』特別映像 =クリック➡

https://youtu.be/DCNAQFD7Kw0

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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