【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 09月16日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-09-16 05:09:24 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 海のかなたに夜逃げするためメイフラワー号がイギリスを後にする(1620年)。 ◆ メートル法強制一辺倒だった日本政府が、渋々ながら尺貫法の使用を認めざるを得なくなる(1977年)。即ち、曲尺・鯨尺の製造販売を許可。 ◆ 日本国有鉄道がようやく日本一のお荷物路線=美幸線=をスクラップ(1985年)。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第2回= ◎ ◎

1901-1920期 « 北極点を制覇せよ!(2/2) »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

・・・2011年12月7日 / (Web編集部S)

  ロバート・エドウィン・ピアリー (Robert Edwin Peary, 1856年5月6日 - 1920年2月20日)は、アメリカの探検家。ペンシルベニア州クレソン出身。 西洋人として最初に北極点に到達したとされているが、探検の後援者には当時のナショナルジオグラフィック社などの実力者が多く、当時のマスコミを押さえての喧伝といわれる。

  経歴 • 1891年から1897年にかけて、4度にわたるグリーンランド探検を行う。その間、現地のイヌイット女性との間に2児をもうけた。1898年には、このグリーンランド探検の功績に対して、王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた。 • 1898年に初めて北極点到達に挑戦するが失敗し、凍傷で足指8本を失う。 • 1906年に4度目の挑戦で北極点まで280kmの地点まで到達。 • 1909年4月6日、ピアリーら6名が北極点に到達。

  北極点到達の疑問 1909年の探検から帰還後、元の仲間であるフレデリック・クックが「自分は、1908年4月21日に既に北極点に到達していた」と主張した。調査委員会が設けられたが、結局クックの訴えは退けられ、詐欺罪で収監となり、ピアリーが最初の北極点到達者と認定された。現在では、ピアリーが証人を買収したことがわかっているが、実際にクックは北極点の数百km手前までしか到達していなかったようである。

また、後の詳しい測量により、ピアリーらが北極点だとしていた点は正確には北緯89度57分(北極点から約6kmの地点)であったことが分かっている。また、ナビゲーションの技術を持つ者がいなかったにもかかわらず、旅程が不自然に順調であることなどから、到達そのものを疑問視する説もある。 もし初の北極点到達がピアリーでない場合、1926年のリチャード・バードによる北極点往復飛行か同年のアムンセン、ノビレ、エルズワースによる飛行船ノルゲ号での北極海横断飛行が最初の北極点「到達」となる。

  100年間、無視されてきた黒人探検家の偉業 ロバート・ピアリが「彼なしではやっていけない」と称えた男 19世紀から20世紀にわたる探検の黄金時代に活躍した探検家の1人に、米国の貧しい孤児として育った男がいた。彼は数々の偉業を成し遂げたが、人種が理由でその大半が無視されてきた。

   男の名はマシュー・ヘンソン。同時代には珍しいアフリカ系米国人の探検家だった。そして彼こそ、北極点に到達した初めての人類だった可能性がある。米国海軍のエンジニアだったロバート・E・ピアリとの壮絶な冒険が、印象的な写真に残されている。  ヘンソンは1866年生まれ。孤児だった13歳のとき、船上の給仕係になった。その船で、彼は船長に読み書きを教わる。その後、ワシントンD.C.の衣料品店で働いていたヘンソンは、1877年にピアリと出会う。ピアリはヘンソンを従者として雇った。その後2人は20年にわたり、仕事仲間として数々の壮大な旅を成し遂げる。

   1900年、2人は過去の誰よりも北に到達した。その後2人は、自らの記録を塗り替える。1909年、4人のイヌイットとともにグリーンランドを探検し、北極点に到達していた可能性がある。実際に到達していたかどうかについては異論もあり、今となっては確認が難しいが、ヘンソンは自身が世界で初めて北極点に到達した人類であると信じていた。(参考記事:「北極点を制覇せよ!」)

   ピアリはヘンソンのことを「彼なしではやっていけない」と評価していた。ヘンソンは犬ぞりや狩猟、工芸、ナビゲーションに習熟しており、イヌイットの言葉も流暢に話すようになった。探検の日々を終えたヘンソンは、ニューヨーク市の米国税関で公務員として働き、1955年に生涯を閉じた。

   約100年にわたり、ピアリばかりが取りざたされ、ヘンソンの極地探検への貢献は軽視されてきた。しかしヘンソンは2000年、ナショナル ジオグラフィック協会が探検家に贈る最高の栄誉であるハバード賞を死後受賞した。  1988年、ヘンソンと妻の墓は、バージニア州のアーリントン国立墓地にあるピアリの墓の隣に移された。1996年には、彼の功績をたたえ、海洋調査船にU.S.N.Sヘンソンの名がつけられた。 文=Brian Clark Howard/訳=堀込泰三

 
  マシュー・ヘンソンの軌跡 
余談だが・・・・・・・・

明日 “1901-1920期 こんなところにも日本人に続く・・・・・

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

上部記載文中、文字色が異なる下線部位を右クリックにて“参考記事”を開示

前節へ移行 : https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/18e0344c478458af0b4ca1d97395804c 

・◎・◎・◎・◎・◎・

◒ ◓ ◒  ◒ ◓ ◒

Today’s B.G.M, = Miles Davis - So What (Official Audio)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   _._._._._._._._ _._._._._._._._ _._._._._._._._

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【壺公夢想;如水自講】 :https://thubokou.wordpress.com/

================================================

  

森のなかえ

================================================


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日(狂)の狂言 : 09月15日(... | トップ | 今日(狂)の狂言 : 09月17日(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

浪漫紀行・漫遊之譜」カテゴリの最新記事