【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

王妃メアリーとエリザベス1世 =14=

2016-04-10 18:59:35 | 歴史小説・躬行之譜

○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○

◇◆ 亡命者・スコットランド女王メアリー ◆◇

 1558年11月20日、ハットフィールド・ハウスにいたエリザベスは姉・ネアリー1世死を知る。 メアリー1世死去の証拠として彼女の婚約指輪を携えたロンドンからの使者がハットフィールドに到着したのだ。 こうして誕生したのが、エリザベス1世処女王=だった。 カトリックを装いながらプロテスタントとして育った彼女は、イングランドを、敬愛する父ヘンリー8世のプロテスタントにもどした。 しかしエリザベスのとった宗教政策は、慎重かつ現実的で、妥協的なものだった。 彼女は、宗教に深入りすることを避け、政治的な安定をめざしたのである。

 それというのも、彼女の王権はかならずしも安泰ではなかったからである。 有力貴族のなかには、カトリックであることを公言してはばからない者もいた。 そしてカトリックにしてみれば、エリザベスは庶子であり、正統な女王としては認められなかった。 カトリックから見た正統な女王は、ヘンリー8世の姉でスコットランド王ジェイムズ4世の王妃となったマーガレット・テューダーの孫になる、カトリックのスコットランド女王メアリー・ステュアートだった。 そこでカトリック勢力は、ローマ教皇やスペインと手をむすび、反乱やエリザベス1世の暗殺を策謀したのである。

  スコットランド女王メアリー・ステュアートがイングランドに亡命してきたときのイングランドとエリザベス1世を取り巻く状況は、このようなものだった。 ところが、フランスの宮廷で世間知らずで育ったメアリーは、こうした状況も、また自分の置かれている状況もまったくわかっていなかった。 「血のつながった父の従妹なら、かならず助けてくれる」としか思っていなかった。 そして、メアリーはエリザベスに援軍をたのみ、スコットランドの反対勢力を一掃するつもりでいたのである。

 これにたいしてエリザベスは、子供のときから宗教抗争と権力闘争の渦のなかに身を置き、現実の世界というものを身をもって学んできた。 そのエリザベスのメアリーへの対応は、冷静で冷たかった。 なぜならば、メアリーはカトリックだったからである。 従兄の娘とはいえ、プロテスタントのエリザベスが、スコットランドの反メアリーの貴族たちを討つ手助けをするわけにはいかなかった。 彼等も、エリザベスと同じプロテスタントだったからである。

 メアリーがイングランドに亡命してきたころ、エリザベス1世を悩ませていたもう一つのことがあった。 後継者問題である。 エリザベスは独身をとおしたので、当然のこと、世継ぎはいなかった。 カトリックからみれば、メアリー1世のあとの正統なイングランド王は、エリザベスではなくメアリー・ステュアートだった。 そして子供のいないエリザベス1世の王位継承者は、血統から見ても当然、メアリーだった。 いずれにしても、次のイングランド王は彼女だった。

  メアリー・ステュアートが亡命してきたことで、イングランド国内のカトリック勢力は活気づいた。 しかしプロテスタント側から見れば、メアリー・ステュアートが王位につけば、ふたたびカトリックの復活だった。 そして、血生臭い宗教裁判の再開だった。

 エリザベスにしてみれば、メアリーと国内のカトリック勢力が手をむすぶと、自分の地位が危うくなる。 カトリック勢力が期待したのはそこだったし、エリザベスが警戒したものそこだった。 結局、エリザベスにとって、亡命してきたメアリーは、危険な存在であり、疫病神以外の何ものでもなかった。 だからといって、彼女をどうすればいいのか。 エリザベスは、メアリーの処遇に頭を痛めるだけで、どうにも動きがとれなかったのである。

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森のなかえ

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