近代の探検家 = 化石ハンター / メアリー・アニングの情熱 =
~ 時代の最先端をいく学者たちと渡り合い、不屈の精神で化石発掘に人生を捧げる ~
◆◆◆ サイドビジネスの化石探し ◆◆◆
父リチャードは、仕事の合間を縫って海岸に出ては化石を探して土産物として売り、家計の足しにしていた。
当時のライム・リージスは富裕層が夏を過ごす海辺のリゾート地として栄えており、1792年にフランス革命戦争、ついでナポレオン戦争が起こってからは特に、国外で休暇を過ごすことをあきらめた人々が保養先にと押し寄せるようになっていた。
大博物時代を迎えていた英国では専門家でなくとも化石を所有することはファッションのひとつでもあり、地質学・古生物学の基礎が築かれつつあったこの時代、学者たちは研究の重要な手がかりとなる化石の発見に常に注目していた。
しかし一般には、これらの化石は、聖書に描かれたノアの大洪水で死んだ生き物の名残だと考えられており、とぐろを巻いたアンモナイトの化石には「ヘビ石」、イカに似た生物ベレムナイトの化石には「悪魔の指」といった呼称がつけられていた。
また、「化石(fossil)」という名称はまだ確立されておらず、人々は不思議なもの、興味をそそるものという意味でこれらを「キュリオシティ(curiosity)」と呼んでいた。
◆◆◆ 父から受けた実地教育 ◆◆◆
アニング家は子供たちを毎日学校に通わせる余裕がなく、父リチャードは本業の傍らに子供たちを海辺に連れて行き化石探しを手伝わせ、商品として売るためのノウハウを教え込んだ。
化石売りはよい副収入になるものの、天候や潮の満ち引きに左右され、地滑りや転落事故と隣り合わせの危険な仕事。発掘に適しているのは嵐の多い冬期で、土砂崩れや大波により、新たな地層が露わになった岸壁を狙い、ハンマーとたがねを携え浜辺を歩く。
しかしせっかく大物を見つけても、掘り出しているうちに満潮となり、足場をなくして見失ったり、潮に流されてしまったりすることも多かった。 加えて、沿岸部では密輸船なども行き交っており、トラブルに巻き込まれる可能性も十分あった。
そうした危険の中でいかに化石を持ち帰るか―。 子供たちが父親から学ぶことは山ほどあったのだ。
また、アニング家は英国国教会の信者ではなく、組合教会に属していた。
当時、組合教会に属する人々は法的または職業的な差別を受けたり、周囲から偏見の目で見られることもあったというが、組合教会が貧しい人々への教育を重視していたことは幼いメアリーに幸いした。
もともとの聡明さもあって、メアリーは教会の日曜学校で読み書きを覚え、のちには独学で地質学や解剖学にも親しんでいく。
もしメアリーが貧しい文盲の女性として成長していたら、学者たちと学術的な意見を交わしたり、国内外の博物館と渡り合ったりする姿は見られなかったであろうし、化石を採集するだけの一介の労働者として人知れず生涯を終えていたかもしれない。
メアリーの運命は、すでに「化石ハンター」へと舵を切っていたのだ。
=資料=
ベレムナイトはデボン紀のバクトリテス類(Bactritoids、真っすぐな殻を持つオウムガイの仲間)を起源とし、化石は下部石炭系から白亜系にかけて産出する。 特にベレムナイトはジュラ紀から白亜紀にかけて繁栄しており、中生代の海成層からアンモナイトと共に大量に産出する。絶滅の時期も、アンモナイトと同様に白亜紀の末期である。
ベレムナイト類のいくつかの種、特にヨーロッパのチョーク層から産出するものは示準化石として重要であり、地質学者が地層の年代を決定するのによく用いる。 日本国内では北上山地のジュラ紀-白亜紀の地層から産出するが、欧米に比べて産出は極めてまれである。
アンモナイト(分類名:アンモナイト亜綱、学名:subclassis Ammonoidea)は、古生代シルル紀末期(もしくは[2]、デボン紀中期)から中生代白亜紀末までのおよそ3億5,000万年前後の間を、海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の分類群の一つ。 全ての種が平らな巻き貝の形をした殻を持っているのが特徴である。
古生代と中生代の下位にあたる各年代を生きた種はそれぞれに示準化石とされており、地質学研究にとって極めて重要な生物群となっている。
アンモナイト亜綱は、オルドビス紀から生息するオウムガイ亜綱(Nautiloidea)の中から分化したものと考えられている。以来、彼らは実に長くの時代を繁栄していたが、中生代の幕引きとなる白亜紀末のK-T境界を最後に地球上から姿を消した。
アンモナイト亜綱の動物は、殻の直径で数センチから十数センチメートル程度のものが多い。 しかし、中には大きな種も存在し、ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州の白亜紀後期層から発見された史上最大のアンモナイト、パラプゾシア・セッペンラデンシス(パキディスクス・セッペンラデンシス。Parapuzosia seppenradensis (Pachydiscus seppenradensis)。アンモナイト目- アンモナイト亜目- デスモセラス科〈la:デスモケラス科〉Desmoceratidae。 上の画像参照)などは殻の直径2mに達するものであった。
アンモナイト亜綱の系統発生は、古生代オルドビス紀から生息していたオウムガイ亜綱からの分化と考えられている。 生態ピラミッドの最高次捕食者として栄えた時期もあったオウムガイ亜綱とは違い、アンモナイト亜綱はその進化史の初めから食い食われる中位の捕食者としての出現であった。
何を祖先と見なすかは、諸説で割れる分類が最初期のアンモナイトを何と定めるかによって違ってくる。 バクトリテス目をもってアンモナイト亜綱の発生とし、その直接的祖先とされるオルソセラス目(la:オルトケラス目、直角石の類い)のスフェオルソセラス(la:スファエルオルトケラス、Sphaerorthoceras)を上に置く考えもあれば、直錐形の殻を持つバクトリウス目をオウムガイ亜綱に分類し、彼らから分岐して螺旋形の殻の進化傾向を初めて見せるアナルセステス類をもって最古のアンモナイト亜綱と見なす説、その他がある。
アナルセステス類を含むゴニアタイト類は、古生代デボン紀中期からペルム紀にかけて繁栄したが、未曾有(みぞう)の絶滅期であるP-T境界を超えることはなかった。 ペルム紀中期出現のセラタイト類はしかし、P-T境界を超えて三畳紀を迎え、この時代を繁栄期としている。
そして、アンモナイト亜綱の代表たるアンモナイト目(狭義のアンモナイト類、Ammonitida)は、セラタイト類を母体として三畳紀中期に現れている。 彼らはジュラ紀・白亜紀を通して大繁栄することになるが、その陰でセラタイト類は三畳紀末に姿を消した。
登場以来、古生代から中生代にかけて長く繁栄することとなったアンモナイト亜綱ではあるが、幾度となく到来した絶滅イベントによって彼らのうちの古い形質を残すものは失われていき、ジュラ紀にはアンモナイト目だけが亜綱を構成する状況となっていた。
それでも、アンモナイト亜綱の隆盛期はこのアンモナイト目によってもたらされたものである。 そのようなアンモナイト目のなかにも盛衰はあり、代表的な一群であるアンモナイト亜目(Ammonitina)は白亜紀には減衰し始め、異常巻きで有名なアンキロセラス亜目(Ancyloceratina)が繁栄を見せている。
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森のなかえ
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