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カワリハツ・3~清水入緑地

 清水入緑地の遊歩道脇にニョキニョキと巨大な姿を見せていたキノコ。直径は10~15センチほどあり、お椀のような形で雨水が溜まっている。これは去年調べた「カワリハツ(変わり初)」だろう。もしご存知の方がいらっしゃればご教示賜りたい。カワリハツはベニタケ科ベニタケ属で毒は無く食用にもなるが、あまり美味しくないようだ。
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キタマゴタケ・2~蓮生寺公園

 蓮生寺公園外周の林縁に顔を出した「キタマゴタケ(黄卵茸)」。テングタケ科テングタケ属のキノコで、タマゴタケと同じように卵のような白い壺から伸びてくる。タマゴタケと同じく食用になるようだが、猛毒のタマゴタケモドキと良く似ているためむやみに食べるべきではないとされている。私はもちろん食べない。
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タマゴタケ・4~長芝原緑地

 キノコの季節は秋だが、これだけ雨が続くといろいろなキノコが顔を出す。期待しながら長芝原緑地の急坂を登っていくと、すぐに迎えてくれた「タマゴタケ(卵茸)」。テングタケ科テングタケ属で広葉樹などの林床に発生する。見た目は毒々しいがこれは食用になるらしい。しかし私はキノコ素人なので野にあるキノコは “見る茸(だけ)”。
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アミガサタケ・2~蓮生寺公園

 先日、上柚木公園バス停付近で見たものはずいぶん黒ずんでいたが、ご近所ブロガーさん情報で、蓮生寺公園や上柚木陸上競技場付近で綺麗な姿で見ることができた。「アミガサタケ(編笠茸)」はアミガサタケ科アミガサタケ属のキノコで、フランスでは高級食材として珍重されている。今まで私が見つけていた場所は必ず桜の樹の近くで、 『アミガサタケは花見が大好きに違いない。』 という仮説を立てていたが、新しい2ヶ所の周りには桜の樹は見当たらない。私の仮説は簡単に覆された。
 さて、ここ蓮生寺公園は四季に亘りいろいろな野草や花木が楽しむことができて、私のお気に入りのジョギングコースのひとつ。ニュータウンにある寺だが、その由緒はなんと鎌倉時代まで遡る。
 源頼朝が母の由良御前のお腹にいた時、円浄というお坊さんが、由良御前がつけた岩田帯に安産祈祷をした。そして頼朝誕生の12年後の平治の乱(1159年)で、父の義朝が尾張で殺され、頼朝は伊豆国へ流された。円浄坊も平治の乱ののち、京から武蔵国由木に来て蓮生寺を草創してそこに住んでいた。その後、頼朝は鎌倉に幕府を開くことになるのだが、鎌倉幕府の歴史を記録した 『吾妻鏡』 によると、幕府が開設される3年前の寿永元年(1182年)に、円浄坊が頼朝に召し出され、祈祷に励んだ功績によって、田畑を蓮生寺に寄付したとある。このことから蓮生寺は1159年から1182年の間に開設されたことになる。
 我々の世代は鎌倉幕府と言えば “良い国作ろう” で、1192年と覚えたが、この年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年で、今の教科書では幕府が実質的に始まった1185年を採用している。大化の改新は645年と習ったが、この年に起きたのは “乙巳の変(いっしのへん)”というクーデターで、その翌年幸徳天皇が改新の詔を出したということで、今は646年と教えられているそうだ。また大阪府堺市にある巨大な前方後円墳は、私は最近まで仁徳天皇陵だと思い込んでいたが、これは今は大仙陵古墳というらしい。知らなかった。我々が覚えていた歴史がどんどん変わっていってしまう。
 先日、歴史教科書から “聖徳太子” が消えてしまうという騒動があった。中学校学習指導要領改定案で、聖徳太子は死後に与えられた呼称であり、当時は厩戸王(うまやどのおう)と呼ばれていたので、そのように表記すべきだというのがその主張だ。いろいろ議論されて結論は元の聖徳太子のままの表記に落ち着き、 “聖徳太子派(私を含めほとんどの人はそうだろう)” は胸を撫で下ろした。
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アミガサタケ・1~上柚木公園

 久し振りに見つけた「アミガサタケ(編笠茸)」。アミガサタケ科アミガサタケ属のキノコで、これは出現してからかなり日が経ったのか、すっかり日焼けしていた。出初めはもっと明るい色をしている。フランス料理では “モリーユ” と呼ばれる高級食材で、乾燥させるととても良い香りがするようだ。私は今まで南大沢東緑地や富士見台公園で見つけていたが、その近くには必ず桜の樹があった。写真は上柚木公園バス停近くの林で見つけたものだが、やはり近くに桜の樹があった。このキノコは花見が好きなようだ。
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