犬鍋のヨロマル漫談

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慰安婦問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託せよ― 李容洙ハルモニ

2021-02-22 23:18:03 | 慰安婦問題
 今年の1月8日、元慰安婦が日本政府を相手取って起こした裁判で、原告勝訴の判決が下され、その後確定しました。

 これについて、文在寅大統領は1月18日の新年の会見で「判決に少し困惑している」と述べ、その後も、この問題について具体的な解決策を提示していません。

 この煮え切らない態度に、元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)氏は、記者会見で、慰安婦問題を国際司法裁判所(ICJ)に付託するよう、文在寅大統領に要求しました。

 李容洙氏は、昨年5月、かつての盟友だった正義連(旧挺対協)代表の尹美香を、寄付金を横領したとして激しく非難した人物。(リンク

 そして、彼女の証言は、これまで二転三転しているという指摘も出ていました。

 最近も、保守派メディアの「メディアウォッチ」は、初期のころの証言を発掘して公開しています。

2021年2月14日付メディアウォッチ(リンク

【スクープ】
慰安婦の李容洙、「実は、ワンピースと靴につられて慰安婦になった」―KBSの映像発掘

李容洙氏は、本人の証言によれば慰安所の抱え主の誘いに騙されたケースであって、「日本軍慰安婦被害者」ではない

 日本軍慰安婦「被害者」として知られる李容洙氏が、日本軍による強制連行ではなく、実は慰安所の抱え主に騙されて慰安婦になったという証言をした内容が、公営放送局の放映記録として残っていることが確認された。大きな波紋が予想される。

 1992年8月15日、KBSの「生放送、私は女子挺身隊―民族受難の痛みをかみしめ」は、当時初めて慰安婦証言をした金学順氏を中心に、李容洙氏なども出演して、いわゆる「被害者」としての証言を行った。

 番組では顔と名前を伏せていた李容洙氏は、司会者のオ・スクヒ氏が「どのようにして挺身隊(慰安婦)に行くことになったのですか」と尋ねると、次のように証言した。

 「はい、私はそのとき16歳でした。貧乏で、食べることにも着ることにも事欠いていたとき、だれかが一揃いのワンピースと革靴をくれました。それを手渡しながら、いっしょに行こうと。私はどういうことかもわからず、それをを受け取り、とても嬉しくなって、ついていきました」

 これを聞いた司会者のオ・スクヒ氏は少し戸惑いながらも、「ああ、それで誘惑に負けてしまったのですね」と言って、李氏の証言が日本軍による強制連行の証言ではないことを再確認した。

 日本軍による強制連行を否定した李氏の証言は、今に始まったことではない。1993年に挺対協が採録した「証言集I 強制的に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦たち」(ハンウル刊)でも、李氏は同じような証言を公式記録として残している。李氏は当時、家出をしている状態だったそうだ。

 「母に何も言わずに、ただプンスンについて家出をした。家で着ていた黒いチマとボタンのついた長い木綿のチョゴリ姿で、下駄をつっかけていた。行ってみると、前の日に川で見かけた日本人の男がいた。彼は四十歳そこそこに見えた。国民服を着て、戦闘帽をかぶっていた。彼は私に布袋を一つ渡し、中にワンピースと革靴があると言った。袋をちょっと覗くと、ほんとうに赤いワンピースと革靴が見えた。それをもらって、子供心にどんなにうれしかったかわからない。それで、何も考えずにあっさりとついていくことにした。

 今回、李氏の決定的なKBS証言映像を再発掘したのは、最近、連日慰安婦問題の真実を究明に立ち上がっているキム・ビョンホン国史教科書研究所長である。

 キム所長は「慰安婦被害者法には、「日本軍慰安婦被害者」とは「日帝によって強制的に動員され、性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された被害者」とはっきり規定されている」、「しかし李容洙氏本人の証言によれば、慰安所の抱え主の誘惑に騙されたケースであって、日本軍慰安婦「被害者」ではない」と指摘した。

 キム所長は、「李氏は「日本軍慰安婦被害者」ではないにもかかわらず、今まで嘘をついて慰安婦法に基づく各種の支援、恵沢を享受してきた不正受給者であり、犯罪者だ」、「李氏の犯罪に対しては、今年の1月末に、すでに警察に告発しており、KBS証言映像を女性家族部に提出して、資格剥奪の請願を行うつもりであり、女性家族部に対して監査院に国民監査を請求する予定」と述べた。

 一方、李容洙氏は、2月16日、ハーバード大学で、ハーバードアジア太平洋大学法学部学生会(APALSA)主催の円卓討議で、慰安婦「被害者」としてビデオで証言する予定だ。最近、ハーバード大学のラムザイヤー教授の慰安婦に関する論文が巻き起こした議論に対応するものと思われる。

 この円卓討議では、李氏はもちろん、米国慰安婦決議案(HR121)を発議したマイク・ホンダ前議員と、韓国系のフィリーズ・キム氏、中国系のジュリー・タン氏も参加する。

【訂正報道】
 キム・ビョンホン国史教科書研究所長は、最近、李容洙氏の慰安婦証言を、一次資料を中心に見直した結果、メディアウォッチがこれまでに行った李容洙氏検証報道に一部誤りがあったと伝えてきた。キム所長の指摘は以下の通りであり、メディアウォッチはこの指摘を全面的に認め、これについて訂正することにいたしました。

(1) 李容洙氏の慰安婦関連証言は、メディアウォッチの指摘のように、1993年から最近まで20回以上行われたが、それらが時期、年齢、経緯、期間などについて互いに食い違っていることは事実だ。ただ、メディアウォッチが聯合ニュースなどの報道を引用して、証言内容が変わったと指摘した「2007年の米国議会証言」と「2018年のフランス議会証言」は、元の証言内容を確認した結果、基本的に同じ趣旨のものとするのが正しい。2つの証言には、共通して「強制連行の現場には軍人がいた」、「背中に銃剣を突き付けられて連れて行かれた」という、「1993年の最初の証言」にはまったく見られない強制連行に関連する証言が含まれているが、これは最近になって突然出てきた内容ではなく、実際には(2007年や2018年になってからではなく)、すでに2000年前後に登場していた内容とみなすことができる。李氏の「1993年の最初の証言」が、2000年代に入って、国内外で突然過激な強制連行証言に変わり、結局、2007年の米国議会においても、そのように変化した証言が行われた経緯を追及することが、李容洙慰安婦の証言の変遷問題の核心だ。李氏が「1993年の最初の証言」を否定し続け、最初の証言集はこれ以上売ってはならないと、最近の記者会見で強調したことも注意深く見守る必要がある。

(2) メディアウォッチがハンギョレの報道を引用して、李容洙が2016年12月に、朴裕河(パク・ユハ)教授の結審公判で行った証言は、メディアウォッチの紹介とは異なり、公式の「法定証言」ではない。李氏は、当時、証言台で複数回話をしたが、証言宣誓はしていなかった。法的には、たんなる裁判傍聴人の意見陳述にすぎず、それ以上でも以下でもないと思われる。言の手紙を持っていなかった。法律では、裁判にかけられている人々の意見以上のものではないようです。朴教授の一審の記録を調べても、李容洙氏が法廷証人として採択された記録はまったく確認されなかった。

 李容洙氏の要求通りに、慰安婦問題が国際司法裁判所(ICJ)に付託された場合、李容洙氏その他、元慰安婦の証言の変遷と、それを唆した市民団体をしっかりと追及し、日本軍慰安婦が「日本の官憲による強制連行ではなかった」ということが、国際的な場で確認されるようになることを期待します。

〈参考〉
日本軍慰安婦李容洙(1)
日本軍慰安婦李容洙(2)
日本軍慰安婦李容洙(3)
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