偏平足

山の石仏と独り言。

石仏番外 子持山(群馬)

2011年09月12日 | 登山

子持山(こもちやま) 役行者(えんのぎょうじゃ)

 

337 【データ】子持山 1296メートル▼25000地図 鯉沢、沼田▼最寄駅 JR上越線・渋川駅▼登山口 群馬県渋川市中郷の子持神社奥の院▼石仏 登山口から少し登った屏風岩の基部

 

【独り言】子持山の登山口は木道が設えられて、20年前とはすっかり様変わりしていました。太鼓橋風の橋も架けられ、それを渡ると屏風岩です。正面の岸壁を背に、「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)」の扁額がかかる小さな鳥居がありました。

神変大菩薩は役行者の諡号(しごう)。修験道の祖と仰がれた役行者の没後1100年にあたる寛政11年(1799)に、光格天皇から贈られた諡(おくりな)です。『歴代天皇総覧』(笠原英彦著、中公新書)によると、光格天皇は「誕生後間もなく聖護院宮忠誉入道親王のもとに預けられ、ゆくゆくは聖護院門跡を継ぐべく出家することが期待されていた」というお人。後桃園天皇の崩御で急遽天皇の養子となり、安永8年(1779)9歳で即位しまた。天明8年(1788)の御所火災のおりには所縁のある聖護院を仮御所にするなど、両者は深い絆で結ばれていたようです。聖護院は天台宗修験道の総本山。神変大菩薩の諡号は、光格天皇と聖護院のこのような深い縁もあって贈られたようです。

子持山を支配した修験も本山派系の大乗院(子持村誌補遺篇『伝承と路傍の文化』)。子持神社の別当として、平安時代後期から続いた修験の寺です。そして目的の3372 3373 屏風岩の役行者は神変大菩薩の鳥居の先にあるはずでしたが、どうしたことか見当たりません。役行者の台座にしていたらしき岩の上に賽銭があるだけでした。盗まれたのか、管理者が移動したのか。いたずらで移動されることもあるので一帯を探してみましたが、見つかりませんでした。渋川市の教育委員会に問い合わせると、この石像は個人所有で市の指定文化財にもなっていないので把握していない、との返答でした。写真は20年前のものです。高さ35センチ。かわいい役行者でした。

 4年ほど前、埼玉県越生町の黒山三滝の上にある大平山の役行者三尊(役行者・前鬼・後鬼)が倒されたことがありました。このとき行方不明になった役行者の頭部は後に復元されましたが、子持山の役行者も私の見落としであればいいのですが……。

【嬉しい話】 2016年2月・子持山麓に住む住人様から(下写真も)の情報
突然のメールで失礼いたします。
2011年08月12日登山のブログにおいて、「・・・・役行者の石像が見つかりませんでした。市の教育委員会に問い合わせると、この石像は個人所有で市の指定文化財になっていないので把握していない・・・・・・・」
ご安心ください。役の行者の石像は、屏風岩の基部にあります。
4日(木)に確認しています。
子持山麓に住む住人より

 

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