偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏834伊豆・鉢ノ山(静岡)六地蔵

2019年01月28日 | 登山

伊豆・鉢ノ山(はちのやま) 六地蔵(ろくじぞう)

【データ】 伊豆・鉢ノ山 618メートル▼最寄駅 伊豆急・河津駅▼登山口 静岡県河津町河津筏場、地図の黒丸▼石仏 鉢ノ山山頂、地図の赤丸▼地図は国土地理院ホームページより




【案内】 円錐形の鉢ノ山は噴火でできた山で、東側山麓から登山道が整備されている。山頂は樹木で見通せないものの平坦な円形で一周する道があり、その一角に石仏群がある。中央に潰れた三つの木祠が並び、石仏はその周辺に集められている。木祠の祭神は不明。石仏の数は壊れたものも含めて30体。ほとんどが地蔵で、大日、阿弥陀、不動などが若干混じり、観音はない。いくつかの石仏に「元文二丁巳(1737)」銘がある。現地に立てられた河津町の案内には「この石仏群は、法華経信仰による現世安穏と後世安楽を願って、地域の人々によって元文二年三月から六月までの間に、現地に安置され、筏場三養院の十四世大信探道和尚の法華経読誦によって開眼供養が行われた」とある。



 石仏は丸彫りが多く、露座のため風化がすすみ欠けているものがほとんど。不規則に並べられたなかから、高さ60センチの船形光背の地蔵菩薩を六体探し出した。光背右側に造立年や造立趣旨、左側に個人銘が入る地蔵である。定かでない姿から持物を探し出すと、幡・天蓋・合掌・香炉・錫杖と宝珠・数珠となる。
 六地蔵の持物は一定していない。大護八郎氏の『石神信仰』(注1)には「六地蔵は儀軌に無いため、わが国においては宗派によって諸種のものがおこなわれている」として、真言僧・覚禅が鎌倉時代に記した「覚禅鈔」と、経典「地蔵菩薩発心因縁十王経」の持物を紹介している。江戸時代の仏画集『佛像圖彙』には、「十王経」と圖彙独自の六地蔵図を載せている。
(注1)大護八郎氏著『石神信仰』昭和52年、木耳社



【独り言】 鉢ノ山から北の尾根続きに観音山があります。岩の溝に祀られた約60もの石仏群はこのブログの観音山で案内しました。元文元年(1736)に山麓の住職の祈願で造られた西国三十三所観音が中心で、地蔵や大日はありますが阿弥陀はありません。それから一年後に鉢ノ山の石仏が造立されています。こちらは観音の石仏がりません。大日や阿弥陀が目立ち、こちらも山麓の住職がかかわっているようですが、造立の目的がみえません。
 尾根一つ越えた二つの集落が、江戸時代の同じ時期に集落の住職のもと、一方では観音を中心に、一方では地蔵と如来を中心に石仏造立が行われていたことになります。石仏の違いは造立を提案した住職の宗派の違いなのか、それともお互いに連絡して異なる石仏霊場を造ったのかなど疑問が出てきますが、なにもわかりません。
 両方の石仏群に大日如来があります。実はこれら二つの山がある河津町は大日如来の石仏が多いところなのです。それも一つの集落にいくつもあります。『河津町の石造文化財』(注2)によると、町内にある大日如来の数は文字塔も含めて97基です。同書には、大日は天道大日であると指摘して、「7月28日が祭日で、悪疫退散の賽の神のような共同体を守る神ともなっている」とあります。昨年暮れに茨城の八溝山麓で天道山をいくつか登りました。そして伊豆で天道大日に出会いました。天道大日を祀った山は各地にありそうです。
(注2)『河津町の石造文化財』平成2年、河津町教育委員会


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