偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏550岩井堂山(長野)霊神碑

2014年11月21日 | 登山

岩井堂山(いわいどうさん)霊神碑(れいじんひ)

【データ】岩井堂山 793メートル▼国土地理院25000地図・坂城▼最寄駅 しなの鉄道・坂城駅▼登山口 長野県坂城町上平の自在神社、地図の青丸印▼石仏 岩井堂山の中腹、地図の赤丸印


【案内】地元では自在山と呼ぶ岩井堂山は松茸山。毎年マツタケが出る秋の2か月間は入山禁止となる。登山口は上平集落にある自在神社の神楽殿。長い石段が神社まで続く。神社から松林のなかの登りになり、〝入山禁止〟の張り紙が山頂まで続く。




 山頂は戦国時代の烽火台跡で、土塁に囲まれている。その一角に「國常立尊 國裌斟尊 豊斟渟尊」銘の石塔が立つ。この神名は『日本書記』の天地開闢に登場する神で、国常立(くにとこたち)尊、国裌斟(くにのさつち)尊、豊斟渟(とよぐもぬ)尊。すべて木曽御嶽の神々でもある。これらの神が、御嶽の神になったのは明治になってから。明治初期の神仏分離にはじまる宗教改革時に、仏教名から神道名に尊名変えがおこなわれた結果登場した神々である。御嶽座王大権現が国常立尊に、八海山大頭羅神王が国狭槌尊に、三笠山刀利天宮が豊斟渟尊となる。この岩井堂山に御嶽信仰があったことは、山頂狼煙台跡に立つ「摩利支天」からもいえる。摩利支天は御嶽山の一角に祀られた仏であり、御嶽から関東甲信越の里山に勧請された山でよく目にする石塔である。岩井堂山の摩利支天には「山辺鹿之助」の銘もあった。登山道の途中には「訓導 山辺平之助」銘がある「村明霊神」もある。霊神碑は御嶽信仰を象徴する石碑。神道の諡(おくりな)である霊神を、御嶽行者で最初にもちいたのは亀翁霊神(関東の巴講を創設した中里允修)で、明治以降は一般の講員も使うようになったと、生駒勘七氏の『御嶽の歴史』にある。岩井堂山の摩利支天も村明霊神にもある「山辺」は、御嶽信仰をこの山に灌頂した行者の名であろう。
【参照】国常立尊など神世七代の神は、横瀬・古御嶽城跡(埼玉)で、霊神碑は御嶽山黒沢口(長野)で案内した。


【独り言】岩井堂山の今年の入山禁止は11月15日まで。たまたま登った日は11月16日で、セーフでした。おこぼれマツタケを探すのか、腰にカゴをつけた地元の人も山に入っていました。不思議なのは、この人たちがしきりに笛を鳴らしていることでした。それがわかったのは、山の中腹で奇声を発しながら近づいてきた猟師に出会って。イノシシ狩りとのことで、イノシシを仲間が待つ尾根の反対側に追い込んでいる最中でした。11月15日は狩猟の解禁日らしく、昨日は西上州の山中で怖い思いをしたばかりで、今日また猟師にでくわすとは、あまり有名でない里山登山は大変です。昨日なんか、近くで突然発砲音がして、鹿が目の前を横切っていったのですから、生きた心地がしませんでした。あわてて熊よけの鈴を鳴らしましたが、音が小さく効果がないのは明らかで、早々に下山しました。こんなとき笛を吹けば良かったんだと、この松茸山で知りました。笛はいつでも出せるように、腰につけたポシェットに入っていたのに……。

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