偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 那須・板室(栃木)白湯山供養塔

2020年11月30日 | 登山

那須・板室(いたむろ) 白湯山供養塔(はくゆさんくようとう)

【データ】 那須・板室 630メートル▼最寄駅 JR東北本線・黒磯駅▼登山口 栃木県那須塩原市板室▼石仏 集落の北外れにある大日堂、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【独り言】 江戸時代のはじめ、会津から江戸へ出る道は山王峠を越える会津西街道と、白川の境明神峠を越える奥州街道の二つでした。しかし山王峠越えは難所があり、白川は遠回りという欠点がありました。そこで、この間の那須の大峠を越える会津中街道ができたのは元禄八年(1689)で、このときに那須山中に三斗小屋宿ができ、板室の集落も宿として整えられて本陣、脇本陣が置かれたということは、このブログの那須・板室籠岩で案内しました。
 板室宿の様子は『栃木の街道』(注)の「会津中街道」に詳細されています。そのなかに「この宿は白湯山の一の木戸だったので、白湯山参りの行者や塩沢温泉(板室温泉)の湯治客の宿泊が多かった」とあり、宿にある大日堂には「白湯山信者の寄進した享保十二年(1727)鋳造の見事な金鋼造大日如来坐像が安置」とあります。この大日堂を訪ねてみました。大日堂の入口で目に入るのは白湯山供養塔です。正面に胎蔵界大日如来の種字アーンク大きく刻み、下に「白湯山」とあります。造立は文政七年(1824)。白湯山供養塔は那須の東山麓や会津の田島方面でいくつか見るしたが、これほど大きな塔は初めてです。
 白湯山は那須茶臼岳の西側にある御宝前を御神体とする信仰でした。御宝前は温泉が湧き出す秘所で、三斗小屋宿からシズノ平、両部の滝を越えて登る道がありました。この地名は山形の出羽三山の登山口の一つ、大井沢から志津を経て温泉が湧き出す湯殿山への道とまったく同じです。那須では御宝前から姥神が鎮座する姥ヶ原、阿弥陀如来が祀られた弥陀ヶ原へと続いていました。この地名配置も出羽三山そのものです。白湯山信仰は出羽三山の写しだったのです。
 北関東には出羽三山を勧請した山がいくつかあります。日立の御岩山、栃木の高原山、日光の太郎山などですが、いずれも江戸時代の早い段階に勧請されています。那須の白湯山信仰も寛文十二年(1672)に三斗小屋に大日の石仏が造立されたと『栃木の街道』にありますから、那須には会津、下野から白湯山の信仰の道があって、それを利用して会津中街道ができたことになります。



 それで板室の大日堂ですが、鍵がかかった扉の格子窓からのぞくと、立派な金剛界の大日如来が鎮座していました。
 それから、入口には「三斗小屋江三里八丁」の道標、境内には馬頭がたくさある那須地方独特の馬頭観音がいくつも並んでいました。
(注)栃木県文化協会『栃木の街道』1978年、栃の葉書房




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