つくば市小田・愛宕神社の磨崖愛宕地蔵
登山道が整備されている宝篋山、その一つ小田城コースの入口の小田不動尊、八幡宮、愛宕神社があります。いずれも山を背にした寺社で、ここでは愛宕神社の磨崖愛宕地蔵を案内します。
磨崖愛宕地蔵は、愛宕神社は背後にある岸壁の上部に彫られて龕の中。右手に針金が下がっていてこれをたよりに登らなければなりません。見るからに危なかっしい針金で、登るなということなのでしょう。
昔は滝や岩場を見るとどう登るかルートを探したものでした。三つ峠で練習し、谷川、北岳、穂高、剱の岩場にも出かけました。しかし今ではバランス感覚ゼロ。昔の経験はまったく役にたちません。それでも磨崖仏を見たい一心で慎重に登りました。
地蔵は蓮華台座に立ち、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ立像。左肩に絡子環がついています。
これまでこのブログで案内してきた宝篋山の石造物はすべて鎌倉期かそれ以前のものでした。しかしこの地蔵は江戸期以降のものです。愛宕権現を火伏の神として布教を始めたのは戦国期が終わってからです。宝暦三年(1753)の『愛宕権現霊験記』に「当山ヨリ諸国へ札配セラルルコト文禄年中(1592~6)ヨリ始ルナリ」(注)とあります。諸国の霊山も布教活動を始めるのは秀吉が天下を統一してからになります。富士信仰、出羽三山信仰などの布教活動もこの時期からです。江戸の愛宕山は慶長8年(1603)に京都愛宕山から勧請され、これを機に各地に急速に広まったといわれています。
また、愛宕山の本地仏は地蔵菩薩なので、愛宕山を勧請した先では地蔵(愛宕地蔵)を本尊とするところが多くあります。
(注)アンヌ・マリ プッシイ著「愛宕山の山岳信仰」『山岳宗教史研究叢書11』1878年、名著出版
(地図は国土地理院ホームページより)