偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏819 相馬山(群馬)不動三十六童子、南和重郎

2018年10月29日 | 登山

相馬山(そうまやま) 不動三十六童子(ふどうさんじゅうろくどうじ)、南和重郎(みなみわじゅうろう)

【データ】 相馬山 1411メートル▼最寄駅 JR上越・北陸新幹線・高崎駅▼登山口 群馬県高崎市箕郷町松之沢▼石仏 相馬山直下の尾根と谷、地図の赤丸印口▼地図は国土地理院ホームページより

【独り言】このコースの入口には「関係者以外立ち入り禁止」の看板と柵があります。相馬山の山頂にも「この先危険個所があり 立入及び下山を禁止します」の群馬県の立て札があります。ここに案内する石仏は、現在立ち入り禁止になっているところにあるもので、昔の記録から案内します。
【案内】相馬山東南山麓の榛東村広馬場に黒髪神社がある。この神社が建てられたのは明治20年、山頂にある奥宮に対する里宮としての位置づけだった。広馬場から山頂への道がいつごろからあったのかはわからないが、五合目からの急なやせ尾根に道が開かれた状況から、榛名山を修行の場とした榛名山厳殿寺の行者たちが関わった道と思われる。この道に鎖や梯子をかけたのは黒神山信仰の組織で、鎖には「(丸に高印)敬誠講 明治十五」銘が読みとれた。この1年前、石祠だった山頂の黒髪山神社を地元の有志が発起人となって社に造営している。黒髪山信仰の組織はこの道に大量の石造物も造立した。しかしその参道の下半分の相馬ヶ原は、戦前からあった陸軍演習場が戦後米軍の接収されて消滅。基点だった黒髪山神社の里宮境内に「昭和二十八年」造立の「右相馬山道」の道標が残る。消滅した道を案内するこの道標の造立目的は不明。
 かつての道はここから相馬ヶ原を突っ切ってガラメキ温泉に向い、温泉から相馬山の南の谷に入って行った。この谷には堰堤工事にともなう林道が入ったため、信仰の道はなくなった。それでも谷筋に「明治十四年 黒髪山表口」の石柱が立ち、不動や霊神碑があった。対岸には線刻の不動三尊(不動明王・制吒迦童子・矜羯羅童子)も。そして表口石柱の先には「三十六童子 八大童子」銘の石塔もあって、この谷筋に立ち並ぶ不動三十六童子と不動八大童子の文字塔に導いてくれた。
 確認した三十六童子は34基(不動三十六童子はこのブログの山梨・雨乞山で案内した)、不動慧と囉多羅の二尊は記録されていなかった。見落としたのかもしれない。八大童子は指徳(しとく)・慧喜(えき)・慧光(えこう)・阿耨達(あのくた)・烏俱姥誐(うくばか)の各童子と・清浄比丘(しょうじょびく)の6尊。これに三十六童子で見た矜羯羅・制吒迦を数えれば八大童子となる。いずれも高さ70~100センチの自然石に童子銘があった。この先には「摩利支天」「黒髪山不動明王」の石塔もあった。

 林道に戻って奥に進むと、線刻の如意輪観音と霊神碑が立つ広場で谷は二俣となって道は終わった。かつての信仰の道は二股の間にある尾根。やせ尾根で鎖や鉄梯子が連続した。「七合目」「八合目」に町石もあった。八合目には「成田山不動明王」の石塔もあった。



【独り言】 相馬山の石造物を見ると、造立のきっかけとなったのは木曽御嶽信仰の影響が強く出ています。山頂に立つ御嶽座王権現やスルス峠からの尾根道にある八海山や三笠山の文字塔も御嶽の神々です。先に案内した不動三十六童子は、御嶽信仰の行者・儀覚が成田不動の三十六童子を御嶽一の池火口に勧請したもので、この童子は御岳を勧請した各地の里山でも見ることがあります。八合目の「成田山不動明王」も同じです。摩利支天も御嶽に古くから勧請されていた仏です。それに霊神碑は御嶽信仰の行者たちが始めたもので、これも御嶽独特の祀りかたです。
 江戸時代末期から明治にかけて、御嶽信仰に倣って各地に霊山を開いた行者が出ました。甲斐駒ヶ岳の延命、八ヶ岳の作明、乗鞍の明覚などが知られていますが、この相馬岳でもそのような行者がいて黒髪山信仰を立ちあげたようです。その行者・南和重郎について『榛東村誌』(注)から人となりを紹介します。
 南和重郎 天保五年(1832)相馬山山麓の広馬場生まれ。修験の行者であり、柔術家、医術家(接骨・漢方・指圧)でもありました。相馬山登山の一千回を目標に修行にはげみ、山頂に宮を建立するとともに、生地に黒髪山を勧請して黒髪神社里宮を建立しました。山岳信仰の盛んな折に登山講の先達、平常は医師として病人を助け、柔術家として青年の指導に当たる優れた指導者でした。明治42年没。
(注)『榛東村誌』昭和61年、榛東村誌編さん室


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2 コメント

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榛東村の行者堂 (クタビレ爺イ)
2022-06-07 02:31:54
始めましてクタビレ爺イと申します。
突然の質問で凝縮ですが榛東村の相馬山表口の
石碑付近の対岸にかって行者堂が存在したと
聞いていますが行って見たいのですが何か
位置情報をお持ちでしょうか?
この地が進駐軍に接収されたときに廃棄されたが
痕跡があるとか聞いたもので。
小生、雨乞い線刻など探したときに36童子文字塔を
訪問したことがあります。
 
行者堂の件で (偏平足)
2022-06-07 09:35:17
相馬山の黒髪山表口の行者堂の件ですが、その場所はガラメキ温泉の西、榛名白川沿いの林道が入口です。かつての信仰の道は白川の左岸にあり、入口に「黒髪山表口」の石柱が立っています。その先に「寛瀧霊神」「不動明王」ほかの石塔が並び、対岸の大岩の上に線刻の不動三尊が祀られています。行者堂についてはわかりませんが、この場所が何らかの修行地だったような印象はありました。

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