偏平足

山と石仏と独り言。

石仏774萬蔵山(栃木)慶尊、宝篋印塔

2018年01月15日 | 登山

萬蔵山(まんぞうさん) 慶尊(けいそん)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)

【データ】 萬蔵山 534メートル▼最寄駅 JR東北新幹線・那須塩原駅▼登山口 栃木県大田原市北野上の尻高田集落、地図の黒丸印▼石仏 萬蔵山中腹の萬蔵山雲光教寺、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】 八溝山の南西山麓にある小さな山が萬蔵山。その中腹にかつては大きな寺院があった。寺の名は雲光教寺。いま長い石段と三門と観音堂が残っている。登山口は尻高田の集落。小さな石橋を渡って参道に入り、堰堤を越えて車も入れるような広い道をたどると御堂下に出る。ここに取り上げる宝篋印塔は境内の隅に立つ。石仏の形態分類では、隅飾突起の代わりに大きな笠をもつこの石造物も宝篋印塔としている。
 宝篋印塔は下から基礎・塔身・笠・相輪の順に組まれ、塔身に阿閦ウーン・宝生タラーク・阿弥陀キリーク・不空成就アクの金剛界四仏の種字が入る。雲光教寺の塔もその種字が入っている。台座を含めた高さは216センチ。隙のない凛とした宝篋印塔である。台座には「干時享保五庚子歳(1720) 雲光寺第七世陰住慶尊」銘。台座には「雲光寺」とあるが『黒羽町誌』では「雲光教寺」としている。慶尊については分からない。
 慶尊ではなく「尊慶」銘のある石造物が、境内から少し下った墓地らしい一角にある。「権大僧都法印尊慶不二位 旹寛保三癸亥歳(1743)」。尊慶の詳細もわからないが、江戸時代中期にこの雲光教寺で盛んに石造物の造立があったことは確かで、御堂前には「元禄十三辰(1700)念仏人数廿八人」の如意輪観音が坐している。
 墓地らしき一角にある宝篋印塔は、基礎が二段でそれぞれの枠が二区からなる(写真赤丸印)関東式。宝篋印塔については「独り言」で案内。また、萬蔵山仏光教寺については次回で案内する。
 


【独り言】 宝篋印塔 山で宝篋印塔に出会うことは少ないものの、このブログの茨城・宝篋山で国宝級の宝篋印塔=写真上=を案内しました。その形からすると萬蔵山の大笠がついた宝篋印塔は異形です。中世から造立されてきた宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼(災害から免れて、死後極楽往生できるという有難い善行を解いたもの)を納める塔です。その形、石塔では簡素な関西式と基礎が二段でそれぞれの枠が二区からなる関東系に分けられます。ここまでは石造物のどの案内書に書かれている部分です。
 しかしこれが近世初頭に大化けします。その一つがこの萬蔵山で案内した大笠付の宝篋印塔です。ほかにも隅飾突起がロバの耳のように大きくなったもの=写真中(新潟・弥彦山)=、相輪が巨大化したもの=写真下(神奈川・八菅山)=などもあります。これらの石塔を宝篋印塔としたのは、この形のいくつかの塔身の宝篋印陀羅尼の種字(シッチリア)や台座に「此宝篋印塔者……」などの銘があったためで、したがってその銘がなくとも、この形を宝篋印塔に分類しています。しかしこの経緯を知らないと、なんとも分類しにくい石造物となってしまいます。大化けした宝篋印塔は墓石としても立てられたことでさらに変形がすすみましたが、大笠付、ロバの耳、巨大相輪の三つ(この名称は個人的なもので、学術的表記はわかりません)を抑えておけば迷うことはありません。
 上の写真はこのブログの岩手・観音山で案内した宝篋印塔です。塔に「宝篋印塔」銘があったのでそうしました。このような塔を『日本石仏図典』(日本石仏協会)では「三重宝篋印塔」としています。


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