硯・高塚山(たかつかやま) 勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)

【データ】 硯・高塚山 119メートル。国土地理地図に山名無し。硯集落北の119.8三角点▼最寄駅 いすみ鉄道・上総東駅▼登山口 千葉県いすみ市下布施の硯集落▼石仏 高塚山山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【案内】 硯集落の裏山が高塚山で、集落奥の墓地が登山口。途中で出会った集落の人の話では、山頂には愛宕大権現が祀られていたという。かつての道は倒木で歩きづらいので、林のなかを真っすぐ登れば稜線に出、左にひと登りで山頂だと教えられた。
その山頂に2体の勝軍地蔵が祀られていた。勝軍地蔵は京都愛宕山を本山とする愛宕権現の本地仏である。1体は山頂手前のシイの巨木の根本にある高さ50センチの勝軍地蔵。兜をかぶり、右手に錫杖、左手に宝珠を持って馬にまたがる姿。1体は山頂の南側土手に掘られた土室に納められた高さ50センチの勝軍地蔵。こちらも右手錫杖、左手に宝珠を持って馬にまたがるが、兜はない。側面に「天明三(1783)」とある。
愛宕信仰が火防の神であり、本地仏が馬に乗る勝軍地蔵であることを一言で説明することは難しいが、この信仰を広めるのに利用された「愛宕山曼荼羅」が愛宕山の縁起の変遷を図像化しているので、その絵解きをアンヌ・マリ ブッシイ氏の「愛宕山の山岳信仰」(注)から要約しておく。
愛宕山曼荼羅は上に日月輪が描かれ、その下の大杉は山の神の依り代。次に山の神の表象としての天狗と天狗の本地・地蔵菩薩が並ぶ。ここまでが愛宕信仰の原始的な形となる。次に描かれているのは中世から盛んになる勝軍地蔵で、これは天狗の修験道化を示している。なお勝軍地蔵は馬に乗っているが、愛宕の山の神としては猪に乗るのが本来の姿。これが馬になったのは武将に信仰されることにより、勝軍・将軍との関連が強まってからであろう。その下に並ぶ毘沙門天と不動明王は修験霊場の守護仏。次の役小角と前鬼・後鬼は愛宕山を司る修験集団を表現している。
江戸時代になると、火防の神として京都の愛宕権現が各地に勧請された。その場所は集落を見下ろす小高い山の上が多い。参道として急な石段を造るのもこの神社の特徴である。硯の高塚山も山頂したに急な階段が造られていた。かつては見通しきく山だったはずである。
(注)アンヌ・マリ ブッシイ著「愛宕山の山岳信仰」昭和53年、『山岳宗教史叢書11近畿霊山と修験道』名著出版
【参考】このブログの瀬尾愛宕山(栃木)で、猪に乗る将軍地蔵を案内している。
【独り言】 登山口への道端で、小さな動物が逃げて行くが見えました。逃げ出した方を見ますと、オリの中に同じような動物が一匹入っていて盛んに暴れていました。どうやら仕掛けたオリの罠にかかったようです。逃げた一匹は仲間の様子を見にきていたのでしょう。
山を下ってくると、道を尋ねた集落の人たちがオリを運び出すところでした。聞くと、かつて房総にあったレジャー施設で飼われていたキョンという鹿の一種だという。台湾あたりに生息しているようで、大きさは小型犬ぐらい。オリに入ったキョンには角がついていました。レジャー施設が倒産したあと逃げ出して野生化したらしいです。いま房総ではこれが増えすぎ、畑を荒らすので大変困っているとか。
オリを運ぶときキョンは危険を感じたのか、ギャーというような奇声を発して暴れまわりましたが捕らわれの身、軽トラックに乗せられて連れられて行きました。








