偏平足

山の石仏と独り言。

石仏949伊豆・富貴野(静岡)橋供養塔

2021年01月15日 | 登山

伊豆・富貴野(ふきの) 橋供養塔(はしくようとう)

【データ】 富貴野 564メートル▼最寄駅 伊豆箱根鉄道・修善寺駅、伊豆急線・下田駅▼登山口 静岡県松崎町門野▼石仏 富貴野山宝蔵院参道、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【案内】 西伊豆・松崎町の北西に富貴野という山がある。山頂の一画にあるのが宝蔵院という寺。寺の縁起では弘法大師開山の真言密教の聖地ということになっているが、平安時代の初め岩仲という僧が初代で地蔵菩薩を本尊とする富貴野山地蔵金剛宝蔵密院と称したようである。しかし室町時代の文明年間に24世梅翁の示寂に以後荒廃した。これを文亀(1501~1504)のころ再興したのが河津町の普門院4世清安で、これを機に曹洞宗に改宗し宝蔵院となった。以後28世善応まで続いて、今は無住となっている。寺への本道は西伊豆町の一色から。このときは松崎町の門野から入った。車道は富貴野の一角にある宝蔵院まで続いている。


 富貴野の山頂地近く、一色と門野からの道が合流するところから男道と女道が宝蔵院まで続いている。そこに立っている石碑が橋供養塔だ。碑の側面に「文化癸酉(1813)春三月/當十七世大岡」とある。正面の銘は読めていないが、橋の文字がいくつかあったので橋供養塔とした。実はこの場所は門野から登ってくると川を渡る場所になっていて、いまも木造の橋がかかっている。当時の橋が石なら石橋供養塔となるが、碑銘からは橋らしいことしかわからない。
 橋は生活に欠かせないもの、聖による架橋、霊魂の宿るところ、境界・結界の地でもあり、おのずと橋の伝承・信仰が育まれた。これが江戸時代になると、橋を架けると同時に供養塔も立てられるようになった。橋の信仰についてはこのブログの燧ケ岳で檜枝岐の橋姫白山で布橋勧請を案内した。



【独り言】 富貴野の橋供養塔から男道は尾根に造られた石段が続く立派な道です。道端には地蔵菩薩の丁目石が置かれていたそうですが、今はすべて宝蔵院の境内の山門跡に集められています。舟形光背の地蔵の一つには「七丁目/一色村/諸願成就/寛政十二年庚申年」銘がありました。ほかにもいくつかの丁目が入った地蔵がありますが造立年がまちまちで、概ね寛政年間(1789~1801)に立てられた地蔵のようです。
 地蔵が集められた宝蔵院の山門跡には200基近い石仏が並んでいました。これについては次回に案内します。


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