八ヶ岳・西岳(にしだけ) 菩薩立像(ぼさつりゅうぞう)
【データ】 八ヶ岳・西 2530メートル▼最寄駅 JR中央本線・富士見駅▼登山口 長野県富士見町の富士見高原ゴルフ場▼石仏 西岳山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】 西岳には昔登っているに違いないと資料を調べたら、日付の記載がないものがあった。前後の資料から昭和50年代前半と思われる。このときは山梨側から権現岳の題目尾根を登ろうとしたが、登山口がわからず天女の森から権現岳に登り、西岳経由で乙事集落に降りている。このときの西岳の石造物を「二体の首なし菩薩」と記録し、その一体に「文政八乙酉(1825)」銘もあった。さらに「妙見大菩薩」「御嶽神社」銘の石塔も記録されていた。
それから乙事集落に下る途中の不動の清水には「安曇大神」「水天明王」「妙見大菩薩」「馬頭□□□」など5基の文字塔があった。そのときの略図を見るとトイレもあり、不動の清水は立派な休憩地になっていたことがわかる。乙事から不動の清水を経て西岳、あるいは権現岳へ参る信仰の道があったのだろう。
昭和10年代に登山案内書(注)では、富士見から乙事集落経由で西岳に登るコースにあるこの清水を「オトシの水場」と案内している。オトシの意味はわからない。この本の山梨県側から権現岳へ通じる尾根には、十二山尾根、御神楽尾根、題目尾根などの名称がついています。この信仰の臭いがする名前につられて登ったのだと思う。
(注)『日本山岳案内12八ヶ岳火山群』昭和18年、鉄道省山岳部
【独り言】 八ヶ岳の石仏調べは昭和40年、20代のころからしていましたが、記録を見ると登山なのか石仏調べなのわからないいい加減なものがいくつもあります。昭和59年の西岳登山も記録のなかに石仏情報は少なく、当時の写真をみると美濃戸口から入って御小屋尾根の不動を写し、阿弥陀岳の阿弥陀如来、赤岳の不動明王、権現岳の不動明王、西岳の頭部なし立像を撮影していて、今になっては何が目的だったかはっきりしません。コース的にも不思議であり、必要な石仏の写真だけ撮影する登山だったようです。このときのメモのなかに、阿弥陀岳にある摩利支天を探したが見つからなかったとあるので、以前に見た女神の摩利支天を撮影するのも目的だったのだと思います。
メモのなかに、権現岳の石造物には「乙事村講社」「乙事村世話人」などの銘があったことを記録しています。乙事は西岳の南山麓の集落名で西岳や権現岳の登山口でもあり、このとき下った集落名だったのでメモしたのか、新しい発見なので記したのかこれも今になっては思い出せません。