偏平足

山の石仏を訪ねて放浪中。その折々に出会った石仏を案内。

石仏739高畠山(群馬)閻魔王、俱生神

2017年06月23日 | 登山

高畠山(たかはたやま) 閻魔王(えんまおう)、俱生神(ぐしょうしん)

【データ】 高畠山 1143メートル▼最寄駅 JR上越新幹線・上毛高原駅▼登山口  群馬県みなかみ町須川▼石仏 高畠山南東中腹の観音山、地図の赤丸印。青丸は高畠山への取り付き▼地図は国土地理ホームページより

【案内】 ここに案内する閻魔王は、高畠山の中腹の御堂下にある。登山口は須川の奥の水道施設。少し登った分岐に「観音山」の道標が倒れていた。杉林のなかの緩やかな登りが続いて馬頭観音の石仏が並ぶ一角に出る。像容のある馬頭が2尊(1尊は頭部なし)、文字馬頭尊が3基。個人の造立である。中腹の御堂の名称は不明だが、観音山に馬頭観音なので観音堂としておく(写真を整理していて気付いたのですが、御堂にかかげられた歌の額に「北毛駒形山馬頭観音堂」とありました)。
 間もなく観音堂で、石段下両脇に2尊が構えるように坐している。向って右側像の頭上に「王」の銘があるのが閻魔王。閻魔王は冥途の入り口、十王の中心になる裁判官である。十王そのものが、インドの地獄思想と中国の人の寿命と福禄を司る泰山冥府信仰が習合したものであるから、その像容はどれも道教風の被り物(幞頭=ぼくとう)と服装で笏を持つ。観音堂下の閻魔王もその姿である。死者は七日ごとにこれらの王の前に引き出され、生前の行いが問われるのである。
 初七日秦広王、二七日初江王、三七日宋帝王、四七日五官王、五七日閻魔王、六七日変成王、七七日太山王。中陰といわれるこの四十九日の七回の裁判で、死者の来世(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の行き先が決まる。地獄や餓鬼畜生などに落ちた死者を百日目に再審するのが平等王、一周忌の再審は都市王、そして最後の再審が三周忌で五道転輪王。いずれも遺族の追善供養で左右されるとされている。

 石段を挟んで閻魔の反対側にも十王らしき石像が坐す。像容は閻魔とは若干異なる。眉間のしわ、だらしなく開いた口は十王とは思えない。左手に持つ棒状のものを筆記用具とすると、俱生神かもしれない。俱生神は人の誕生と同時に生まれる二神。常に人の肩にあって、善行を記録する同名(どうめい)と悪行を記録する同生(どうせい)。人の死によって冥途の十王に届けられるという。
 石仏で閻魔と対で造立されるのは奪衣婆が多い。他に対になるのに裁判を記録する司録(しろく)・司命(しめい)もあるが、ここでは像容と持物から俱生神としておく。それから観音堂近くに「七夜待塔」があり、次回の番外高畠山で案内する。
 ところで高畠山だが、観音堂から登る道はない。このときは北の峠から登った。

【独り言】 観音山への道でのことです。朝方雨が上がって好天になり、杉林の道は湿っていて気温も上がってきました。こんなとき、丹沢あたりじゃ山ビルが出るよと、同行のカミさんに話していたら、足元からその山ビルがひょろひょろ湧き出すのを見てしまいました。ズボンを見るとすでに一匹しがみついています。ストックで何度も叩いてやっと落としましたが、山ビルの吸引力はものすごく、それが皮膚にはりついて吸血鬼となるんですからたまりません。観音山を下りてズボンをまくり上げると、なんと三匹も吸い付いていて足は血だらけでした。
 高畠山には地図に登山道がある北側の峠から登りました。しかしそこからの道はすでになく、送電の鉄塔から登山開始です。尾根を境に雑木と杉の緑林の間をしばらく登るとやせ尾根になり、虎ロープがフィックスされた岩尾根になります。初心者には勧められないコースです。カミさんもここで待機。その先にも虎ロープが2ヶ所あり、緩やかな山稜になって展望も何もない高畠山山頂です。

 地下山して靴下を脱ぐと、まるまる太った山ビルが一匹転げ落ちました。痛くもかゆくもない吸血鬼と歩いた、後味の悪い登山でした。



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