鳳来寺山(ほうらいじさん) 峰ノ薬師(みねのやくし)
【データ】 鳳来寺山 695メートル▼最寄駅 JR飯田線・本長篠駅▼登山口 愛知県新城市門谷▼石仏 鳳来寺参道の上部、地図の赤丸印。青丸は利修像▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】 鳳来寺山は薬師の山。山中に鳳来寺が建つ。徳川家康は、両親が鳳来寺の薬師如来に祈願して生まれたとされ、鳳来寺は峰ノ薬師とも言われている。門谷から鳳来寺へ続く長い石段の上部、本堂も間近の参道に「峯薬師如来/文久二戌年五月吉日」銘が入った石燈籠が立っている。それは中央に石段を設けた石垣の左右に対で建てられた石燈籠。石垣上の中央には仏像が置かれたであろう石の円形台座だけが残っている。この台座『鳳来寺山案内』(注1)には「金仏様・丈六薬師」と案内されていたのでその一部を引用する。
「昭和二十年のはじめまで、ここに大きな銅製の露座の薬師如来の坐像がありました。金仏さまと言っていました。戦争が激しくなって、銅の不足を補うために国に召されて行ってしまいました。(略)丈六は一寸六尺のことで、約四・八メートル」。そしてこの薬師は「座っていても、立てば丈六という寸法になるように作られています。このお薬師様は座っていました」
次に峯ノ薬師だが、この名称について明快に説明されたものはまだ見ていない。奈良時代にこの国の各地に建てられた国分寺の本尊の多くは薬師如来だったことを出すまでもなく、薬師は仏教伝来からの仏で、その信仰も古い。五来重氏は「山の薬師・海の薬師」(注2)で、法隆寺の西円堂が俗に「峯の薬師」と呼ばれ、醍醐寺の上の醍醐の薬師堂も新薬師寺の旧地香薬師も峯の薬師だったと推測している。そして薬師が山に多いのは、密教が入る以前からあった修験が関係していたという。
(注1)鳳来寺山開山1300年祭実行委員会『鳳来寺山案内』2003年
(注2)五来重編『薬師信仰』民衆宗教史叢書12、1986年、雄山閣
【独り言】 利修(理趣・りしゅう) 鳳来寺山に登る前に、登山口の門谷にある鳳来寺山自然科学博物館に寄って『鳳来寺山案内』を手にいれました。そこに案内されている利修(理趣ともいわれた)仙人は、飛鳥時代の人で鳳来寺の開祖となっています。利修は三匹の鬼を従え、鳳凰に乗って空を飛ぶ仙人です。まるで役行者です。同書には役行者は利修と兄弟で、鳳来寺山に利修を訪ねてきたという説もあるとも紹介されています。その利修の石像が鳳来寺への長い石段を登り始めるとすぐの大きな一枚岩の下に祀られていました。

利修仙人の高さは140センチ。左手に経巻を持ち右手は欠けているのか不明です。背には羽根の衣が見えました。まるで役行者のような風貌です。
山田知子氏の「鳳来寺と三河・尾張の薬師信仰」(注2)によると、先に紹介した利修の話は慶安元年(1648)に記された『鳳来寺興記』が種本になっているようです。

利修仙人の石像は、本堂から奥の院へ登る道にもありました。その道で谷から登ってきた仙人のような人に出会いました。谷にも道があるのかと尋ねますと、この山のある七本杉の一つを見てきたというのです。なんでも鳳来寺の薬師は7本杉の1本を切って彫刻したもので、今は6本しかないので六本杉というそうです。
このような伝承がいくつも残る鳳来寺山ですが、幅3メートル近くある参道の石段や途中に残る天台や真言のいくつもの寺院跡を一つひとつ訪ね、往時の繁栄を想像しながら登ると、この山独特の開山伝承が創作されたのも納得できる山でした。








