偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏439霊山(福島)

2013年04月01日 | 登山

霊山(りょうぜん) 清水式千手観音(きよみずしきせんじゅかんのん)

439【データ】霊山 825メートル▼国土地理院25000地図 霊山▼最寄駅 JR東北本線・福島駅▼登山口 福島県伊達市霊山町大石地区の霊山閣跡。地図の青丸印▼石仏 紫明峰の一角鷲岩の東南にある神社。地図の赤丸印

4391【案内】霊山には西側の大石地区から、霊山寺、霊山神社を参拝し、紫明峰と呼ぶ岩場のコースを巡りながら登った。中世には東北天台宗の中心の一つとして栄えたかつての霊山寺は、西側に屏風のように岩峰を並べる砦のようなこの山の上にあった。この地を利用して、南北朝時代には城もあって、城主である北畠氏は南朝方。戦乱の結果城は落城、霊山寺も灰燼に帰して今は堂宇の礎石が残るだけ。霊山寺跡の近くに建つ日枝神社だけが、天台宗の栄華を伝えている。しかしこの社殿も荒れている。神社の境内にこれも荒れた観音堂が建ち、内部には古風な千手観音の石仏が鎮座している。高さ4392 4393 100センチ。右手の一部が欠けているものの、三又鉾・宝輪・蓮華などほとんどの持物も確認できる。千手観音はかつて山の上にあった霊山寺の本尊だった仏。その本尊、大石地区の霊山寺にあった案内では、十八尺(540センチ)もの大きな千手観音だったとある。それには比べようもない観音堂の千手観音だが、なにもない荒れたお堂には不釣り合いな堂々とした石仏である。よく見ると左右から頭上に二本の手が伸びていて何かを持ち上げている。その部分は欠けているが、千手観音でも特に頭上に両手をかかげて化仏を載せる様式を清水式としているので、この石仏は18臂の清水式千手観音となる。十八尺の千手観音も清水式だったのだろうか。佐藤俊一氏の『福島県の磨崖仏』には、この霊山から少し離れた小高町(現南相馬市)の大悲山磨崖仏群の後窟観音が紹介されているが、この千手観音も清水式である。高さ750センチのこの坐像磨崖仏は平安時代中期から後期にかけてのものとされており、大悲山の本尊。したがって霊山の山中にあった霊山寺に十八尺の清水式千手観音があったとしても不思議ではない。

43944396【独り言】霊山の山中にある日枝神社は荒れていると案内しました。それは扉がないという外見上だけでなく、社殿内のありとあらゆる場所になぐり書きされた“落書き”を見てそう感じたわけです。そのほとんどは町村名と名前の登山記念のような内容です。若い頃、山小屋の壁に名刺を貼り付けてあるのや、山頂に名刺入れのケースがあったりするのを見て、名刺のない者は落書きでもするしかないか……などと思ったりもしました。それでも山中にある神社仏閣に落書きするような人はいなかったはずです。ところでこの霊山の日枝神社は扉もなく出入り自由なため、登山者にとって格好の休憩所になっていたのでしょう。そのために記念の落書きをする者がいたということなのでしょう。この落書きは30年前の昭和58年に登ったときからあったものです。それに4395 比べれば、かつての落書きも薄くなってきた部分が多くありました。もちろんその上に書き加えられた落書きもありました。全体的に見れば落書きも風化しつつあるということです。数年前、海外の教会で落書きをした女子大生がいましたが、いま山小屋や神社仏閣に落書きをするという行為は完全に風化しているはずです。下の写真は昭和58年の日枝神社。

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