偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書272 五神神名塔(埼玉県本庄市児玉町)

2024年03月12日 | 里山石神端書

埼玉県本庄市児玉町秋山・秋山新蔵人神社の五神神名塔

 秩父の山脈は本庄市の西の児玉町あたりから始まります。その山裾に建つ秋山新蔵人神社は、南北朝時代この地に縁があった秋山新蔵人光政の子孫が祀ったものと、境内の案内にありました。それは小さな社殿で、秋山集落に建つ寺社はどこも質素といった印象です。



 境内の隅に五角柱のそれぞれに「埴安媛命/倉稲魂命/天照大神/大己貴命/少彦名命」銘を刻した五神神名塔が祀られていました。高さ78センチ。五神神名塔は関東では、佐倉、相模など限られた土地で造立されたことがわかっています、どこでも70センチ前後の高さです。この石塔の造立目的は五穀豊穣を願うもので、土の神を祀る〝社日〟の習俗が根底にあるとされ、この石塔を地神と呼ぶ地方もあります。
 社日は「一年に二回あり、春分と秋分に最も近い戊の日をいう。この日は、産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊穣を祈り、秋には収穫のお礼参りをする」(注1)。
 この社日を石造物として具体化した一つが、五画柱に五神名を刻した様式で、それを提唱したのが大江匡弼(1725頃~1790)、天明元年(1781)に著した『春秋社日醮義(しょうぎ)』にあると指摘されています。匡弼は関西の人で、宗教学者。
 具体的な祀り方は、同書に図解されていて、五角の石柱に五神の名を刻むこと、天照大神を北向きに祀ることなどが基本となっています。これが徳島地方に多いのは「寛政元年(1789)、富田八幡宮祠官・早雲古宝が時の徳島藩主蜂須賀治昭に意見を申し入れ、以後各村浦に地神塔を建てて祀らせるようになった」(注2)とあるように、藩あるいは宗教者の勧めがあっての造立だったようです。
 児玉町の山には実に様々な神々が祀られていて、近世に宗教者が盛んに活動をした痕跡が見られます。五神神名塔は秋山集落の西の稲沢集落の山中でも見ていますから、この地方でもこの神を祀るよう勧めた宗教者がいたはずです。
(注1)『こよみ読み解き辞典』1993年、柏書房
(注2)高橋普一著「地神信仰に見る均質性と多様性-徳島県那賀郡那賀町の事例より―」『日本の石仏』№96、日本石仏協会
(地図は国土地理院ホームページより)


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