偏平足

山と石仏と独り言。

石仏番外 萬蔵山(栃木)石祠

2018年01月19日 | 登山

萬蔵山(まんぞうさん) 石祠(せきし)

【データ】 萬蔵山 534メートル▼最寄駅 JR東北新幹線・那須塩原駅▼登山口 栃木県大田原市北野上の尻高田集落、地図の黒丸印▼石仏 萬蔵山山頂、地図の赤丸印。青丸は雲光教寺▼地図は国土地理院ホームページより
【独り言】前回、萬蔵山(宝篋印塔)の続きです。訪ねるのは地元の人だけという山中に建つ寺社は、扉を固く閉ざして鍵をかけているものです。鍵をかけないとどうなるのか。その状況は福島・霊山でも書きましたが、落書きの仕放題になりました。同じ光景をこの萬蔵山雲光教寺の三門でも見てしまいました。この仕放題はやがて石造物の破壊にまで及んで、萬蔵山では境内の石塔や山頂の石祠まで壊されたと、報道された新聞の切り抜きが観音堂の壁に貼りつけてありました。前回案内した萬蔵山の宝篋印塔には「H20.5.2日修理」と墨書きされていました。
 山頂の石祠も壊され、写真は修復されたものです。祭神は不明です。山頂へは、観音堂境内の右手の宝篋印塔からです。不動明王がある沢を横切った先の尾根に踏み跡があります。
 御堂の壁にあったものからもう一つ、供出された鐘の説明書きを紹介します。「昭和十七年(略)二百有余年満蔵山に有って参拝者を驚かす豪大にして音声羽黒中に響かせた釣鐘も、この大東亜戦争に参加すべく充員召集令が下り本日講中惣出にて送り出し記念撮影した」。
 観音堂には〝しゃもじ〟が沢山納められていました。新しいしゃもじもあるので、信仰はまだ続いているようです。どのような信仰から納められのかわはかりませんが、柳田国男の「杓子と俗信」(注1)によると、しゃもじは杓子が変化したものとし、これを納める寺社が各地にあることから、広島・宮島のしゃもじが〝誓信〟という行者が作りだしたように、宗教者が関わっていたことを指摘しています。
 ここで萬蔵山仏光教寺の観音堂について『黒羽町誌』(注2)から簡単に案内します。伝えによると、開山は雲巌寺(山を一つ越えた谷間にある松尾芭蕉も逗留した古刹)の仏国国師(仏国の師は鎌倉・円覚寺を開いた無学祖元)、鎌倉時代の中頃のようです。戦国期に荒廃していたのを復興させたのは黒羽城主で、釣鐘も元禄四年(1691)に藩主の資金援助で鋳造。江戸の鋳物師・田中丹波守藤原重行を招いて造ったそうです。そして、「現在は廃絶して観音堂一宇あるのみ」と記されていました。
(注1)『柳田国男集第四巻』「資料としての伝説」の「杓子と俗信」昭和43年、筑摩書房
(注2)『羽黒町誌』昭和57年、黒羽町誌編さん委員会




コメント   この記事についてブログを書く
« 石仏774萬蔵山(栃木)慶尊、... | トップ | 石仏775高戸山(茨城)馬頭観... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。