goo blog サービス終了のお知らせ 

偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏1000片曽根山(福島)磨崖仏

2021年09月24日 | 登山

片曽根山(かたそねやま)磨崖仏(まがいぶつ)

【データ】 片曽根山 719メートル▼最寄駅 JR磐越東線・船引駅▼登山口 福島県田村市船引町の船引駅▼石仏 山頂に西側、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより▼この案内は拙著『里山の石仏巡礼』(平成18年、山の渓谷社)から転載したものです

【里山の石仏巡礼91】 昭和29年(1954)の夏、上級生に連れられて初めて片曽根山に登ったとき、山の裏側に広がる大きな世界を見た。それは安積平野と、その後ろに連なる吾妻から那須に続く山脈だった。これ以来、山の裏側を見るのが山登りの楽しみとなり、今も続いている。そのとき見た石仏も印象に残り、山の石仏探しも今だに続いている。片曽根山の山頂には磨崖仏の三十三観音があって、それを探し出すのも楽しみの一つだった。弁慶が刻んだ磨崖仏との伝えを信じて何度も藪をかきわけたが、所詮子供の遊びであり三十三体すべて数えたことは一度もなかった。
 磨崖仏は岩に直接仏像を刻んだもので、平安時代には日本各地に大型で肉厚のものが造られた。なかでも畿内と九州大分の磨崖仏は数も多くよく知られており、次に多いのが阿武隈山地の周辺なのだが、これについてはあまり知られていなかった。片曽根山の磨崖仏は線刻の三十三観音、彫りが浅いうえ形も小さく、素人の手によるものであることは明らかだった。
 昭和49年の冬、久しぶりに片曽根山に登ったときには山頂まで車道が切り開かれ、三十三観音がある岩場は藪が刈られて石仏散策コースになっていた。これで石仏探しの楽しみはなくなってしまったが、初めて三十三体確認した。入口にある案内には「今から七百年前、弁慶坊が一丁の鉈で刻んだと伝えられているが、農民の一人が安楽平和と五穀豊穣を念じて刻んだものではないか」とあった。

 平成4年の夏、片曽根山山麓に住む郷土史研究者・吉田今朝太郎氏から「片曽根山三十三観音の由来」なる冊子が届いた。吉田氏にはこの数年前に、片曽根山の南にある鞍掛山の姥神を案内していただいていた。冊子には、片曽根山の三十三観音は「江戸時代の文政のころ、山麓に住む農民・橋本辰治が自分の体調を治すために山に籠って刻んだもの」と記されていた。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石仏999苗場山(新潟)道祖神 | トップ | 石仏番外 山の石仏案内1000 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。