とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

時間は存在しない --宇宙は時間を数えない

2015-03-21 13:26:10 | 哲学・学術
「時間は存在しない」というと、ん? まーた難しい話しか、と思われるかもしれないし、実際難しいことはちょびっと話すのだが、なるべく分かりやすい形で書こうと思います。

時間って一体なんだろう? と考えると、実際問題、バックトゥザフューチャーやドラえもんのタイムマシンなどを想像する人が多いのではないだろうか。
つまりこの世のどこかに我々が経験した過去が、空間のスナップショットとしてあったり、あるいはこの世のどこかに我々がこれから経験するだろう未来の舞台が計算上で用意されていたり、という具合だ。

じゃあ、そうしたタイムトラベルをした人はいるの? というとどこにもいない。うろ覚えながらに書くと、昔見たテレビでは、「私はタイムトラベルを経験しまして~」という外国人が出たような気もするが、この世で理論を用いて同じことを二回以上繰り返せない場合は、科学として役に立たない。偶然が折り重なってそうなったかもしれないけれども、まあ実際にはありえない、というのが一般的な見解だ。

それでは、過去と未来と現在というものを我々は想定しているけれども、それは本当に存在しているのか? というと実は現代物理学でもよく分かっていない。宇宙構造の一つなのか、存在するのか、過去・現在・未来は順序があるのか、同時に存在するのか、人類が社会を運営する為に生み出した概念なのか(ディスカバリーチャンネルより)・・・これらは同ディスカバリーチャンネルでは「現在においても科学の1・2を争う難題」と放映された。

人は自由に考えることのできる権利を持っている。なので、私はこのブログで既存の考えに囚われずに考えていって表明してみようと思う。

私の考えは次のようなものだ。
時間とはおおまかに分けて過去と現在と未来に分かれる。
それでは過去とは何だろうか? というと別に子供時代に戻れるスナップショットがこの世のどこかに存在しているわけではない。過去とは、我々の経験や記憶、あるいは記録でのみ存在する。逆に未来とは我々の予測や予想にのみ存在し、これもまた実在はしない。実在するのは現在だけだ。
この我々の記憶や想像の中でのみ存在する過去から、同じく我々の記憶や想像の中でのみ存在する未来にかけての時系列の数直線を認識してしまうのが、時間という概念の正体である。
つまり現在以外の実体は存在せず、過去と未来は我々の脳が作り出したイメージとしての産物にしかすぎない。
過去は実体として存在していたかもしれないが、現在の我々が触れえるものは現在しかない。
未来は実体として到来するかもしれないが、現在の我々が触れえるものはやはり現在しかない。

それでも我々が感じている過去と未来のイメージは、やはり実在すると実感するだろう。本当に実在はしないのだろうか? 

例を考えてみよう。
例えば人類やその他の生命が全滅した場合に、そこにある時間はどうなるのだろうか? 
確かに宇宙法則は適用され続けて、物体は規則どおりの運動をするだろう。
さて、そこに過去や未来の数直線をかたづくるだろうか? 答えはNo。宇宙の銀河が渦巻く時、そこには時間を数える者がおらず、過去も未来も、その両方とも扱う生命体はいない。あるのはただただ物質の位置的変化である。
絶対的に存在するのは「変化傾向」と「物体」のみ。これをよく憶えておいてほしい。

時間を我々が感ずるのは、ただ単純にその物質の位置的変化を過去と未来に振り分けて想像しているだけなのである。現実にあるのは「変化」と「物体」のみ。つまり現在のみに手が届いて過去と未来に手が届かないのは、過去と未来の実体とは、我々の想像の内側のみにしか存在しないものだからだ。
手が届く実体は現在にしかない理由は、変化傾向を起こす物体がそこにしかなく、「変化を起こした過去」と「こういう変化傾向を示すだろうという未来」というのは記憶や想像でしかないためである。

そしてその過去の鬱積の固着と自由な未来への予感があまりにも他者と共有されすぎていて、定義しやすいものだから、「過去はこの世のどこか、パラレルワールドなどの別の位置にオブジェクトが配置されてあるもの」、同様に、「未来は別の位置にオブジェクトが配置されてあるもの」と錯覚する。

しかしそのような過去は無く、未来もない。あるのはただただ現在だけだ。我々の脳は過去を記憶し、未来を予見する。そしてその数直線の流れが時間として認識されるのだ。この時間の流れを認識するのは生命体のみだけであって、そもそも宇宙は時間を数えない。物質の位置的変化を許容するのみで、宇宙は過去も未来も認識しない。ただ変化のみを許容する。

繰り返しになるが、重要なことなので再度記載する。ものごとは物質の位置的変化しかしていない。変化の許容先が未来であって、その実績が過去となるが、これは人間が作り出した認識の上での産物にすぎないのである。あるのはただただ物質の連続的な位置的変化である。

アインシュタインが時間を一つの次元として使用して、空間に時間をあわせて時空としたが、「時間を一つの次元として使用する」となると一般的には、物体の位置が行って戻ったりできる位置的軸があると認識してしまう。だが、これは誤りだ。
アインシュタインが時間を一つの次元として使用したのは、変化傾向を調べるのにその計算が便利であったからという認識にすぎず、位置的座標軸が一つ三次元に加わったという認識は誤りである。
不可逆進行を起こす目盛り軸が一つ加わる、という認識が正しいだろう。但し、これは飽くまで人間が変化観測や計算の利便性によって、つまり人間側の都合によって、宇宙の法則観測の為に付け加えた恣意的な考えに過ぎない。

時の流れが速いか遅いかというのは、これもまた意味が無い。人間が主体的に観測する際に速いか遅いかを論じているだけなのであって、例えばセシウム原子時計(誤差:1億年に1秒(10の-15乗))が、宇宙空間と地上で時間の進み方が違う、と観測されたが、これは物質の変化がしやすいかしにくいか、セシウムから放出されるマイクロ波の周波数に着目する必要があろう。地上と宇宙空間、双方の相対的な周波数の違いが時間の流れの違いだ、という言い方もできるだろうが、本質的には、物質変化の相対的な時間の流れの違い、つまり、地上では周波数がこれだけれども、それに比較して、宇宙空間では、周波数がこれに変化する、という物質や電磁場の変化に言い換えられる。全ては物質変化における進行度合いの相対的変化の観測なのであって、それを時間軸として捉えれば変化の観測がしやすいから人間が採用しているだけなのであって、宇宙に時間というx,y,zに続く第四の位置軸が存在するわけではない。存在するのは物質の位置的変化のみであり、物質変化における進行度合いの相対的変化の観測で、人間が時間という概念を遣えば予測や予想、管理もしやすいから、それを採用しているだけに過ぎない。


ディスカバリーチャンネルでは複数の人のコメントとしてそれぞれこう伝える。内容は上記論の比較から検証できるだろう。まずは書き出していこう。
私の論からすれば、下記でのディスカバリーチャンネルで放映された論は半分程度が否定される。
その半分の人は皆、人間が認識する時間の概念の枠から脱出できていない。
認識のみで存在する過去と未来がどこかにオブジェクトとして存在する前提で話を進めているように錯覚するような言い回しなので混乱をもたらすが、上述の私の論を思考の補助線として用意しておけば、さほど混乱はせずに済むと思う。



時間の存在
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17911783


「時間が無ければ全てのものごとが一度におきてしまいます。この世に時間があるからこそ、あらゆることがらは始めから終わりまで、順序良く発生するのです。」
「神経科学の世界における時間の定義は、一般的なものとは異なります。
時間とは自動的に追いかけるものではなく、脳の中で積極的に作り出していくものなんです。同じ出来事を見ても、私の脳と他の人の脳では捉え方が違います。」
「時間は存在しません。全てはこの世界に複数の現在として分布しているだけ。それが真実なのです。」

ナレーターは続ける。
「アイザックニュートンは、宇宙の中で一定のリズムを刻む時間の存在を想定しました。」
「宇宙は神が創った巨大な時計である。ニュートンはそう信じていましたが、それは間違いでした。」
「時間の謎に取り組む理論物理学者リース・スモーリーはこう言います。」

リース・スモーリー:
「ニュートンは時間を絶対的なものと考えていました。時間はこのメトロノームのように、宇宙におけるいかなる出来事にも関わり無く、絶対的に進み続けると言ったのです。何があろうと無かろうと、例えばこのスタジオで音楽が演奏されなくても、メトロノームは動き続けると信じていました。しかし問題があったのです。人類は誰も絶対時間を知ることができません。私たちは物事が起きる瞬間の関係性によって時間を計ります。」
「アインシュタインの一般相対性理論はこの考えに基づいています。時間とは、宇宙における関係の変化によって作られるものなのです。」

ナレーター:
「アイザック・ニュートンの絶対時間に比べ、アルバート・アインシュタインの相対時間は理解しにくいと思う人は今も少なくありません。しかし、時間について知れば知るほど、アインシュタインの正しさが見えてくるのです。」

「アインシュタインが思い描いた宇宙を理解すれば、私たちの人生は、直線的な時の流れから解放されます。単純な活動は前や後ろ、始まりや終わりなどと言う理論的な方向性に囚われずに分解することができるのです。」
「カルフォルニア工科大学の物理学者ショーン・キャロルはこう言います。」

ショーン・キャロル:
「私たちは三次元の空間にいます。しかしアインシュタインは時間も一つの次元なのだときづきました。実際、時間と空間はひとまとめに時空と呼ばれています。つまりこの世界は四次元なのです。」
「更にアインシュタインは、重力とは、時空が曲がっていることのあらわれだときづきました。」
「宇宙にある惑星やブラックホール、質量やエネルギーなどが、周りにある空間や時間などをねじまげる、それが重力なのです。」
「つまり、時空はゆがんでいる。もしも体験できるなら、強い重力線の中にいる場合と、宇宙空間にいる場合とでは時の流れ方が違うことにきづくでしょう。」

ナレーター:
「時間の相対性は奇妙な効果をもたらします。例えば、宇宙飛行士の時間は、地上の人よりも速く進むんです。しかし、アインシュタインは、更に難しい問いを投げかけました。」
「私達の周りには、いつでも、どの方向にも空間が広がっています。時間も同じように、過去と現在と未来とが、等しく広がっているのではないかという疑問です。」
「未来は既に存在しているのでしょうか。」

ショーン・キャロル:
「物理学の世界では、『全ての瞬間は等しく実在する』と言いますが、これは『全ての瞬間が同時に今、存在する』という意味ではありません。時間における瞬間は空間における位置と同じです。見えるところになくても、確かに存在します。ただ、時間は空間と違って、それぞれの瞬間を順番にしか体験できません。過去の瞬間に戻ることはできず、未来の瞬間と関わることもできないのです。」

ナレーター:
「時間軸をバラバラにした映像は、物理の法則や私達の経験と矛盾しているように見えます。でも、本当にそうなのでしょうか? そうではないかもしれません。この人物は、世界がバラバラの時間を持つ人々で溢れていると主張しています。時間は全て私達の頭の中にあると言うのです。」

司会:
「時間は普遍のリズムを刻むものなのでしょうか? それとも時間は、場所や人物によって変化するものなのでしょうか? 歳を取るにつれて、時の流れは速くなるように感じられます。私達と時間の関係は、加齢とともに変化するのです。」

ナレーター:
「研究によると、時の流れる速さは、年齢の平方根に比例するそうです。10歳の時を基準にすると、二十歳の時には少し速くなる程度、でも六十歳に達する頃には、2.44倍、つまり、二倍半にも近い速さになるといわれています。誰もが1秒1秒を等しく経験していますが、感じ方は違うのです。人は時間をどう認識するのでしょう。」
「この謎に取り組む、ベイラー医科大学のデイビッド・イーグルマンは、私達の時間認識が体の状態と心理的な状態とに影響されると言います。」

デイビッド・イーグルマン:
「よく、目覚まし時計が鳴る前に目覚めるという人がいますよね? そういう人は、いわゆる体内時計が『起きる時間だぞ』と、体に合図を出してくれるんです。そしてパッと目が覚める。」

ナレーター:
「時間の感覚は、五感を遮断された時や、過度な刺激を受けた時、そして、意識の状態などによっても変調をきたします。」

デイビッド・イーグルマン:
「例えば、マリファナを吸った人は、『なんだか、ずっと前からここにいたような気がする』と言い出すことがあります。時の流れが遅くなったように思えるんです。でもこれを、時間認識の遅れとは言いません。マリファナの影響で、到着した際の時間の目印を見失い、記憶を固定できなくなってしまうのです。すると、ずっとそこにいたように思えてきます。」

ナレーター:
「人は事故に遭うと、できごとがスローモーションで繰り広げられているような感覚に陥ります。しかもこの場合は、あとから記憶を鮮明によみがえらせることができるのです。認識が時間を歪める一例と言えます。」

デイビッド・イーグルマン:
「極度の緊張を伴う事件が起きると、脳の中で緊急指令が発せられます。そして、事件に関する非常に詳細な記憶をとどめようとするのです。この為、実際より長い時間に感じられます。」


ナレーター:
「あらゆる瞬間において、脳は大量の情報を処理し、時間的な一致を図ります。ちょっとした行動も、脳のスピードとパワーを駆使した一種の奇跡です。」

デイビッド・イーグルマン:
「指を鳴らした時の映像と音は、同時に発生しているように感じられますよね。でも実際は、聴覚器官が先に音を捉えて、いち早く情報を処理しているのです。そのあとに、一足遅れて視覚器官が映像情報を処理します。」
「つまり、脳の中では、まず音を聞き、それから映像を見て、情報をつなぎ合わせるのです。別の瞬間に届いた情報を同時に起きたかのような一つのストーリーに仕立て上げます。こうして時間はぼやけてしまうのです。しかも、本人はそのことにきづかない。同時に起きたとしか思えないのです。」

ナレーター:
「脳は100万分の1秒単位の時間で情報を統合し、意識の中に送り込みます。つまり、私達はごくわずかですが、過去に生きているのです。この遅れは身の回りで、何が起きたのかを正しく理解するための代償と言えます。しかし、脳が正しいストーリーを作れなければ、時間との関係にズレが生じ、自分だけ人と違う時間を生きることになるでしょう。それは恐ろしい結果を招くかもしれません。」
「医学雑誌にある男性の症例が載っていました。車を運転していると、まるで、300km以上で走っているかのように道端の木々や、建物があっと言う間に消えていくのです。アクセルをゆるめても、街並みはまだ、飛ぶように過ぎていきます。男性は、世界の動きが速くなったと考えました。しかし本当は自分が遅くなっていたのです。歩き方も話し方もスローモーションでした。時間を上手く捉えられなくなったのです。男性は脳腫瘍が原因で、時間の認識に障害が出ていました。時間の招待がなんであれ、私達とは深く結びついているのです。誰もが、体内の時間に従う時計だと言えます。その進み方が少しでもずれると、重度の精神疾患を引き起こす恐れがある。イーグルマンはそう考えています。」

デイビッド・イーグルマン:
「統合失調症の根底には、時間認識の障害があるのかもしれません。時間をうまく捉えられないと、自分の行動が、起きたできごとの前にあったのか、後にあったのか判断がつかないのです。ものごとを断片的にしか認知できなくなり、何をしたのかも分からなくなります。」

ナレーター:
「個人的な時間の曖昧さを証明する為、イーグルマンはある実験を考案しました。被験者の時間をほんの歪めるのです。」

デイビッド・イーグルマン:
「被験者がボタンを押すと、ライトが光ることになっています。」
「次はボタンを押してから光るまでの時間を、0.1秒ほど延ばしましょう。タイミングを遅らせるのです。」
「すると脳はその遅れに慣れ、感覚的な反応も遅くなります。脳が適応し、遅れていても同時に思えてくるのです。」
「光る速さを元に戻しても、それについていけなくなってしまいます。」
「では、遅れを元に戻しましょう。ボタンを押すとすぐに光ります。すると被験者は、ボタンを押す前に光ったと思うようになるのです。」
「統合失調症でも同じことが起きています。何かの行動をとった後で、自分がやったとはとても思えないと訴えるのです。」

ナレーター:
「時間は人によって異なるようです。主観的な時間の伸び縮みする性質を知ったイーグルマンは、時間の存在そのものを疑い始めました。」

デイビッド・イーグルマン:
「時間とは、私達人間が持つ、最も頑固な思い込みかもしれません。その本質に深く踏み込んで、時間が脳の中でどのように作られるのかが見えてくると、物理学の方程式を手直しせざるを得なくなるのです。」

ナレーター:
「宇宙における時間の物理的な性質を、人間の主観を通さずに見極めることはできるのでしょうか。できると答えるこの人物は、アインシュタインの方程式に手をくわえた結果、時間は存在しないということに気付いたといいます。」

司会:
「時間とは幻想にすぎないという意見は、過激なものに聞こえます。しかしこの説は、2500年も前から、唱えられてきました。」

ナレーター:
「紀元前500年ごろの哲学者、パルメニデスは、運動は不可能だ、と述べました。ある物体が一定の距離を移動するには、無限に分かれた小さな一歩を踏みながらでなければ、目的地に到達しない、だが、無限の一歩を踏むことは誰にもできないから、不可能だ、というのです。」
「もし運動が不可能なら、変化も不可能である。それゆえ、時間は幻想に違いないと述べました。」
「しかし全く理解されなかったのです。現に運動は存在するし、ものごとは変化する、そして時間は流れているではないか。」
「それは間違いかもしれません。」
「イギリスの田舎にある、古い村に住むこの男性は、量子物理学の法則が、パルメニデスの正しさを証明していると言います。」
「名前はジュリアン・バーバ。宇宙に時間は必要ないという数学的な理論何十年もかけて綿密に構築してきた人物です。古いものに囲まれた彼の姿を見ると、少し、奇妙な気もします。」

ジュリアン・バーバ:
「ここは、村の非常に古い通りです。後ろにあるのが私の家。建ったのは1659年で、17歳のニュートンが時間と運動について真剣に考え出した頃です。」

ナレーター:
「時間が存在しないのなら、この世界は何なのでしょう? バーバの主張によると、私達は遺跡の発掘現場に暮らしているようなもの、まず、物体が存在し、時間はそこから推定されると言います。1000年前に建ったこの教会や14世紀に描かれた壁画は全ての時間が宇宙の断面の中にあることの証拠なのだそうです。」

ジュリアン・バーバ:
「私達の過去は、別の可能性を持つ宇宙だといえます。つまり別の世界、別の現在なのです。」
「時間の中に瞬間があるのではなく、瞬間の中に時間があります。」

ナレーター:
「この過激な意見の基になっているのは、オイラー=デイビッド方程式、アインシュタインの相対性理論と量子力学の融合を目指して、1960年代に始められた数学的な取り組みです。この式を解くと、奇妙なことが起こります。時間を表す代数tが無くても、方程式が成立してしまうのです。この答えが見た目の事実と矛盾している為、多くの人は方程式を量子力学と相対性理論が、相容れないことの証拠だと考えています。」
「しかし、バーバーにとっては、天の啓示でした。」

ジュリアン・バーバ:
「量子力学は独自に発展したものではありません。量子力学と相対性理論の正しい融合は、時間が存在しないことの証明になるのです。」

ナレーター:
「時間が存在しないとしたら、静止画のように、それぞれの瞬間に切り取られた空間の中で物体同士はどう影響し合うのでしょうか。」

ジュリアン・バーバ:
「宇宙とは、莫大な情報を含んだスナップ写真を大量に集めたようなものだと私は考えています。1枚1枚には何のつながりもありません。それぞれは独立した世界です。でもそれらの世界が更に大きな世界を構成しています。スナップ写真の中にスナップ写真がある。これが私達の世界です。」

ナレーター:
「バーバーはこう言います。静止した瞬間を集めて並べ、脳の中で再生しているのだ。今あなたが見ている、1秒24コマで動く映像のように。でも実際は何も動いていない。だから時間は幻想である。」

ジュリアン・バーバ:
「突き詰めて考えれば、量子で表される宇宙は静止しているのです。何一つ変化しません。」

ナレーター:
「その上、バーバーは、宇宙のスナップ写真が、全て同時に存在していると言います。」

ジュリアン・バーバ:
「昨日は既に存在しないという意見は、13という数字があれば、11という数字は不要だという意見と大差ありません。数学者から見れば、馬鹿げた考えです。今、この瞬間は、生き生きとして新鮮なものですが、同時に永遠でもあります。数学的な視点では永遠の存在です。」

司会:
「バーバーの意見は過激なものに聞こえますが、物理学の世界では真剣に受け止められています。しかし、皆が納得しているとは言いがたい状況です。」

ナレーター:
「バーバーの親友である、リース・ウォーリーは、反対派の代表格。」

リース・ウォーリー:
「時間とは、幻想などではありません。勿論、作り話でも出まかせでもないのです。時間は確かに存在します。」

司会:
「時間を巡る論議は、物理学の世界に大きな対立を生み出し、友人同士の闘いに火をつけました。」
「時間とは、私達が作り出した概念なのでしょうか、そうだという神経科医や、物理学者もいます。しかし、自分達の感じたことや、観測の結果を無視することはできない。時間は間違いなく存在するのだ、という人々もいます。」

ナレーター:
「彼らによると、私達は時の流れに沿って生きている、それが自然な姿なのだそうです。時の流れは基本的な事実とされ、しかも、それは宇宙で唯一の真理と見做されています。」
「ラトガース大学のティム・モードリーが研究するのは、物理学の哲学。」

ティム・モードリー:
「時の流れが本当に幻想であるなら、私が刻一刻と年老いていったり、日々が流れて、やがては死ぬ時が来たりすることさえも、事実ではないという話になってしまいます。そんなことはどう考えても受け入れられません。私の住んでいる世界にはそぐわない話です。」

ナレーター:
「モードリーにとって、時間が存在することは常識です。では、なぜ否定する物理学者がいるのでしょう。それは数学にまつわる、職業病のようなものだと彼は言います。」

ティム・モードリー:
「物理現象は、全て数式で表されますが、数学で扱う対象に時間は関係ありません。世界を現すために遣う数字は、変化しないのです。この数字ばかり追いかけていると、世界そのものが変化するということが受け入れがたくなってきます。世界に数学的な特性があると信じ込んでいる人々は、数学を使って世界を書き表そうとしていますが、数学に夢中になるあまり、現実の世界を見失ってしまってしまうのです。」

ナレーター:
「ジュリアンバーバは存在するのは空間だけ、時間は幻想だと言います。モードリーはこれに賛成していません。時間は必要だが、空間は必要ないというのです。」

ティム・モードリー:
「空間を無くしても時間を無くすことはできません。何事もまず時間ありきで、この順序を逆にすることはできないのです。空間があってから、時間が始まることはありません。時間は万物の土台です。物理学はこれを認めながらも、軽視してきました。」

ナレーター:
「空間が先が、それとも時間が先か」


なぜ、両者を分割するのか。
物質が単に位置的変化を起こしただけであるのだから、空間も必要だし、一般的な物質も、相対的変化観察の物差しである時間が必要である。

その内、位置的変化に時間が必要ない物理現象が見られるかもしれないが、これは単に相対的変化観察の物差しが必要ないような位置変化という現象であるだけだ。

もう2つ考えておこう。
「時間が一定の方向にしか動かないのはなぜか? 」

時間が一定の方向にしか動かないのは、宇宙がただ単に物質の位置的変化を許容するだけだからである。

宇宙に意志があったとしよう、星が位置Aから位置Bに動いたとする。宇宙はAからBに星が移動したんだね、その運動エネルギーはこれくらいだね、くらいにしか思わない。

我々人間はそれをして、余計な情報をここに付加する。
過去に星が位置Aにあって、今はBに移動している。将来はCに移動するかもしれない、と。ではその我々が持つ記憶や記録の位置に物理現象を遡ってまで星がAに戻ることはありうるか? あるいはAの位置の星のスナップショットを取り出すことは可能だろうか? 
私の答えはNo。その疑問の想定は飽くまで人間が考える想定だ。
宇宙は単にBの位置にある星の存在と運動を許容しているに過ぎない。
宇宙が銀河系において星を単純に位置移動させたことは事実だが、その軌跡は残っても、過去とは我々の記憶と記録のみに留められる産物である。


「時間は1次元なのか? 二次元ではないのか? 」
一般的に混乱するこの設問は次のように捉えなおすと理解することができる。
時間とは変化の度合いの観察概念であり、時間を感じるのは、ものごとが変化していて、それに主体的観測を行う人間が、それを自分自身の観測軸に当てはめて相対的な動きを理解しているにすぎない。
この変化の度合いが時間だとするならば、その軸が複数あっても良い。
とある基準で変化する度合いにかかる総体係数を時間としてt1と表すならば、別の基準で変化する度合いにかかる総体係数を、別の時間としてt2として表しても良い。
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素晴らしい (Y.T)
2016-05-29 14:29:41
いや、正直びっくりしました。
私はこの10年ほど何か解らない違和感を常に生活に感じております。
そんななか、スマホの登場によりつらつらと疑問をキーワードに検索かけて色々と思考を整理しておりましたところ、実は我々は全く持って真実とは違う一般常識の上で生きている事が解ってきました。
私が感覚的に考えていた事と全く同じ事がここに書いてあった訳です。
まず、時間は存在しません。時間の正体は人間を含めた物体の移動の便宜的ものさしです。しかし、時間が社会で共有されているため真実ではなくてもものさしに即した行動が必須になります。又、真実を認知していない多くの人でも盲目的に時間を絶対的に信じていれば現実社会では不都合なく生活出来ます。
だとすればこの宇宙の真実は我々は知る必要は無いんでしょうか?
Unknown (booter)
2016-05-29 14:47:32
コメントありがとうございます。
大変恐縮です。。。

>この宇宙の真実は我々は知る必要は無いんでしょうか?
必要を義務と言いかえるなら、その義務は無いと私は考えます。普通に過ごして行くならば、こういう考えは人の幸せの邪魔になるんじゃないかと思うのです。そういう義務は動物としての人間には課されていない状態です。

ただ、万物の霊長たる人間が、そういう突き詰めた考えを持って物事を考えてもいいのではないか、とも思うのです。

宜しければ、「哲学・学術」に似たようなことを他にも書いてありますので、こちらをどうぞ。

Unknown (A3)
2016-05-30 02:02:21
初めまして。
たまたま時間について考えていたところ、この記事にたどり着き、コメントするに至った次第です。
「時間というものは存在せず、人間が決めている概念に過ぎない」ということをずっと考えていたのですが、家族や知人に説明しようにも、「でも私たちは時間のなかに生きているでしょう」と返されて、相手にもされません。
そもそも説明する必要がないのかもしれませんが、booterさんが他人に「時間は存在しない」ということを説明する際は、どのような話をしますか?

また、Y.Tさんのコメントも大変興味深いです。ですが、booterさんの返答にある「幸せの邪魔」という表現が気になりました。
このように考えることは、人生の豊かさという点では、幸せの邪魔というものでも無いような気がします。
まぁ、もちろん社会で生きていくのに、必要でも、義務でもないことは明らかだと思いますし、「私の幸せの邪魔ではないが、”彼ら”の幸せの邪魔である」ということかもしれませんが…。

話が二転してしまいましたが、前者についてだけでもお返事いただけると助かります。
Unknown (booter)
2016-05-30 03:01:14
コメントありがとうございます。

>booterさんが他人に「時間は存在しない」ということを説明する際は、どのような話をしますか? 
もし説明するのであれば、まず一般的には全く疑問を持たれない考え方なので(え? 時間はあるに決まっているでしょ? というような感じで。)、まずは「現在にだけ手が届いて、未来と過去には届かない。どうしてだろうね? 」と問いかけて最低一ヶ月くらい、うーんうーんと相手を自問自答で唸らせる、と(笑)。
そこに一つのカードをそっと差し込んであげる--時間とはこう考えればいいんじゃないかな? という感じで。

少なくともそういう問いかけはかなり嫌われますし、人間生きていれば自然発生的に自然と「時間とは何だろう? 」と思う瞬間が出てきますので、その時に言ってあげればいいんじゃないかな、と思います。
イチローも「やらされる練習よりもやる練習の方が良い」というような旨のことを言っていたかと思うのですが、自発的に思う自然現象への疑問に、答えのカードをすっとさしこんであげるのが一番いいですよね。

さて、相手が子どもなのであれば、まずドラえもんやバックトゥザフューチャーを見る他に、ミヒャエル・エンデの童話「モモ」辺りを読ませて時間の理解に対する基礎体力をつけることが必要なのではないかな、と思います。

この「モモ」の中の一節に次のような下りがあります。
「 一つの家にいる三人兄弟。
 一番目は、今不在で、やがて出現する。
 二番目も不在だが、これが出かけた後。
 三番目だけがいる。
 三番目がいることで、他の二人は存在できる。
 三番目がいるのは、一番目が二番目に変わるから。
 三番目を眺めようとしても、いつも見えるのは他の兄弟だけ。
 さて、三人の名前は?」

答えは--時間。
そう、一般的には、過去と未来しか見えず、現在を見ようとしても認識できないのですよね。--実態としては現在しかないのにも関わらず--。一般的にはここの考え方なので、まずは土台を固めることから始まる感じですね。
まずは、時間に関する作品をあらゆる方向から見させることが大事かもしれません。
映画、アニメ、児童文学--媒体は多種多様にありますが、多岐に渡る作品がこの素養を育てると思います。

私が印象的だったのは、塩野七生さんの「ローマ人の物語」が良かった。どんなに偉い人でも、どんなに極悪な人でも、例えば虐殺と粛清を重ねたローマ独裁官のスッラでさえも、大魔王みたいな所業をこなしながら、やっぱり60歳くらいで安静の内に死んでしまうのですよね。寄る年波には勝てない、と。時間の流れには勝てないのだな、このブログでの書き方に従えば、物質の変化は必ず起こり、その変化は認識の主体の観測が早いか遅いかだけにすぎない。将来的には人間は死ぬことを免れず、しかし社会は継続し、変化していく。こうした現実感覚も必要になるかと思います。

ただ、正直なところを言ってしまうと、前述の理由もあるとおり、私は通常の会話の中でそういう話題は一切出さないんですよ。基本的にこういう固い話題は表に出しません。残念ながら、こういう哲理的な考え方は世間の一般的な考え方からあまりに乖離しているのです。お笑いだとか芸能界の話の方が盛り上がりますしね。そういう社会を構築してしまったのがビートたけしであったのだと、社会学者の竹内洋さんは「教養主義の没落」の中で書いています。
固い話題よりも、お笑いを優先してしまっているのが今の日本社会なのですね。
二番目のご質問にも絡みますが、「幸せの邪魔」というのはそういうことなのです。教養としてこうしたことを考えて凝り固まってしまうよりも、ひょっとしたら日々のとるに足らないことを笑ったり怒ったり、あるいは悲しんで喜んで・・・そういう純粋性をおいかけることも、人間にとっての文化的幸せなんじゃないのかな、とも思うわけです。無論、こうした時間の理解が人間にとって不要なわけではありませんし、お笑い一辺倒というのもよくありません。が、しかしどちらか一方それに凝り固まってばかりいると、それもまた不幸になってしまうのではないのかな、とも思うのです。これらの要素は、我々の人生にとって両方必要ですが、バランスを見て、どちらか一方に寄ってしまってはダメなのでは、というのが私の意見です。
「時間が、政治が、思想が」と言うのも大事ですが、しかしそれだけでは生きにくくなってしまう。たまには冗談を言うことも必要なのではないのかな、と。

私自身、こういう固い話題を話し合える人が周囲にいない、というのもそうなのですが、一般的な社会から言えば、こういう話題を振るのは敬遠されます。でも私としては、人に言えないこうした心の中にあるモヤモヤを一旦整理して、外にアウトプットし、吐き出したかったのでここに書いている次第なのです。

それと、恐らくなのですが、会話の中でこの論理を納得させるのは恐らく無理です。一問一答のような会話のスタイルの中で、一般的な理解をする人たちと話す中で、この問題を消化することは、長文に渡る説明が必要なので、素朴な疑問に対する説得はほぼ難しい。もし、この問題を誰かに納得させたい場合には、相手の理解のタイミングを見計らって、拙著ながらこの記事を読んで頂くよう誘導頂ければと思います(長いですが)。

「宇宙は時間を数えない」というのは、時間における物理観測が未だ人間主観から抜け切れていないのではないかという、私からの疑義なのです。未だ天動説のような感じで、自分主体の観測をしてしまっているんじゃないか、という現代物理への反句なのです。

時間という第四の次元軸があるように思うのは人間の天動説的な主観の産物であり、実は幻想なのではないのかと--。私は量子力学における、極小の世界に入ると、我々が観測する次元とは異なる次元があらわれる、という説明は否定はしませんが、時間に関してはもっと人間主体の観測から脱してもいいのではないのかな、と思います。

This is that.全てはそこにある。宇宙の法則を考える時に、人間主体の思い込みではなく、宇宙のそこに何があるのか、宇宙のありようをそのまま受け止めること--例えば、第四番目の次元軸があると考えるのではなく、全ては物質の位置的変化と傾向であり、それを人間が次元軸の一つとして観測しているだけなのだ--と外側より捉えることが必要なのではないかな、と思っています。
Unknown (booter)
2016-05-30 04:15:00
補足になりますが、現実問題として、時と場合によっては「時間とは今しか無い」というのは、話題として控えた方がいいケースもあります。

言葉に言わずとも、亡くなった人を偲んで過去を思い返したりする人もいます。そんな時に、無節操に「現実とは今しか無い」という考え方を言ってしまうと、ある種の真理がそこに潜んでいるために、その人の思いが破壊されてしまう。
「あの時のあの人の行動や思いは本当の優しさだったんだよね」と言ってあげて、良い過去を肯定した方が、より人間的である場合もあります。
過去という認識は、上述のブログ記事の内容から行くと幻想そのものでしかないのですが、その人間の偽的認識を肯定してあげることが、より人間的だったりするのです。
というより、人間社会とはそういうケースの方が多いように思われます。

よって、「時間とは幻想である」「時間とは幻想ではない」という二つの考えを、ケースバイケースで適用していくのが良いかな、とも思うのです。
ご質問の主旨とはそれてしまったかもしれませんが、取り急ぎ記載まで。
Unknown (booter)
2016-05-31 23:15:34
補足です。

Y.Tさん
> でも盲目的に時間を絶対的に信じていれば現実社会では不都合なく生活出来ます。
> だとすればこの宇宙の真実は我々は知る必要は無いんでしょうか?

私の上述の時間の概念を、「宇宙の真実」とおっしゃって頂いていることと仮定して話を進めさせて下さい。
上述の私の考えですが、これは別に知ってもいいのですが、知らなくてもいいように思われます。少なくとも世の中はそれで回っていますから。

また、人間主体の時間への思い込みや既成概念というものを、私自身が本記事で否定しておきながら、時間に対する私の考え方も、勿論その「人間の思い込み、既成概念」の範疇にあり、「時間とはこうじゃないかな? 」と、飽くまで一人の人間が観測した一意見にすぎない、という点もあって、そんなに周囲に強く推す話でもないのです。

私の考えは私一人が納得している私だけの真理なので、他の人に理解されなくてもいいですし、ひょっとしたら、私だけが真理だと思っているのであって、その他大多数の人たちにとっての真理とは全く別物の可能性もあります。私は私の考えを話すとバカにされることがあります。
「そんなわけないだろう」
「お前の言っていることは訳がわからない」
「それで金が稼げるのかよ」
と。ですので、こうしたことはブログに書くことに留め、日本の最大多数派である「どうでも良い一発芸的なお笑いによって場を盛り上げる」、あるいは「近視眼的な視野の利益を取れるような直近的案を出して評価される」ということをして、日頃やたら深いことを考えているその本当の姿をひた隠しにしています。そのようなことは現実の世界には役に立ちませんからね。

時間についての理解は、私と世間では全く考え方が違うのですし、そして高度社会も築けているので問題ありません。
むしろ私の考え方は社会の運用や人生の計画に対して邪魔になります。
人は過去こうであって→現在こうだから→将来こうなるだろうという時間の長期的視野によって高度社会を築いてきた傾向がありますし、工事や納期、政権運用などもそうでありましょう。時間はないものと発見しつつも、(私にとっては)従来の時間概念も併用しなければ、今の社会は成り立たないのです。

あるいは、勝者が全てを持っていくように、時間の拮抗点の簒奪者が、その勝利を全て掻っ攫っていくことから、それの勝利のための準備や計画も、時間を用いて行わなければなりません。
分かりやすいところではビーチフラッグス、あるいは特許申請、あるいは数式の発表、あるいはニュースのスクープ・・・。そうした勝者と敗者が決まるのであれば、今以上に時間という概念を使わなければならないことになります。

ただ、私が望むに、もしこの時間の考え方・捉え方が社会の役に立つのであれば、そこから更なる人類の飛躍を望んでやみません。・・・とは大仰に言いましたが、まあさりとて影響はないですね。

まとまりが無い文章となってしまい、申し訳ありません。
クロノスとカイロス (booter)
2016-07-02 12:18:45
時間に関する考え方は様々で、その内の1つにクロノスとカイロスと言う考え方があるようです。
こちらについても書籍の引用などで言及させていただこうかとおもいます。
Unknown (booter)
2016-07-28 22:42:44
余談ですが、世界五分前仮説はこれで説明できると思います。
人間の脳は、5分前前後の程度でしか過去の存在を実在していると証明できません。

過去や未来は認識の上でしか存在せず、そして別の角度からこの仮説を考えると、過去の認識は5分より向こう側はぼやけて証明が、人間の認識そのものとそれに伴う社会的集合認識が危うくなることを仮説として提示しているのではないでしょうか。
Unknown (Unknown)
2016-10-13 03:48:07
私も全く同じ考えです 時間は人間が生きていく上で便宜上作り出したもので この宇宙には存在しないもの あるのは只物質の変化のみ だから宇宙の始まりなんてものはなく 宇宙空間という空間で只只物質が変化をしてるだけ
Re:Unknown (booter)
2016-10-13 12:54:12
Thanks for your agreement.(これで合っているかな? )
同意頂きありがとうございます。
(いやーそれは違うんでないの、と言う反論も待ってたりもするのですが・・・)

ちなみに、私からコメントを見ると、
「元々同じ意見を明確に言語化し、それを周囲に主張していたが、しかしその意見は少数派で周囲の理解が得られない」という方と、「世間一般で使用される時間に関する考え方について、その既成概念に違和感を感じてはいたが、しかしもやもやしてなかなか言葉に表現できなかった。この記事の記述ではっきりした」と言う方で分かれているように思えます(と言うか、それぞれお一人ずつですね)。あるいは全く時間の概念に関する理解ついては特段考えたことも無かったけれども、まあ同意します、と言う方もいらっしゃるんじゃないかと思います。
もし差し支えなければ、同意の具体的内容について(「元々同じことを明確に考えていたが、全く同じことを考えている人がいたので同意した」「はっきりと明確にできなかったが、このブログではっきりしたので同意した」「全然そういうことは考えたことも無かったけれども、話しの流れは理解できたので同意する」など)教えて頂けないでしょうか。このブログを読む以前の状態が、皆さんはどのような考えであったのかを知りたいのです。

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