とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

韓国観察の理由

2015-06-07 19:12:49 | 海外・国内政治情報等
現在、日本のネット界隈では韓国に注視する人たちが非常に多く(私含む)、韓国ではこれをして「日本は24時間韓国を監視している」だとか「日本は本当に韓国に関心が多い」だとか「日本人は韓国が嫌いなのに、どうしてこんなに執着しているんだ? 」だとか「日本人は韓国を無視するふりをしながら密かに韓国にめちゃくちゃファンタジーを抱いているみたいだね」などと言われているらしい。

つまり、日本人が韓国は嫌いだと口では言いながらも、その実態は興味があったり、あるいは、実は好きなんじゃないか、という推測である。

これについていくつか言及しておきたい。
結論から言うと、その認識は誤りである。


1.マスメディアはなぜ韓国をよく取り上げるのか。

 日本のマスメディアに対する韓国側ロビーや圧力はほぼ成功している。主にフジテレビであるが、実は主導権を乗っ取られたのであって、国民は連日の韓国報道に辟易していて関心が無い(なのであれだけ栄華を誇ったフジの視聴率が低い)。
 この他にもNHK、TBSなども同様の路線を行っており、それらは国民の大半の意志ではない。
 他国を侵略する際には教育機関と報道機関を抑えるとは言うが、後者においては韓国による日本攻撃はほぼ成功している。
 これは韓国側が自己アピール力や行動力が高い人材が多いのに対し、対する日本側はことなかれ主義のなあなあな人材が多いからだ。政治家の息子やあるいは、ある種のコネなどで入社したいわゆる「人質組」の人間は、日本のマスメディアでほぼ3割近い従業員がそうなのだという。あるいは、韓国側は攻撃で、日本側が守備というのも日本側にとってやりにくいスタンスである。
通常、戦国時代の城攻めは、攻撃側は防御側の三倍の兵が必要だとは言ったが、しかし現代の向上戦は兵が少なくても機動力だけで攻めることができるからだ。これは完全に日本報道側の過失である。

 繰り返すが、一般の日本人は韓国にさほどの興味が無い。NHKでチャングムがやっていた時には韓国に親近感を増した老齢層がいたことは確かだが、今はそれも落ち着いている。報道はほぼ韓国に重心を置いた形になっているが、マスメディアだけ熱心なのだ。それだけ韓国側は日本への攻城戦において、外堀を埋めることに熱心なのである。まあぶっちゃけて言ってしまえば一種の戦争行為において、その初端で日本は負けているのである。

 作戦とは機動力により敵主力の一番弱い箇所での各個撃破である。
 これは戦略・戦術のみならず、政治、投票、組織工作や宣伝活動、経済活動に至るまでの教科書的セオリーだ。韓国はまさしくこれをやっている。日本社会での要素で、鎖の一番弱いところはどこか? というと教育機関と報道機関なのであった。それへの取り込み、侵食、蚕食を行う際に、それら機関は脆弱であったのである。

これは単に意思決定力やディスカッション能力が無い、というのではなく、反論する為の論理がきちんと考えられて用意されていなかったことによる。「なぜ韓国報道を採用しないのか? 」だとか「なぜ韓国だからという理由だけで採用しないのか? 」と言われれば答えに窮すのが日本人である。そこはきちんと、「最終的に日本の主権を侵害する前段となりうるからです。韓国は憲法前文にある通り、日本と敵対することで規定された国家であり、我々の何気ない行動そのものが戦争を誘発する事態になるのであれば、それは避けるべきでしょう。国からの指導要領にもそうあります。」と言えれば良かったのだが、実態はそうではなかった。

 今のところ、日本の報道メディアは自身が攻撃されているとも思っていない。あるいは、自身が攻撃されていたと自覚していても身動きが取れない。こうした報道倫理統制面における「韓国推し」を防げなかったのも日本報道メディアの敗北である。何に対して負けたのかというと、韓国の日本に対する攻撃性野心である。韓国とはそもそもその憲法前文から規定されるように、日本と敵対することを前提に作られた国家だ。

 仮に日本が別の国家と戦争することになって、最終的に守らなければならないのは、日本人による日本の主権である。その武力行為の前段においては外交上のロビーや、あるいはオピニオンリーダーの取り込み、あるいは教育機関や報道機関の差し押さえ、イデオロギーの変更などがあるが、これらは主権簒奪の為の戦争前段行為であるとしたならば、それらは外患予備罪の適用である。

 今ある報道での韓国に対する注目というのは日本マスメディアの敗北がもたらしたものだ。そして日本メディアはかなりの頻度で韓国に対するポジティブ情報を流しているが、その実態として、世論は嫌韓に向いているという逆の実態を見せている。熱心なのは取り込まれたメディアだけであって、大多数の日本人は無関心から嫌韓に変わりつつある。

 なお、先日、青山繁晴さんが米軍関係者の発言として紹介していたように、韓国の武装というのは、対北朝鮮ではなく、対日本のものを用意しているようだと観測していた。つまり日本に対する戦争準備をしているということが国際的な認識になりつつあるということだ。
 韓国の憲法前文と併せて考えた場合、日本側に対する韓国のロビーというものは、戦争準備の更に下準備となる。

 私個人の意見になるが、これらは外患罪の適用範囲になるが、しかし実際の適用はかなり困難を極めるのではないかと思われる。まず前例がなく、ゾルゲ事件の折にも適用が困難で、別途に起訴した。ので、今回のそのルートで摘発・起訴という流れになると見込む。


2.私がよく取り上げる理由

 私が関心があるのは、韓国が好きだからではない。好きか嫌いかという理由で接しているわけではない。むしろ、私の周囲の韓国人は大体いい人だったのだが、社会の観察・分析時にそうした人間関係で見ているものとは突き放して理論として捉える必要がある。

 私が心配しているのは、戦争と治安悪化である。
 例えば世界におけるアメリカの相対的パワーが低下すると共に、アメリカが世界各地に駐屯していた基地から軍事撤退するのは10年ほど前から決められていた決定事項である。
 韓国の場合は、そこから地政学的変動により、北朝鮮の脅威にじかにさらされることになる。この余波が日本に来ないかと危惧している。
 あるいは、難民が発生した場合のリスクでは終戦直後にあった治安悪化が見込まれる。これを発生させてはならない。であるので、注視しているのである。
 日本における文化財の汚損や破損、放火や殺人、婦女暴行もそうであって、靖国神社での放尿だとか放火だとかはこれらも防がなければならない。


 また、韓国人は民間イデオロギー的に国際情勢に誤認がある。
 WW2での戦勝国と敗戦国に、それぞれ韓国と日本を当てはめる思考をしているのだが、日本が敗戦国に入るのは正しいが、韓国は戦勝国でも敗戦国でもそのどちらでもない第三者なのである。
 また、WW2での敗戦国は戦勝国に言うことを聞かねばならないという論理で通そうとしているようだが、これも韓国はそのどちらでもないので、日本に対する強制的な発言権が存在しない。
 また、実質的にアメリカが日本に対して強制的な発言権を有するという現実があっても、人権を基底として、各国は対等な発言権があるという理想の建前があるので、これを前面にして言うのは間違っているのだ。


結論としては、日本人の大半は韓国に興味が無い。騒いでいるのはメディアだけである。
私は私で注視しているが、それは羨ましいからとか韓国が素晴らしい国だからという理由ではない。いつもガミガミ言ってきて親しくないお隣さんが更にその先のお隣さんに火をつけられそうなので、「ヤバイなこれ」と常に注視している状態なのである。

あるいはお隣さんが言ってくる過去の謝罪であるが、昔は素直に謝ってきたが、最近になって、それらは論拠の無いイチャモンじゃないか? ということが分かってきた。無論お隣さんが酷い目に遭ったのは確かなので、それは気を使う必要があるが、誰が主導したか、という点において、資料に目を通すと齟齬が見えてくるのだ。そうすると、「待て待て、事実に誤認があるのになぜそのように声高に言えるのだ? 」という形になってくる。

こちらも日本人漁民が韓国によって数千人が拘束されてその内拿捕の際に死亡した者もいる(第一大邦丸事件)。
日本人女性が朝鮮人男性に強姦されてきたということは過去にさんざん書いてきた通りだ。


再々度の長文再掲になるが載せておこう。

外国人による日本人強姦被害の例 - とめどもないことをつらつらと
http://blog.goo.ne.jp/booter/e/e5f0be1c1657e825fe2268a2df24068b


二日市保養所 - Wikipedia

終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人[1] 等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。

釜山日本人世話会による1945年(昭和20年)12月 - 1946年(昭和21年)3月の調査では、調査対象者885人のうち、レイプ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された。

在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を作る必要があると上部に掛け合った。こういう経緯で、1946年(昭和21年)3月25日に「二日市保養所」が開設されることになった。医師は在外同胞援護会救療部員(旧京城帝国大学医学部医局員によって構成)が担当した。



尼港事件 - Wikipedia

女性たちは強姦された[128]。朝鮮人部隊の中隊長はある漁業経営者の娘を強姦すると翌日には音楽会で歌うことを強制した[128]。その後、この少女と幼子も含めた家族全員はバージからアムール川に突き落とされた[128]。また、女性教諭も強姦され、多くの少女達は恐怖の下でパルチザンと同棲することを強制された[128]。



通州事件 - Wikipedia

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国(中華民国)の通州において、中国人部隊(冀東防共自治政府保安隊)による日本人への襲撃が行われ、日本人居留民および日本軍部隊・特務機関が襲われて、日本人らが大量虐殺された事件。日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されて殺害された。殺害方法も猟奇的なものが多かったとされる[1]。また朝鮮人慰安婦も殺害されている。

日本人居留民への暴虐行為

冀東政府保安隊は日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し、略奪・暴行・強姦などを行なった[1]。

7月30日午後通州に急行した天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、飲食店の旭軒では40から17~8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺されていた[1]。日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、「血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった[1]。

第2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた[1]。帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた[1]。女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった[1]。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた[1]。南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた[1]。

当時、同盟通信特派員の安藤利男はこの近水楼に宿泊していたが脱走に成功した[1]。

また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言によれば、守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた[1]。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた[1]。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった[1]。東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた[1]。



通化事件 - Wikipedia

当時の中国共産党軍と朝鮮人民義勇軍

当時、先に進駐していた朝鮮人民義勇軍と延安からの正規の中国共産党軍を中共軍または八路軍と包括的に呼称した。ただし、中ソ友好同盟条約によって満州で中国共産党が活動することは許されていなかったため、東北民主連軍などと称していた。元朝鮮人日本兵や現地の朝鮮人などで構成されていた朝鮮人民義勇軍は新八路軍や朝鮮八路とも呼称され、「(日帝支配)36年の恨」を口にしながら暴行・略奪・強姦などを繰り返した[2]。

当時の通化の状況

通化は終戦時に中華民国政府の統治下に置かれ、満洲国通化省王道院院長を務めた孫耕暁が国民党通化支部書記長に就任し、満州国軍や満州国警察が転籍した中華民国政府軍によって統治されていた。交通の要所である通化には大勢の避難民が集まっており、1945年8月18日には通化国民学校に避難民収容所が設置された。また1945年8月13日に発生した小山克事件(武装した暴民に襲われ、日本人避難民が強姦・虐殺され約100名が集団自決した)に巻き込まれた避難民も到着しており、通化にもともと居住していた17000人[3]の日本人居留民と、10万人以上の他の地域からの避難民が滞在していた[4]。武装解除された元日本兵は次々とシベリアへ送られ、残留した居留民の多くが女性や老人で、略奪や強姦に遭い麻袋に穴を空けたものをわずかに身に付けただけの姿もあった。通化の在留邦人が衣服や住居を提供するなどしていたが、多くの日本人家屋は強制的に接取されるなどして、在留邦人・難民ともに困窮していた。
ソビエト軍・中国共産党軍の進駐と暴行

1945年8月20日、通化高等女学校に短機関銃を持ったソビエト兵2名がジープで乗り付けると校内に乱入し、女生徒の腕を掴んで引きずり出そうとした。古荘康光校長と村田研次教師が止めに入ると銃を乱射し始めたため、20代の女性教師が自ら身代わりとなって連行された。連絡を受けた通化守備隊の中村一夫大尉は直ちに兵士40名を乗せたトラック2台とともに駆けつけ、男性教師たちと共同でソビエト兵のジープを捜索したが発見できなかった。女性教師は深夜に解放されたが、その晩自殺した。翌日、ソビエト兵は再び女学校に乱入すると女生徒か昨日の女性と金品を出すよう要求した。村田教師が「女性は自殺した」と述べると、他の女性を出すよう要求されたため、隠し持っていた拳銃で2人を射殺した。教師たちはソビエト兵を埋葬すると寄宿生を連れて通化を脱出した。

1945年8月24日[5]に将校20人、兵士200人からなるソビエト軍が通化に進駐、市内の竜泉ホテルに司令部を設置した。また、ソビエト軍によって武装解除された関東軍の兵器を譲渡された中国共産党軍も同市に進駐した。

占領下の日本人はソビエト軍による強姦・暴行・略奪事件などにも脅かされていた。この段階では日本軍憲兵隊はシベリアに連行されずに治安活動を行っており、ソビエト軍の蛮行を傍観していたわけではなかった。原憲兵准尉はソビエト兵が女性を襲っているとの通報を受け、現場に駆け付けると、白昼の路上でソビエト兵が日本女性を裸にして強姦していたため女性を救おうと制止したが、ソビエト兵が行為を止めないため、やむなく軍刀で処断した。原准尉は直後に別のソビエト兵に射殺され、この事件以降は日本刀も没収の対象となった。守る術を持たない日本人遺留民はソビエト軍司令部の命令に従って日本人女性たちを慰安婦として供出するなどして、耐え忍ぶしかなかった。さらに、日本人はソビエト軍進駐時にラジオを全て没収されたため、外部の情勢を知ることは不可能となった。また、中国共産党軍は日本軍の脱走兵狩りを行い600人を検挙した後吉林へ連行した。





繰り返しになるが、私が韓国を注視しているのは、韓国の実態が主に日本の治安に影響を与えるからである。

これは米軍進駐での暴行でもロシア軍による満州での暴行でも、在日韓国人の終戦時暴行でも変わらない。その内の一つとして韓国があるのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 病院の対応様々 | トップ | 差別とは何か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外・国内政治情報等」カテゴリの最新記事