とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

帝京平成大学の論文:「イタリア」について

2014-11-16 12:02:37 | 哲学・社会
これについて2・3書かせて頂こう。


私がイタリアを題材に論文を書くならこうなる。
長文は疲れるので、極めて簡素にした。
まあ点なんて関係ないしね。

「イタリア」 魔王 太郎

 イタリアとは地政学的要所であり、絢爛たる歴史的経緯がありながら、現在におけるその実態はG7には入りながらもアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの後塵を喫している。この欧州地域におけるイタリアの国家的指導力の無さというのはなぜ発生するのか。これを考えていきたい。

 過去におけるイタリア、もといローマ帝国というものは、名実共に地中海の覇者であり、まごう事なき覇権国家であった。国家が強大化する際の必要要素とは何か、を考える時に次の要素を作業仮説上の劇セットとして考えてみたい。

一つはイデオロギー。どのようにして国家がなされるのか、どのような国家運営をしていくのかという認識を有権者が行うことである。
一つは国民気質。経済と社会を運用する国民が、どのくらいの精度でサービスを提供するかという目盛りである。
一つはアイデンティティ。国家を運営していくに当たっては、自らは何であるのか、どう行動すべきか、という出自とその思想性が必要になってくる。
一つはシステムの用意。どれだけハードの性能が良くても、それを運用するオペレーティング・システムがなければ役に立たない。
一つは地政学的特徴。例えばポーランドでは優れた人材を輩出するにあっても、ロシアとドイツの両国に挟まれているので、その歴史は蹂躙を受けやすい地理的状況にあった。欧州が植民地にしたのも、アフリカ、アメリカ大陸、インド、中国と来ていたが、極東にまで回ってくる際に対策を打てたという点において、とある国はラッキーであったと言える。
逆に阿片窟にまで成り下がった清は対抗策を打てる時間的余裕が無く・・・ということになる。

さて、これらを検証して行こう。
イデオロギーであるが、イタリアには全体主義国家体制が無い。これは欧州っどこの国にも言えそうだが、とりわけイタリア人には国家への忠誠よりも個人主義的立会いの思想が色濃く映る。
他方アイデンティティは存分に存在する。むしろ存在しすぎて、ナポリだローマだの地域出自の意識が強い。逆にこれがイタリアの結合を弱めている一因になっているのかもしれない。
システムは民主主義、資本主義が機能しているがマフィア問題があり、腐敗している。
地政学的には比較的安定しているが、バルカン半島が近いのがリスクであろう。火薬庫の火がいつ飛び火してくるか分からない。

この辺りのテーマを切り出して行きたいが、書くのが疲れるので詳細を調べるのはこれを読んだ人が各自で行って下さい。

 以上。


[追記]
つっこみ忘れた。
この学生はイタリアには行っていないので、赤ペン先生とやらはきちんと読むべきであろう。
というよりこういった手合いの文章の添削を膨大に消化していかなければならないという悲哀がなんとなく透けて見えて、悲しくなってくる。

私も思えば学生側の文章力として同様のものではあって、人のことはとやかくは言えないが、しかしこの現状なんとかせねばならないというのは事実である。
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