とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

「どうせ」と「しょうがない」の内在的論理の内訳

2024-05-06 22:06:42 | 文章・日本語・言葉
「どうせ」:

結論が決まっていたり、結果が決まっていたりして、その途中の小さな個人的努力が無意味になることが見越せているので、その予想をした上で、途中の努力を放棄する際に言われる言葉。

「しょうがない」:

上記に類例する。
但し、「どうせ」と異なるのは、「どうせ」は人間の大組織が計画したことに対する、所属人員の小さな努力が無効になる時に言われる際の皮肉や恨み節であるのに対し、「しょうがない」は人間の大組織が大計画で皮肉や恨み節を言う相手が雲の上過ぎて言いようがない時の他、天変地異や災害・戦災・貧困・困窮・窮乏・飢えなどの歴史的事象や社会構造に起因することに自身が嘆く立場である際に悲嘆を漏らす際に使用される。
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アマプラにないもの

2024-05-06 21:29:47 | 映像作品視聴感想
なんでリア充御用達の「ロードオブザリング」「シンゴジラ」などの話題作は見れるのに、ホテルルワンダとかマッハ!!!!!!!!が見れないんだよおおお

話題作はやってるけど名作は置いてない感じだ。

しゃーないエビボクサーでも見るかと思ったらこれもない。
フォレストガンプでも見て胸糞悪くなるか。
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受け入れた中東難民の2人に1人は無職で政府頼み…「EUで最も人道的」なドイツが難民拒絶に転じつつあるワケ 小学生の4人に1人は満足に字を読めない

2024-05-06 15:48:16 | 海外・国内政治情報等
移民導入派の主張は、「移民導入によって国家の経済政策としてGDPの底上げのためには人口を増やすしかない」と言うことだったが、結果として経済効果のプラスよりも負担としてのマイナスが増えた。
イギリスなどに至ってはルワンダに追い返している有様で、移民導入は一旦の失政のターニングポイントを迎えたことになる。
中間テストは落第。補講からの追試をして、今学期の期末テストに備えなければならない。



受け入れた中東難民の2人に1人は無職で政府頼み…「EUで最も人道的」なドイツが難民拒絶に転じつつあるワケ 小学生の4人に1人は満足に字を読めない
2023/06/01 10:00
https://president.jp/articles/-/70129?page=2#goog_rewarded

犯罪組織の口車に乗せられて来る人も

ウクライナは貧しい国で、政治の腐敗はつとに有名だった。だから、国民は政治に愛想を尽かしており、かねてより豊かな生活を求めてドイツに移住したい人たちが多かった。つまり彼らにとっては、ウクライナ人というだけで自動的にドイツ滞在が認められる今はまたとないチャンスなのだ。

しかも、戦争は簡単に終結しそうになく、人手不足のドイツのこと、職さえ確保できれば、1年ビザが永住ビザに切り替わる可能性は限りなく高い。それもあり、戦争勃発以来、ドイツのあらゆるところでウクライナ・ナンバーの車を見かける。中には高級車も少なくない。

しかし、問題はウクライナ人以外の難民だ。シリアやアフガニスタンのように難民受け入れが認められている国にせよ、違法に入国してくる北アフリカ諸国やバルカン半島からの難民にせよ、どちらも若い男性が圧倒的多数(そうでなければ、ハードな道中をドイツまでたどり着けない)。そして、彼らのほとんどが、内乱のためというより、貧困のために祖国を後にしている(本来、ドイツは経済難民は受け入れていない)。

しかも、彼らの多くは、ドイツは天国のような国で、仕事があり、皆が豊かになれるという犯罪組織の口車に乗せられて来ている。ドイツのテレビでは時々、元難民で、今では大学に通う優秀そうな学生や、まじめに技能を学び、しっかりとドイツ社会で働く模範的な若者の姿をルポとして放映するが、これは例外的にうまくいった例であり、幅広い現実を表しているわけではない。
2人に1人が無職、年1500億円の費用がかかる

それどころか現状は、2015年、16年に入った中東難民でさえ、いまだに職に就いているのは半数ほどで、受け入れ後15年が過ぎた2030年になっても、彼らにかかる国の持ち出しは年間10億ユーロ(約1500億円)になる予測だという。中東難民を安い労働力として活用するはずだった政界、産業界の期待は、とっくの昔に外れている。

そこに今、難民の第2弾の大量流入が起こり、あちこちに、職がなく、エネルギーだけはあり余った若い男性たちが、パンク状態の収容施設で暮らしている。審査までの待ち時間は長く、必ずしも明るい希望があるわけでもない。自治体内では自由に動き回れるとはいえ、当然、ストレスや欲求不満は募り、捨て鉢になったり、精神に異常をきたしたりする人もいれば、犯罪に走る人も現れる。

実際に昨年から、難民によるナイフを使った殺傷事件が急激に増えた。仲間内の抗争だけでなく、小学生や中学生の女の子が殺傷される事件も、複数起こっている。難民収容所が置かれた田舎の小さな町などでは、女の子を持つ家庭で不安が高まっているし、女性が林の中を1人でジョギングするのを憚る状態だ。今では、どこかに新しい難民収容施設ができるとなると、近所の住民の間でものすごい抵抗運動が起きる。入居直前に放火された施設さえあった。


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魂の去勢 腕と脳を切り取って差し出し、餌を配給される

2024-05-06 12:43:29 | 雑感
日本のサラリーマンの多くがこういうことをしているだろう。
いや日本のサラリーマンと言うと、主語の規模が適切ではない。

これは全世界の人間がそうであるのだろうと私個人は認識する。
そうでなければ、大事業での属する個人へ強制的に配される労働に対するサボタージュと言う言葉が生まれなかっただろう。

しかしそうでなければ個人が生きられない。

魂の去勢をし、腕と脳を切り取って差し出し、餌を配給されて生きる人間と、
明日をも知らぬまま、内発が赴くままに草原を駆け出す人間と、
どちらがより本当の人間に親しいのであろうか。
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労働を宗教に組み込む

2024-05-06 11:42:32 | 哲学・社会
何やら危ないことを言っているのではないか、と言う懸念もあるだろうが、そうではない。

これは現場職制の個としての人間において、人間性とその健全性を保ちつつも、集合として機能するには、個にも集合にも、これまでの歴史を改良した労働上における精神史が必要になるということである。

これを始める。

日本の労働環境は異常だ。諸外国人の目から見れば、強制労働のように写るかもしれない。それは正解である。
本来で言えば個のために集合があるべきはずで、具体的には個人が休暇を任意の時期で取れるようにするのは個の権利を堅持する上で重要なことだが、日本社会では集合を先に重んずるため、個人が任意のタイミングで休暇を取ることは許されない。これだけならばまだしも、この考えが延長して、残業の強制性のある集合認識や、それを守らない人間の排他的挙動や考慮の保持をしたりする。
これは一種の宗教と言っても良いだろう。本来は人間の内面より内発的に発せられる健全な認識が、社会における権利の保全に劣後する。
無論、それでなければ社会が回らぬと言う部分があることは私は承知するものの、一方において、だからと言ってそれが全て許され、許容されるかというとそうではない。両者はそれぞれに都合をつけ、健全なラインでの調整を図るべきなのである。

この意味において、新たな思考の補助線としての労働を我々の総合的認識、即ち宗教観に組み込んでいく必要がある。

個としての健全性、その発露、社会集合に圧される前での構造的不備の修正などである。
具体的に言えば、日本の過労死を問題にするならば、過労に到るまでの仕事量、つまり個に割り振る労働設計が上手く行っていないと言う、組織構造、組織運営上の不備があるので、これを適切な量に低下させる必要がある、と言うことである。

また、戦争などの生き死にに関する組織運営であるならばまだしも、なぜ企業の経理システムの運用で、死に到るまでの労働をせねばならないのか? あるいはそれに比した叱責が飛び交うような職場とせねばならないのか? それは人間社会と言う一つの巨大生物を運営していくに当たって、全く以て健全ではない、と言うことである。

<追記>
では、今後大事業を運営しなければいけなくなった時、どうする? 
どのように人員を配置し、スケジュールし、どのような作業強度、教育、余暇、報酬、モチベーションを与える? 


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