テニスと読書とデッサンと!

同じ人間。




私、ある時突然気がついたのです。

仕事をしている時も遊んでいる時も

なぜか周囲の方々のほとんどが

私に対して敬語を使っていることに。

もちろん尊敬されるに値するようなことを

した覚えはまったくありません。

相変わらず小心者だし、自己愛が強いし、

わがままだし、言い逃れもするし、

手を抜いたり、サボったり・・・

ときどきイライラしたりもしますし、

既婚者でありながら美しい女性の

やさしさに触れると静かな湖面に

小石を投げ入れたみたいに

心が波立ったりもします。

そんな人間なのにどうして皆さん一様に

私に対して敬語をお使いになるのか。

なんとなく自分が歳を取ったことを

思い知らされているようでちょっと重たい。

カタチだけだって分かっていても

これだけ皆さんから敬語で

話しかけられる環境に身を置いていると

もしかしたら自分はほんのちょっとだけ

皆さんよりエラいのかも知れないと

とんでもない勘違いをしそうになります。

これはとってもアブナイ罠なのです。

その手にホイホイ乗ってはいけません。

たしかに丁寧語は必要かも知れませんが

普段の生活においては尊敬語も謙譲語も

ほとんど必要ないのです。

もっと、なんというか

歯に衣着せぬ物言いで構わないのです。

そんなことよりお互いに思っていることを

ざっくばらんに言い合える関係を

大切にしていたい。

これって・・・歳上の自分だけが

感じていることなのかな?


まもなく"敬老の日"がやってきます。

もちろん長く生きることは素晴らしい。

だけどそれがいちばんの目標に

なってしまってはちょっと違う気がします。

秋元康氏が作詞した"365日の紙飛行機"

その歌の中にこんな歌詞が出てきます。


人生は紙飛行機

願い乗せて飛んで行くよ

風の中を力の限り

ただ進むだけ

その距離を競うより

どう飛んだか

どこを飛んだのか

それがいちばん大切なんだ

さあ心のままに365


距離を競うよりどこをどう飛んだか。

若い人も年を重ねた人も

目標や夢に向かって一所懸命でいることが

その人をもっとも輝かせるのではないか。

自分が何歳かなんて枝葉のこと。

距離を置かれたような敬語も

気にすることはないのかも知れませんね。



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