カーラジオからボブ・ディランの曲が流れていた。
5月24日に81歳の誕生日を迎えての特集だったらしい。
ここのところ何かが足りないとずっと感じていた。
でもそれがなんなのかずっと分からずにいて
とても疲れてなんとなく萎れていたのだけれど
その足りなかったものがやっと分かった。
私は高校時代から大学を卒業するまで
何かが足りないと感じた時は
必ずボブ・ディランのアルバムを
ターンテーブルに乗せていたような気がする。
そのアルバムはたび重なる引越しの際にも
大切に梱包し開梱してはそっと棚にしまった。
ステレオが壊れてアルバムが聴けなくなってからは
もうその棚を開けることさえしなくなった。
ずいぶん時が過ぎてカーラジオから
流れてきたあの歌声はとても懐かしかった。
まるでタイムカプセルを開けたよう。
”ミスタータンブリンマン”、”くよくよするなよ”、
”見張り塔からずっと”、”イフノットフォーユー”・・・
私がいちばん好きな”明日は遠く”がかからないかと
期待していたけれど、そうはならなかった。
でも曲がかかるたびに遠い当時のことを思い出し、
あの時に触れたような感覚に陥った。
家に戻ってレコードの棚の扉を開け、
アーティストたちのアルバムを手に取ると
頭の中のターンテーブルが回り出し
懐かしいメロディが流れてきた。
今の若い人たちは今聴いている曲が
遠い未来に流れてきたら
私と同じような思いが込み上げてくるのだろうか。
たぶんそうだと思う。
”明日は遠く”の歌詞和訳(片桐ユズル訳)を
自分で読み返せるようにここに書き留めておくことにした。
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“Tomorrow is a long time” Bob Dylan
もし今日が果てしないハイウェイでなく
もし今夜が曲がりくねった山道でなく
もし明日がそのように遠くでなかったら
淋しいということはなんの意味もないだろう
そう、わたしの恋人が待っていてくれさえしたら
そう、彼女の心臓がやさしく打つ音が聞こえさえしたら
もし彼女がそばに寝ていてくれたなら
わたしはもういちどベッドで寝よう
わたしの影が水に映ったのを見ることができない
くるしくない音をしゃべることができない
わたしの足音の反響を聞くことができない
自分の名まえがどんな響きだか思い出せない
そう、わたしの恋人が待っていてくれさえしたら
そう、彼女の心臓がやさしく打つ音が聞こえさえしたら
もし彼女がそばに寝ていてくれたなら
わたしはもういちどベッドで寝よう
銀は美しい、歌う河
空の日の出は美しい
だが、これらもなにもわたしの記憶にある
恋人の目の美しさにはおよばない
そう、わたしの恋人が待っていてくれさえしたら
そう、彼女の心臓がやさしく打つ音が聞こえさえしたら
もし彼女がそばに寝ていてくれたなら
わたしはもういちどベッドで寝よう
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リンクはNickel Creekというブルーグラスバンドのもの。