司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 19 中国・江南のみち』★★
http://publications.asahi.com/kaidou/19/index.shtml
結構なスピードで進む。
最近始発に味をしめてしまい座って通勤読書
朝の冴えわたる時間
没頭30分
先週なんて降りる駅を通過するぐらい世界にハマり込んでしまった。
司馬遼太郎
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「呉服」
という日本語も、もともと蘇州の絹織物ということをさした。はるかに歴史の遠い春秋のころの呉の国の服ということでは、なんとも時間感覚として大がかりすぎる(ここで、書きもらしたことを大急ぎで言い足しておく。中国史にあっては、春秋の呉国以後、同名の国が二度あらわれる。よく知られるように、三国時代の呉国と五代十国の呉国である。いずれも揚子江下流地方を本拠としただけで、蘇州を国都とはしなかった)
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古代日本が、漢をもってアヤと和訓していたのも、まことに微妙である。古語のアヤ(綾・文)は、絹織物からきた。織りでもって模様を縦横に表現したのをアヤという。またその紋様をもアヤという。そういう豪華なものはみな海外の文明の源泉からやってくる。その源泉が漢であり、かつ漢がアヤなのである。
アヤは『古事記』『日本書紀』『万葉集』などのふるい言語例において、形容詞(あやし)、副詞(あやに)、動詞(あやしぶ)にもなった。アヤは、最初は綺麗なという感じからはじまって、やがて、霊異なほどに、また現実(うつつ)とも思えぬほどであるために怪しむ(怪しぶ)というように変化する。
古代日本人が、アヤである漢の文物(とくに絹織物)に最初に接するのは、朝鮮半島経由によってである。古朝鮮の南部の小地域に伽羅(伽耶ともいう)国があり、古日本では任那(みまな)とよんでいた。伽羅はしばしばアラと発音され、伽耶もしばしばアヤと発音された。綾織の絹織物は当初「アヤ(伽耶)の物」とよばれたのではないか。アヤ(伽耶)の文化の源泉は漢にあることから、漢という文字もまたアヤとよばれたと考えるのは、ごく自然である。
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六朝文化の本質は、秦・漢以後の中国では例外的なほどに貴族文化であることだった。遊情の風をもち、漢民族にはめずらしく政治をもって至上価値とする精神が乏しかった。むしろ政治を野暮とし「風流」を重んじた。風流という語と思想と態度が、やがて百済経由で日本に定着する。風流至上、政治は野暮という六朝の気分はのちのち平安朝の文化を染めあげ、こんにちなお日本人の政治観に投影しているのではないか。
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「海を見ようよ」
「ね、張さん、海を見ようよ」
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…その気持ちわかる(笑)
それに対して応える張さんの思いもがけないおもてなし。
ジャンク!!












