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2016-02-01 | 探検家




角幡唯介
『アグルーカの行方
 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』★★★★



旅行記でも特にこういった極地もの(記録しているのは『北極男』)
惹かれて手に取る傾向が多い。

新聞社で働いていたからなのか文才があって読ませる文章
フランクリン隊との考察も含め、なぞを解明していく経過も的確


一気にこの週末で読破
読みながら地図を見て一緒に辿るよう(暖かい部屋だけど。。)
何度も何度も島の名前と湾の名前入り江の名前を反芻しながら。
探検家によってちがうルートもあたまに入れながら。


引用文献で気になる本はやっぱり『世界最悪な旅』


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アグルーカとは、イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する。
背が高く、果敢な性格の人物に付けられることが多かった。
かつて北極にやって来た探検家の何人かが、この名前で呼ばれた。



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おそらく極地というのはそういう場所なのだろう。生から死へ至る一連の過程が、あくまで地続きに、滞りなく起きてしまう。圧倒的に過酷な自然環境が、そこにいる人間に死を無意識のうちに受容させる場所なのだ。当時の極地探検家とは、おそらくそのことを半ば織り込み済みで極地に向かった、半分壊れた人たちだったに違いない。『世界最悪の旅』を読むことで、私はそうした『極地観』を抱くようになった。ナイーブだった当時の私にとって、死とはまだ生から遠く隔たった世界にあるものだった。だから極地のようなあたかも生と死が渾然一体となった場所に、
自分が行くことなど想像もできなかったのだ。



一番の目玉は何といってもサラダ油とゴマ、それにきな粉を加えた荻田特製のチョコレートだった。
リゾリュート湾を出発してからしばらくは、まだ体に余分な脂肪が残っていたせいか、私には規定量通りの食糧を食べるのがしんどいぐらいだった。それに荻田特製チョコレートは、私に言わせれば、あまりいい出来だとは思えなかった。一日の行動が終わり、テントの中に入ると、いつも行動食のジップロックの中にはチョコの塊が残っていた。寒さのせいでチョコレートというよりも煉瓦のブロックのように固くなり、無理して食べようとすると歯が折れるのではないかと少し怖くなるほどだった。荻田は北極に来る時は必ず、この固い物体を食べているのだという。
「そのうち疲れてくると、このチョコがうまくなるんだ」
荻田はことあるごとにそう言っていた。
「最後のほうはいつも、日本に帰ったらこのチョコをたくさん作って食いまくってやろうと思うんだよね。信じられないだろうけど」
私には彼の話が信じられなかった。たぶん彼とは味覚が合わないのだろう。もしかすると顎や歯の強さが違うのかもしれない。そもそも私はチョコが嫌いなのだ。最初のうちはそう思っていた。
しかし出発してからしばらく経つと、彼が言ったとおり、私にも確かにそのチョコがおいしく感じられるようになってきた。疲労が蓄積し、荻田の話が現実のものとなりつつあったのだ。そして驚くことに二週間も経つと、休憩の時にジップロックをあけて最初に食べるのは、このチョコになっていた。相変わらず固くて食べにくかったが、ビーバーのように前歯でがりがり削ると、何ともいえないとろりとした上質な甘みが口の中に広がった。そして出発してから二十日ぐらい経った頃だろうか、荻田が御信託を述べるように言った。
「ついにこのチョコが一番うまくなった。体が本当に消耗している証拠だ」



GPSが登場するまで極地探検や航海では六分儀などの航海計器が使用されていた。

極地を旅することの意義は自然の中に深く入り込むことである。自然にいたぶられ、その過酷さにおののき、人間の存在の小ささと生きることの自分なりの意味を知ることになる。しかし、GPSのこの便利さは、こうした極地における冒険の意義を失わせかねない。自然の条件と無関係に作動するGPSは、たとえ氷点下四十度の乱氷帯の真っ只中にいたとしても、多かれ少なかれ私たちを自然から切り離す。何よりも、厳しい自然の中を自分の力だけで旅をするという最も基本的な部分が侵されているような気にさせられる。



壊血病――。サイリアクスが犯人として指摘したこの病気は、十六世紀の大航海時代以降、外洋に乗り出す船乗りから最も、海賊よりも恐れられてきた病気だ。発病すると生気がなくなり、歯根のあたりまで歯肉が腐り、歯が今にも抜けそうになる。息からは悪臭が漂い、足がぐらつき、体中にあざができて放っておくと死亡する。感覚的な苦痛も生じるらしく、ハスの花の香りがもだえ苦しむ原因になったり、病気が進行した場合にはマスケット銃の銃声が致命的になったりするケースもあったという。
この恐ろしい病気が現代の私たちにあまり馴染みがないのは、新鮮な野菜や果物を摂取するか、あるいはビタミンCのタブレットを飲むだけで防げるという単純な理由によるだろう。しかし壊血病を引き起こすのがビタミンCの欠乏だと分かったのは二十世紀前半のことで、それまでは壊血病の発症が何に起因するのか、はっきりとは解明されていなかった。



「キングウィリアム島では一人旅をしないほうがいいよ。多くのイヌイットが仲間の肉を食べる白人の幽霊を見てきたからね」



結局、人間が不毛地帯を旅しようと考えたら、十九世紀のヴィクトリア朝の英国人も、二十一世紀のロスジェネ世代の日本人も同じようなことを考えるということが、私には面白かった。十九世紀の英国の探検隊など、私たちにとっては別の国の歴史の住人という遠い存在にすぎないが、しかしひとたび北極という共通の条件の中で絞り込まれると、そうした社会や時代の差異は一遍に無化され、同じ人間という共通項だけが浮かび上がってくる。北極を旅するというのはもしかするとそういうことなのかもしれないとも思った。



これは日本を出発する時点で決めていたことだが、ジョアヘブンから先では氷上区間で使用していた衛星携帯電話を置いていくことにした。フランクリン隊の生き残りは通信手段を持っていなかったから、というのがその理由で、彼らが見たものに近い風景を体験するためには、なるべく同じ状況に身を置いて旅をしなければならないという気持ちが私にはあった。

どうやって自然の奥に入るかが冒険の難しさなのだが、通信機器を持っていくと、どうしてもその「入り込み感」が弱まってしまう。もちろん持っていった方が安全なのだが、最悪の場合は救助を呼ぶことができるという担保を心の中に持ってしまうことが、自然の中に入り込むことを阻害する要因になってしまうのだ。

冒険の本来の姿は放浪である。この先、自分はいったいどうなるんだろう。そういう漠然とした、先行きが不透明なところにその魅力はある。そして未知の世界に挑む探検にこそ、そうした冒険性は最も色濃く反映される。システム化された世界、マニュアル化された枠組みの中で展開される行為は、どんな冒険的な意匠を凝らしていても、それは冒険ではない。



「この光景を見た人間は、もしかしたら有史以来、初めてかもしれないな」
荻田が立ち止まってつぶやいた。ずいぶんと感傷的なことを言うやつだなと私は思ったが、しかしその言葉は、私たちにとっては決して大げさというわけではなかった。イヌイットを含めても、夏の不毛地帯の奥深くに、これほど入り込んだ人間が過去にたくさんいたとは思えない。それだけ私たちは人間が足を踏み込まない環境の中を旅していた。少なくともそう思えるところにはいた。目の前に広がっているのは、地球が作り出した生のままの自然だった。私たちはそこに人間の住む場所から二十四日かかってやって来て、そこから出ていくのにも同じぐらいの日数を必要とするだろう。私たちがそこにいることを知っている人間は、この世に一人も存在しなかった。私にはそれが素晴らしいことのように思えた。だからこそ私はたちは目の前の風景と直結し、重なりあい、溶け込むことができていた。人間と接触した過去と、接触する未来が、時間的にも距離的にも遠く離れすぎていて、現在の自分からは想像もできないという、まさにそのことによってもたらされる隔絶感の中で私たちの旅は続けられていたのだ。
もしかしたら自由とはそういうものなのかもしれなかった。
私はアグルーカと呼ばれた男のことに思いを馳せた。もし彼らが不毛地帯に向かったという話が本当なら、その拒絶感は私たちが感じたそれよりもはるかに強いものだったにちがいない。何しろ彼らには過去の記録どころか、地図すら一切なかった。不毛地帯を横断した探検家はまだいなかったのだ。
地図がない世界を旅していた人たちを私は純粋に尊敬する。地図がなければ、その先の地形の状態が分からず、先の見通しが立たない。大きな川に行く手を阻まれるかもしれないし、知られざる湾がそこに立ちはだかっているかもしれない。それは今という時間が未来から分断された世界を旅するということに他ならないのだ。土地が未踏であるということは、彼らの隔絶感をさらに高め、旅を不安なものにしていた。しかしだからこそ、いっそう魅力的なものに変えていたともいえる。
だから私は思うのだ。アグルーカと呼ばれた男が本当にいたのなら、彼の目に映った光景は、私たちが見ているものよりも、はるかに美しいものだったにちがいないと。



川で水遊びする鳥の鳴き声が遠くまで響きわたった。鳥が水と戯れる音以外は何も聞こえなかった。風と水の流れがなければ北極の荒野からはまったく音が消えてしまう。恐ろしく静寂で澄み切った世界だった。



「ベイカー湖の近くで写真を撮ったらヘリコプターが写っていたの。何かなと思ったら、ヘリじゃなく蚊だったわ」



「探検にはそれ自体に価値がある」



彼らは北極の自然に囚われていた。

北極の氷と荒野には人を魅せるものがある。一度魅せられると人はそこから中々逃れられない。それまでふらふらろ漂流していた自己の生は、北極の荒野を旅することで、初めてバシッと鋲でも打たれたみたいに、この世における居場所を与えられる。それは他では得ることのできない稀な体験だ。だから彼らは何度も行って、顔に凍傷を作り、飢餓に苦しみ、壊血病にかかり、ひもじい思いをして帰って来た。そしてまた行く。誰かに言われたからではなく、自分で行きたくて行くのだ。
探検とはそういうものなのだろうが、たぶんフランクリン隊はちょっと先まで行こうとし過ぎたのだ。まだ時代はそこまで許していなかったのに、彼らはそれより先に行こうとした。それで結局失敗した。しかし彼らは死ぬために行ったのではなかった。だから生きて帰ってこようととした。アグルーカの物語は、その最後に生きて帰ってこようとした人間の象徴的な後ろ姿であるように、私には思えた。
アグルーカは最後に不毛地帯のどこかに消えた。私が見たかったのは彼らが消えたその風景だった。今でも思うことがある。私にはそれを見ることができたのだろうかと。



人跡の稀な場所から人里に向かって旅をする時、そこが風の吹き荒ぶ荒野であろうと、緑の濃い不快な密林であろうと、どんな場所であれ最初に現れるのは必ず道である。

だから私はいつも道を見た時に、自然の中から人間の住む場所に戻ってきたことを知り、旅はついに終わったのだという感慨をいだく。


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