まちづくり 残るものは…

岡山の文化 観光のコアになる地域から、近隣市町村まで動きを変えます。企業誘致、移住定住促進なども("^ω^)・・・

第3回「おかやま 園・城・堀端 協議会」議事録 その1

2010年12月28日 | 「おかやま 園・城・堀端 協議会」
第3回「おかやま 園・城・堀端 協議会」について
●日 時  平成22 年12 月20 日 午後6:10~8:30
●場 所  内山下 中店
●出席者 
○学識者
横田勉弁護士、岡山理科大学江面教授 2名
○岡山県
文化振興課加戸総括副参事、岡山後楽園事務所石井所長 2名
○岡山市
企画局皆木次長
都市整備局都市計画課桐野課長、河原係長 3名
○カルチャーゾーンまちづくりの会
黒瀬、天野、山本、中塚(石関)、藤原、濱田、永松、中塚(中)、西垣、
野崎、氏房、渡辺、岩田(上)、松田 、大河原、松下 16名

(テーマ) 「天神山」について      進行 松下

(横田弁護士)
天神山を語る会で出席願いたいと言うことで来たが、とたんに話をしろということで、
だまされてしまいました。というのは、私は岡山の出身ではありません、天神山を語る
資格はないのです。松下さんは何か勘違いをされているのです。私は、総社市から岡山
市に住民票を移したのが25歳の時で、倍になった歳になって、岡山市について意見を
言おうと思ったわけです。
岡山市が政令市になって、まちづくりのために一遍でも頭を使ったことがあるんだろ
うかと市長に言っている。私は総社高校の出身で、谷君は僕に一年下なんです。OB
会で恩師と一緒につるし上げたのです。西川が岡山の最たるものだと言っているが、こ
れが観光地になるのか、場所が狭すぎる。日本に、世界に誇れる観光地になれるわけが
ない。岡山の中心の城下町を大事にせずに、なぜ、中心市街地が元気になるのか。これ
から中心市街地を良くしようというのが遅すぎる。大市長になりたいのであれば、これ
だけやったという業績を残しなさいと言っている。大体、区割りが悪い。中心の城下町
が、なぜ北区なのか、特徴があるもので各区を作っていかないといけない。公共交通の
問題も、パブリックコメントだけして、みんなの意見を言わせない。
ライオンズクラブは岡山を元気にするために座談会を2回やりました。やはり、中心
市街地をどんなにかしないといけない、なぜ操車場跡地を検討しているのか。ここが成
功したのは、私が都市計画審議会委員をしていたときに元市長の岡崎市長に聞いたら、
関係地権者は一人平均7反持っている。ここに都市計画をしなければ、住宅地にならな
いということで賛成している。庭瀬の駅周辺の人は道路をしなくてもよいということで
ダメになった。県庁、市役所を分散しておいて、流通業務都市ということで内環状、中
環状、外環状線と造っていた。その時は商業都市ということで良かったが、いまはダメ。
岡山は教育県だといっているのに、岡山市はなぜ重要な藩校をあんなにしているのか。
藩校を復元しないといけない。住民が文句を言わなかったのは、岡山市が教育県である
ことを認識していなかったのではないか。中山下公園のところは検察庁があり、東側は
裁判所だった。県立美術館のところは広島高等裁判所岡山支部だった。昔は広島に行く
にも4時間かかっていて、1日仕事になるので、私の先輩が進駐軍にいって造ってもら
った。昔の岡山市の人は自分でお金を出していた。今の人は街を良くするのに金を出そ
うとしない。国や市の金で造って市民が使うという形が蔓延している。私が裁判所の副
会長をしていたとき、長野知事に呼ばれて、裁判所のところに文化施設を造りたいとい
ってきて、そりゃ困りますと、それでも、長野知事は最高裁に行って断られた。それで、
移転先を用意して、今は南方のほうにかわった。これでまちづくりのことを考えている
のか。南方小学校のPTA 会長をしていたとき、岡崎市長が何遍も交渉して鉄筋校舎を建
てたが、今度はそれを壊して後楽館高校にしている。今の岡山にないものは、観光観光
といっているが、岡山県は後楽園の入園者が100 万人になったとかの統計ばかりを言っ
て何を考えているのか、これで文化を語るのはおかしい。一番大事なのは人が住まない
といけない。今の区づくりはダメ、県庁も市役所も裁判所も岡山駅も北区で、北という
のはへんぴなところです。
私は60歳を超えた頃から遠慮しながら岡山市の苦情を言ってもいいのかなと思って
いる。今日は皆さんの意見を聞きに来ています。
(黒瀬)
以前は私もまちづくりの話ができなかった、それは私が歴史を知らなかったからです。
この会では、皆さんがご存じの歴史を整理して、多くの人に言っていただこうと考えて
います。また、行政の人や首長が歴史を知らないと横田先生が言ったようなことになる
のです。
(横田弁護士)
安藤(忠雄)さんが、西川が岡山の名所になると言って、市長もそうと言っていると山陽
新聞にでている。とんでもない。岡山には旭川があって、石山・天神山・岡山と、そこ
から岡山は発祥しているんだということを認識しないとまちづくりはできません。
(松下)
横田先生と2年ほど前にお会いしたときに、お話に感激したんです。世界を見てごら
んなさいと、文化はアテネやモンマルトルの丘のように、丘や山で発祥しているんです。
天神山は岡山のルネッサンスなんだと、文化復興をここでやりなさいといわれたんです。
そういえば、丘や山に文化は集中するんですね。私もそこで力を得て、大河原さんと一
緒に、ここでまちづくりに力を入れていこうということで目標ができたわけです。
(横田弁護士)
芸術や文化は、そこに住んで活動をやらないといけない。住んでいない人が 住まな
いでまちづくりはありえない。
(松下)
いえいえ、ここにおられますよ、山本先生が。地元で空き家を活用し、芸術家を呼び、
活動されています。
(黒瀬)
天神山をパリのモンマルトルのような丘に、非常におもしろいと思います。天神山プ
ラザがあり、県立美術館がある。ただ、モンマルトルの丘と違うのは広場がない。後楽
館高校の跡地が公園や広場になれば、小高いところなので周辺を見渡せるし、出石や石
関町に優良な住宅は配置されていて、そこに芸術家が住んで、公園もあり、しかも岡山
城や後楽園も旭川も近い、これはいいなと直感的に思ったわけです。
(横田弁護士)
岡山城の周辺の市民会館を壊せばいい、山陽放送を壊せばいい、もともとあそこは岡
山発祥の地ですよ。ここに何かを考えれば、モンマルトルに負けやしない。そうすれば、
内山下小学校も利用価値ができてくる。
(山本)
出石の街は戦災に残った街並みが残っていて、岡山では唯一、出石と番町と古京町に
街並みが残っていて、出石のみが密集した街並みと道路が残っているだけです。街は歴
史を大事にしないと、昔のものがどこかに残っていないと、街の魅力はなくなってしま
います。出石町の古い街並みは何とか残していかないといけないと思います。街並みと
いってもだんだん歯抜け状態になってきて、街の魅力もなくなってきている状態です。
倉敷もそうですが、周りの街並みもそれに合わせて、景観を維持しながら街並みができ
ます。出石も今残しておけば、それに合わせた街並みができます。岡山市も認識してい
て、景観を残していこうと考えていますが、これは家を改修するときに規制をかけて、
このようにするもので、街の貴重な建物が取り壊されている場合は規制がなくてどんど
んなくなっている状況で、建てるときに綺麗にしなさいという規制なのです。出石も残
していかないといけませんが、個人的にはお金がなくて、所有者は売ってお金に換えて
それを活用したいと思われてしまうと、どうしようもなくなってくる。そこを、行政の
力で買い取ってもらい、古い建物を残してもらえないかと思います。行政ばかりをあて
にしてはいけないので、空き家になっている建物は、「出石をどねんかする会」をNPO
法人にして、借り上げて、それをアーティストの若い人に貸すということをやっていま
す。でも、貸してもめんどくさいトラブルに巻き込まれることになるとか、物置にして
いて片づけるのがめんどうくさいとか、なかなか貸してくれる人がいないんですが、貸
せばいくらかの小遣いも入ってくるということで、オーナーを説得して家を借り、それ
をアーティストに貸して、アートの街になってもらいたいと思っています。なぜ、アー
トの街と考えたのかというと、出石は国吉康雄という、日本では有名ではありませんが、
世界的に見ると竹久夢二よりも知られている芸術家の出身地であることと、古い街並み
に現代アートがあると若い人が興味をもって、集まってくれるのかなと思います。後楽
園が一級の観光地としてありますが、後楽園だけでは滞在時間も短くて、魅力の乏しい
観光地なので、後楽園プラス周辺地域で、岡山城を中心とした史跡の集まっている地域
と、もう一つは古い街並みを残している出石の地域で観光客が何時間もいて楽しんでも
らえる街になればいいかなと思っています。出石に空き家が20件ぐらいありますが、
そこに20人のアーティストが入れば、出石を歩けばアートに当たるといった具合に、
アートの作品の販売をしたり、ギャラリーを見学したり、アートを作る体験をしたりと
いう街になれば、後楽園の観光客も来てもらえるし、岡山の魅力もアップすると思って
います。古い建物はどんどん取り壊されてしまうので、なんとかこの歯止めをしておか
ないと遅いのかなと思っています。以上
(黒瀬)大家さんは岡山市が買うといったら売ってくれるのですか。
(山本)それはわかりませんが、難しいかもしれません。
(黒瀬)松田さんどうですか。
(松田市議)
岡山市が買ってしまえば、丸く収まるが、なかなかそこまでは難しいのかなと思いま
す。谷市長は出石の方に力を向けてくれています。一つは、黒瀬さんが以前に提案し
てくださっているのが、市長の後押しになっていると思っています。岡山市はアドバイ
ザー会議を実施していて、岡山城のまわり、出石界隈、後楽園といろいろなところを含
めて始まったところですが、それが2回終わり、今回の議会で質問をし、高次局長が前
向きに取り組んでいきたいと、岡山市がリーダーシップをとって取り組んでいくと答弁
いただきました。この会で皆さんの考えを聞き、この会を継続することが、政令市にと
って重要なことなんだろうと思います。
ニュージャジー州のある街で、道路が通っていてそこにグリーンベルトを、その道路
に沿って緑をはりめぐらせたいと住民の要望があり、住民の皆さんが200回以上こう
いった協議を重ね、それを実現するには一人あたり1万円を出さないといけないという
結論になり、住民が承諾をし、実行しているそうです。ですから、私たちの意見を凝縮
して、それを住民パワーとして市にぶつけていく。市と交渉しながら物事をやっていく。
私たちもできることをやっていく。そして、行政もこれをフィードバックして、国や
県と協議しながらやっていく。そんな形で良いものができればいいと思っています。
(黒瀬)
日本はソウルの李王朝を潰しているが、韓国民に歴史的顕彰をさせないために20年
前はなかったんです。この5月にいったときには全部復元しているのです。今は完成形
に近い形になっている。これがあると街の格が上がります。
岡山市も同じようにせっかくすばらしい城郭があったんだけれど、ほとんど破壊され
て、あったことさえ知らない状態になっている。イメージするものがなくなっている。
復元すると誇りを取り戻せます。ソウルを見てつくづくそう思います。そのスタートは
歴史を知ることなのかなと思います。
(松田市議)
その道路を造ると税金が1万円上がるんですが、それを住民の皆さんが良いといった
理由は、いい人ばっかりをその街に集めたいという主旨があったようです。税金をしっ
かり払える住民に集まってもらって良い街をつくろうという考えがあったようです。
(横田弁護士)
山本さんはすばらしい活動をしていて尊敬しています。
出石は何を中心にやっていくのか。いつの時代でやっていくのか、城下町の時代でやっ
ていくのか、昭和や大正の時代に戻すの、限界がある。
(山本)
出石の魅力を考えていて、江戸時代のものはなく明治の中期から大正・昭和の初めの
建物が本物として残っています。倒して復元すると材料は新しくなり本物ではありませ
ん。首里城は焼けて復元していますが、復元したものというイメージで見てしまう。元々
あるものは残していかないと思っていて、今のところ出石は、明治、大正、昭和初期の
戦前のものもあると、戦前のものという本物が残っているのが出石町だけで、昭和の3
0年40年のものもあるし、新しい平成の建物もあるし、いろんな建物があります。混
在して残っているのが出石の良いところかなと思っています。復元するのであれば江戸
時代の建物を復元し、ガウディが設計したような斬新な平成の建物もあっていいと思い
ます。いろんな建物もあるけど、本物も残っているという地域にするとおもしろいのか
なと思っています。どこの時代に統一するというのは考えていません。倉敷は江戸時代
の中期後期の白壁の街に統一していますが、出石は時代を統一するのではなくて、いろ
んな時代のいろんな建物があると、岡山のどこにもない、本物をきちんと残していきた
いと思っています。
・・・その2 につづく→http://blog.goo.ne.jp/bonqsi/e/a718e7f14433d07ee171ec95887320ce
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