あした天気にな~れ!!

日々のでき事の中で、特に感じたことや考えさせられたことなどをつづります。

★そういえば事故

2006-05-06 13:41:05 | 生活
 
 そういえば、先月の話しになりますが、事故ってしまいました。

 幹線道路を直進中、右折で停車中のバスの陰から、急に対向の右折車が飛び出してきたのです。

 一瞬、減速しながら、右方向に逃げれば、避けきれると思いました。

 ただ、注意喚起しなければならないと思い、クラクションを鳴らしながらの運転操作。

 どうやら、先方は、当方の警笛に驚き、減速してしまったようです。

 結果的に、避けられるとの判断ははずれて、先方の左後輪に、当方の左フェンダーが接触してしまいました。

 こちらは、身構えて、急制動の状態にありましたので、特に怪我もありませんでしたが、先方は左後ろから撚りのちからが加わっている関係上、腰を痛めていた様子。

 ただ、先方は“自分が悪い”と感じていらっしゃるようで、何も申し上げてはいらっしゃいませんでした。

 保険対応ですが、過失案分は 8 2 でこちらに非がなくとも少しのミスが覆い被さるようです。

 自分が気をつけていても、こういうことってあるんですよね。

 皆さんも、お気をつけください。




   見るも無惨な愛車くん。結局、自走できずレッカーとなりました。


★長崎出張(でもほとんど旅行...笑)

2006-05-05 16:26:26 | 旅行
 
 こんにちは。
 世間がGW中にあっての平日、長崎に出張してきました。
 とはいえ、修学旅行の下見でしたので、ほとんど旅行気分。

 観光地をあれこれ巡って来ましたので、とりあえず、写真をペタペタ貼ってみたいと思います。

 博多から特急かもめ で長崎入り。飛行機で、一気に長崎に出なかったのは、費用の問題です。はい、とても疲れました。



 無事に長崎に到着です。
 いきなり、暑さでへとへとでした。長崎が暑かったのではなく、全国的に暑かったみたい。



 まずは、長崎原爆資料館へ。
 こちらで、担当の方とお打合せ。
 中は、さまざまな展示がありました。ひとつ一つの展示物が、次々に語りかけてきます。涙が止まらなくなってしまいました。



 平和母子像。この周辺には、さまざまなモニュメントがあります。



 こちらは、爆心地の公園にある地下の地層を見られるようにしたもの。少し掘り返すと、すぐにたくさんの遺留品が出てきます。もちろん、瓦礫の他に、被害に遭われたかたの遺骨もある。私たちは、そんな遺骨の上を歩いていた事になります。

 復興の陰には、このような痛ましい事実が隠されています。



 爆心地に建てられた石碑。



 爆心地から、わずか離れたところに、平和公園があります。かつてはprisonだったところ。もちろん、ここでも多くの被害者が出ました。

 多くの文献に、被爆直後に水を求めて彷徨う人たちがいると記されています。そういう方々を慰めるかのように噴水がありました。



 平和祈念像です。毎年、原爆が投下された8月9日に原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われます。



 こちらは、永井博士が晩年に過ごした如己堂。



 なんと、私が訪問した5月1日は、永井博士の命日でした。何たる偶然。なにか見えない運命を感じました。



 こちらは、山里小学校防空壕跡です。
 ここに逃げ込んだか否かで、生死を分けた方がいらっしゃると聞きます。



 山里小学校です。現在は、とてもきれいで、静かな雰囲気の小学校です。



 こちらは、浦上天主堂



 ここまでの碑巡りは、とても重たい内容でした。少し辛かった。
 翌日は、観光モードで、まずは大浦天主堂からスタートしました。



 こちらは、グラバー園の旧三菱ドッグハウスです。明治29年に建てられた、乗員の宿泊休憩施設です。園内の最も高台にあり、長崎湾を一望できます。



 旧三菱ドッグハウスからみた、長崎港。大きな船が浮かんでいます。



 こちらがグラバー邸です。幕末のイギリス企業家トーマスグラバーの邸宅ですが、とても大きく、素敵なお家です。こんなお家に住みたいなぁ。



 続いて、出島。長崎県が、出島和蘭商館跡復元整備事業を推進中です。ただ、復元された「一番船船頭部屋」「一番蔵」「二番蔵」「料理部屋」「ヘトル(商館長次席)部屋」などは、妙に新しく、“う~ん、何かが違うような…”と思わず唸ってばかりでした。



 と言う訳で、私のちょっとした小旅行、ご紹介しました。

 仕事抜きで、来たかったな。

 (タダだから、文句言うなという声が聞こえそう
 

★近況

2006-05-05 16:07:49 | ひとり言
 
 新年度の準備で大わらわ。
 ブログの更新どころか、お気に入りのブログのチェックもできないほどでした。

 スタッフは、全員が新任なので仕事を割り振れず…。引き継いだはずの後任のシステム担当者が緊急入院(再起の見込みがないくらい酷いらしい)でシステムの仕事もこなし…。しかも、その方が担当するはずだった授業を、まるまる請け負わされて。大わらわの状態でGWに突入しました。

 今年度から、溜まった職場の仕事は、“ぜ~ったい”自宅に持ち帰らないことにしました。 自宅では自宅で、原稿や論文を書かねばなりませんから。

 でも、そうすると、必然的に、帰宅が遅くなるわけで。

 ともあれ、早めにライフスタイルを確立することが先決ですね。

 もっとも、今の職場には、ある意味で見切りをつけました。以前から、シックリ来なかったのですが、経営層の方針と私の基本的な考え方が合致せず、居心地が悪かった。

 あれ、かなり愚痴っていますね。ごめんなさい。

 前向きにいきましょう。
 



★異動

2006-02-21 23:19:52 | ひとり言
 
 異動の内示が出ました。

 いえ、これまで、何度となく打診はあったのです。でも、他のセクションは単に興味も湧かず…。ずっと、曖昧な態度をとってきていたのですが、とうとう地雷を踏んでしまったみたいです。


 今の職場では、仕事の経歴的に一貫してシステムやインフラを担当。人手不足と言うこともあり、私一人で好き勝手にやってきたので、現在のコンフィグレーションがわかる人がいないはず。

 一番困ってしまうのは、私以上に、他のスタッフかもね。 (まだ、内示の段階なので、周囲にはこのことはまだオフレコなのでつ)


 それで、次年度の異動先なんですが、よりによって中等部新1年生の学年 中学生の面倒なんて、想像できないよぅ。


 これで、確実に研修出張と学会出張が減るな
 

★式典

2006-02-18 22:12:28 | 生活
 
 今日は、二つの式典に臨みました。


 ひとつめは、勤務校高等部の卒業式。

 公立高校の卒業式は、まだまだ先だと思いますが、私立高校は比較的早めに行われます。最も早いところは、センター試験直後に行われるそうです。これは、大学受験日との兼ね合いが大きな理由です。

 卒業式を終えたからといっても、国公立2次試験や後期試験が残っていますので、特別講座は行われます。そういう意味では、全員が受験勉強に支障が出ない日程を模索しての結果といえるかも知れません。

 さて、今年、卒業していったのは、普通教科「情報」が正規のカリキュラムになって初めて生徒達です。そういう意味では、試行錯誤の中で一緒に勉強してきた仲間でもあります。

 1年次2単位しか、付き合いがなかった学年ですが、式典を終えた後、数名の生徒達が、卒業アルバムに私のサインを求めて来てくれたのには、本当に嬉しく感じました。

 卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございました。



 さて、ふたつめの式典は、葬儀の前夜式。

 仕事の関連で知り合った方の息子さんが事故でお亡くなりになったのです。

 私にとっては、突然の訃報だったのですが、聞けばこの事故は、テレビや新聞などで全国に報道されたもの。本当に不運な出来事でした。

 享年23歳とおっしゃっていたかな。まだまだ、お若いのに、とても残念です。

 宵から始まったキリスト教の前夜式は、ご自宅で営まれました。牧師さまのお話しが身にしみました。

 故人のご冥福をお祈り致します。