「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

めでたし考

2008年01月05日 | ああ!日本語
 元旦に家人と交わした「明けましておめでとうございます」を初めとして、年賀状で、あるいはMAILで、コメントで、と幾度となく“おめでとう”の挨拶を交わしました。
 そのうちふと、「めでたし」の語源に思いが至りました。
 「愛づ」めづ+「甚し」いたし。の愛づの連用形「愛で」に形容詞「甚し」がついたのが、約されたものであることは容易に見当がつきます。「いたし」のほうは、そのまま文字通りの甚だしいでしょうが、問題は根幹の「愛づ」です。
 古語辞典によると、「めづ」は、心がひきつけられるという意味が土台で、讃美する、感心する、ほめる、と展開しています。日本書紀や万葉集では“愛での盛り”と用いられてもいます。

 大晦日、紅白の歌を聞くともなく耳にしていて、やたら「愛して」「愛する」の歌詞が耳につきました。日本人には馴染まないと思い込んでいた「愛する」はいまや確乎とした地位を得て定着しているようです。それに反比例で「愛でる」はいまや死語と化しています。
 一つには、「目出度い」「芽出度い」と文字をあてるため、わずかに残った「愛で」の根っこが意識されないのでしょう。「めづらし」も、「珍し」と全く関係のない文字ですから。

 古語では、愛でくつがえる、愛で痴る、愛で惑う、愛で揺する、といった意味深い多彩な複合語もあります。「愛する」の口先だけの誠意のなささえ思わせるのと比べてみると良く解ります。

 話を「めでたし」に戻すと、成り立ちから、対象に心がひかれ、ほめたたえることが甚だしいですから、用途は広く、人物の魅力的なすばらしさは勿論のこと、自然の風物、食べ物の美味、声や音の趣、評判、幸運と幅の広い使われ方です。
 お正月の挨拶の、「おめでとうございます」は、愛をこめた祝い喜ぶ祝福の言葉だったというわけです。

 かつて、「めでたくかしく」「めでたくかしこ」は、相手を誉め、恐れ多い意味を表して、女性が手紙の結びとしていました。 

 「おめでたい人」というのも、考えてみれば愛すべき人で、なかなかいいものです。
めでたし、めでたし。




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6 コメント

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愛は勝つ (香HILL)
2008-01-06 18:06:25
先年、"愛は勝つ”って曲が流行りましたね。

だけど、愛の定義を明快に教えてくれません。
ボンヤリトしか理解できていない。
ソフトで甘美な言葉ですよね。
クリスチャンの友人から愛の4分類を教わりましたが、
最後には、”神の愛”の宣伝でした。

君を愛している・・ってセリフを日本人は言えるのかな?
アメリカでは毎日最低3回言わないと離婚の危機になるとか
言ってましたが。

昔から、日本では、少女が成人になる時には母親から
甘い言葉を言う男は要注意と指南を受けているようですから、
女性の大多数はご主人様より”愛している”なんて言われると
気色悪いと??。
しかし、一度は言って貰いたいという方もおられるようで、
愛の問題は難解ですね。
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めでたさも (紫草)
2008-01-07 00:59:54
お説の通り「めず愛ず」は、賞美すべきである・すばらしい・りっぱだ・みごとだ・すぐれている・祝う価値がある・祝賀すべきだ・逆に・お人よしである・愚かである。の意もありますね。

   目出度たさも中位(ちゅうくらい)也おらが春   一茶

めでたい新年だとはいっても、何の用意もなしに迎える正月だ、あなたに任せに世をすごす老いの身にとって、めでたさといってもいい加減なもの、いかにも己にふさわしい正月ではないか(おらが春)「中位」はここでいい加減、あいまいの意の方言と古語辞典にありました。
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愛でる (metabo)
2008-01-07 02:02:18
愛でるという言葉からは、なぜか光源氏を連想してしまいます。
男女の愛は儚いけれど、母性愛は確固としたものだと思っていましたが、最近ではそれも危ういものになってしまったようで!
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言えないセリフ (boa !)
2008-01-07 06:38:01
「君を愛してる」
以心伝心の日本人には、あからさまには口に出来ない、しない言葉と思いこんでいました。
時代は変わり、今はところかまわず、人前のくちづけも平気な若い人たちも目にします。外国の人と同じになってきていますので、当然、アイ、ラブ、ユーもありでしょうね。
ほほえましいとは思えずに、”すさまじきもの”とみるのは、化石となった老残の身だからでしょうかね。

海外暮らしの間に、見聞きした大げさな愛の言葉に驚いたことが何度もあります。、何事が始まるのかと思っていたら、奥様がだんな様に、刺繍糸を買って欲しいための連綿と続いた愛の言葉でした。財布を握る日本の主婦にはありえない口説きでした。

さりながら、日本の男性はあまりにも愛の言葉の出し惜しみをしてきました。香HILLさんはいかがでしょう。

「めでくつがえる」ほどの愛の言葉を生涯一度くらい?は聞いてみたいものです。
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中くらいの春 (boa!)
2008-01-07 07:10:56
私には望ましいあるべき姿の「中くらい」です。
不足もさして感じることなく、だからといって、豪華に身に余るほどの果報でもない、私を含めて日本人の最も好む中位ですね。

 ともかくもあなた任せの年の暮れ  の「おらが春」巻末の句と対応していますが、”中くらい”の意味は、上記のような中程度ではなく、「いい加減」「どっちつかず」をあらわす方言と最近では指摘されています。
”・・・・・空風の吹けば飛ぶ屑屋は、屑屋のあるべきやうに、門松立てず煤はかず、雪の山路の曲りなりに、ことしの春もあなた任せになん迎へける”として”目出度さも”の句を挙げています。
ですから、めでたいといっても、まあ、いい加減なもので、これで自分には結構な正月ではないか。といったところでしょうか。

つぎつぎに子を夭折させた一茶を思うと、まだ福を授かっていると感謝しなければならないでしょうね。
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母の愛 (boa!)
2008-01-07 07:30:24
親子の愛は、移ろうことのない絶対のものですね。最近は異品種が増殖してはいますが、それは変異の希少と思いたいです。
人間が他の動物にも劣るような様変わりはないと信じたいのですが。

恋のお手本は確かに源氏物語かもしれません。今年は1000年の節目の年で京都ではさまざまな企画があるようです。

あやかって出かけて、儚い夢のつづきでも見ますか。
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