アインシュタインメモ☆ブログ

 特殊相対性理論が発表され、はや101年。 新世紀の世に捧ぐ、愛と希望のサイエンス・ラプソディ☆

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あなたのドラえもん

2006-02-26 13:32:52 | 時事関連
 

 先日、3歳の息子を持つ、私の友人が言った。

「うちの子供、アンパンマンは好きなんだけど、ドラえもんのことは怖がるんだよな・・」

 可愛いものである。気にすることはないんじゃない、と私は答えた。むしろ、アンパンマンよりドキンちゃんに興味を示す場合のほうが心配である(詳細は「堀江貴文とヒロイズム」を参照)。因みに私は、バタコさんよりメロンパンナちゃんが好きだ。この年齢でアンパンマンキャラクターを二十名分くらい暗記している私も、きっと傍目には心配される存在なのだろう。

「弱い犬ほどよく吠える」という諺がある。では、どうして犬は吠えるのか。怖いからである。知らない人間、不審な人物に対し、犬は恐怖感を以って吠えたてる。その本質は友人の息子の例と同様で、人間を含めた動物は、自身の理解を超えたものに対して畏怖の念を抱くのだ。

 では、畏怖の本質とは何か。既述の二例のように純粋に恐怖感から吠える、泣く(感情的になる)か、もしくは「そんなもの、しょうがない。ばかばかしいよ・・」等々の難癖を付けて、自身から遠ざけようとするか、のどちらか。つまり、物理的な距離を隔てようとするものである(更に言うと、この件は以降の記事で取り上げるつもりだが、恐怖とは一種の「空間理念」なのである)。

 幸か不幸か、東アジアの片隅に位置する島国日本は、過去に於いて一度も他国に侵略された歴史的経緯がない。圧倒的文化圏の違いに遭遇した(強要された)ことがないのだ(国内の歴史的偉人が行ったのは、内部調整だけだ)。では、何が存在するのかというと、諸外国の批評の槍玉にあげられ続けている、「日本的ムラ社会制度」と呼ばれる(名称は他にも多々存在する)、特異な共同体システムだ。

 例えば、この国の組織は、新人共同体員に対し、ある種の儀式を強いる。俗にいう「新人イジメ」というものだ。この儀式は肉体的、もしくは精神的苦痛を伴ない、遮断された内部での自己開示及び、それに派生する組織内での連帯意識の萌芽を目的としている。また、その苦痛度は、所属する組織の閉域性に比例する。警察官(自衛官)になるには、始めの数ヶ月間、厳しい肉体訓練を受ける必要があり、暴力団は組員に対し、まず、悪事に手を染めさせる。

 ここで、もし、その儀式を拒否するとどうなるのか。簡単だ。組織に受け入れてもらえないのである。とはいえ、諸法規が整備された現代に於いて、それだけで、「君はクビだ」とは言えない。では、それでも僕は仕事が好きで、と続けている人がいるとどうなるのか。そこに、映画「戦場のメリークリスマス」のテーマのひとつでもあった、「閉域組織内でのスケープ・ゴート(私が勝手にこう呼んでいるだけ)」という、現象が発生する。

 スケープ・ゴートの語源は、goat(山羊)をescape(逃亡)させるという、ユダヤ教に於ける贖罪に派生するもの(ユダヤ教に於いての山羊は霊的存在)で、転じて、犠牲者、身代わりといった意味になる。さすがにこれは最近ではよく耳にすることだが、外部から閉ざされた組織とはいうのは、内部の規律を守るために、時としてこの犠牲者を必要とするのだ。国内でのこれは、数年前の「名古屋刑務所受刑者死亡事件」に、如実に表れている。弁護士面会するままならぬ(法治国家はいずこへ?)、不断なストレスが遍在する刑務所内に於いて、暴力団を含む受刑者の秩序を保つためには、見せしめとして苛められ(時として殺害され)る存在が必須なのだ。これがオープンな国の場合になると少し事情が変わり、外部に敵を作るようになる。第一次大戦以降のナチス・ドイツ(敵はユダヤ人、)現在のアメリカ(敵は石油利権上、中東の各国)がこれに該当する。つまり、体のいい表現を用いるとすれば、「インチキ」である。


 私には、日本的共同体主義の否定を述べるつもりはない。事実、そのパラダイムが、この国の歴史上並びに、今日の様々なシーンに於いて有益に作用している例は普遍的に存在する(そもそもこのブログ自体が崩壊しつつあるシステムの代替だ)。ただ、にも拘らず私が提唱したいのは、これ以降にはその一部変換、リニューアルが必要だということである。世界規模で文化の融合が図られ、グローバリゼーションの波が打ち寄せる二十一世紀に於いて、日本人だけに共有するステレオタイプの既成概念を固持し続けることはマイナス面の発症率を上げ、如いては、国力低下を誘発することが確かであるように思われるからだ。

 現在、内外に乱立する諸問題の根源は家庭に依存している。そして、その鍵はコミュニケーションにある。相互理解とは共有した場面であり、同時にコミュニケーションの積み重ねでもある。そして、信頼とは相互理解に基づき、故に、絆が芽生えるのだ(決して時間の長短に依拠しない)。

 私たちは皆、子供ではない。所属する組織(会社及び家庭)に「ドラえもん」が現れたら、極力コミュニケーションを図り、相互理解に努めるべきだ。そして、概してそこに、自身にとっての「しずかちゃん(のび太くん)探し」の近道が存在するのかも知れない。


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