弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

田崎清忠先生

2010-05-16 20:53:11 | Weblog
私は昭和36~39年(1961~64)に中学時代を過ごしました。中学3年間を通して、担任は田崎清忠先生でした。
昨日(5月15日)、本当に久しぶりに中学のクラス会が開かれ、田崎先生とお会いすることができました。今年80歳になられるというのにお元気で、安心した次第です。

田崎清忠先生をご存じでしょうか。NHKのテレビ英会話で活躍された先生です。
詳しくは、田崎先生のサイトである田崎清忠 オフィシャルウェブサイトPersonal Historyで確認することができます。
田崎先生は1930(昭和5)年(昭和一桁)生まれで、終戦時は15歳ということになります。工業高校の航空機科に在学し、終戦直前は軍事工場に勤労動員していました。

中学1年で最初に田崎先生から英語の授業を受けたときのことを、今でも鮮明に覚えています。そのときのお話によると・・・
終戦後、工業高校の生徒でしたが英語に興味を持ち、必死に内職で英語の勉強をした上で東京高等師範の英語科に入学を果たしました。卒業後に英語の先生となった上でアメリカに留学し、帰ってきて私らの中学の英語の先生になっていたというわけです。アメリカでの体験談をいろいろと聞かせていただきました。「ミシガン大学の応援歌」のメロディーと歌詞が私の頭の中に残っているのですが、Personal Historyによると「フルブライト法により米国ミシガン大学英語研究所に留学(1956)」だったのですね。
英語の授業では発音に重点をおき、(発音記号)"i:"と"i"の違い、"th"と"s"の違いなどを仕込まれました。

私が中学生で先生に担任をしていただいていた頃、すでにNHKの番組を担当されていました。記憶では「Teach Me English」という番組だったはずです。我がクラスの学級新聞の名前も、そこから拝借して「Teach Me News」としていました。そこでネットで検索してみました。
昭和37年テレビ番組表(関西)7月1~7日」というところで、確かにNHK教育の月曜と水曜の夕方6時30分から『英語会話「Teach Me English」田崎清忠』が放映されていました。

ところで、この「昭和37年テレビ番組表」を眺めてみたら、懐かしい番組が目白押しでした。
「チロリン村とくるみの木」「バス通り裏」「兼高かおる世界の旅」「七人の刑事」「おとなの漫画 」「少年ジェット」「珍犬ハックル」「アニーよ銃をとれ 」「ペリー・メイスン」「サーフサイド6」「日真名氏飛び出す」「ローハイド」「夢であいましょう」「ルート66」「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「タイトロープ」「シャボン玉ホリデー 」「パパ大好き」「若い季節」「ポパイ」「ローン・レンジャー」「ジェスチャー」「お笑い三人組」「事件記者」「ヒッチコック劇場」「87分署」「アイ・ラブ・ルーシー」「ガンスモーク」「サンセット77」
当時はテレビドラマの黄金時代であったような気がします。アメリカ製ドラマが多かったですね。

話がそれました。
田崎先生は「昭和一桁生まれ」です。「昭和一桁世代」について私は以下のような仮説を立てています。
昭和一桁生まれということは、ティーンエージャーのときに終戦を経験しています。
これより早く生まれた人は、終戦時にすでに20歳を超えており、それなりに分別もついて敗戦も理性的に受け入れることができたようです。またこれより遅く生まれた人は、終戦時に10歳未満で「お腹いっぱい食べたい」という記憶しかないようです。
それに対し「昭和一桁世代」は、多感な年頃に終戦を迎え、終戦までは「軍国少年・軍国少女」で信じていたものが、終戦とともに価値観が180°転換して心に混乱を抱えたことがその後の人生に影響を及ぼしているように見受けられます。
それに対し田崎先生は、Personal Historyにあるように、戦時中、
『敵艦攻撃用特殊爆弾の製造。B29の爆撃により、工場内で働いていた女子挺身隊(女子大学生)が悲惨な死を遂げた状況を目撃。「戦争はダメ」と密かに気が付く。』
という経験をされていたのですね。空襲の爆撃で死亡した現場の惨状は、目を蔽うようであったはずです。この経験が15歳の田崎少年を大人に成長させていたかもしれません。

最近の田崎先生は、2000年から2008年まで東京純心女子大学の学長を務められ、その後も現在は5つの業務を行っておられるようです。今後ともお元気でご活躍されることを祈念します。
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9 コメント

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感想 (田崎清忠)
2010-05-24 19:34:13
内藤くんのブログを読みました。とてもよく書けていると思います。A+をあげます。
 内藤くんは、おとなしくてよく勉強をする生徒だったように記憶しています。いつのまにか62歳になっているそうで、驚きました。私も「あれッ、もう40歳?」「うそッ、50歳なんて!」「ええッ、もう60歳なの?」という反応を積み重ねてきました。年をとるなんて、意外に早いものなのです。弁理士として立派なお仕事をしておられる内藤くんに、あらためて敬意を表します。
 内藤くん、また会おうね。
良い点をもらいました (内藤)
2010-05-24 21:29:40
田崎先生、A+の良い点をいただき、ありがとうございます。
中学生だったボクも、気がついたら62歳になっていました。先生だって今年80歳じゃありませんか。でもクラス会で再開すると、30代の新進気鋭の先生と中学生に戻ってしまいます。

来年また先生や同級生にお会いするのを楽しみにしております。
田崎先生のことを拝読 (藤原(43歳、札幌市))
2010-07-25 12:08:44
往年の田崎先生のことを、大変興味深く拝読致しました。私は田崎先生のNHKテレビ講座の世代ではありませんが、中学時代に先生の「私の英語史」(全2巻)と「英会話のすすめ」(全2巻)を読んで英会話に開眼した者です。田崎先生の会話テープは、本格的な英語教授法に拠る物で、最近の英語教師は大いに見習ってほしいですね。大修館刊の英語教育の理論書2冊も誠に貴重です。
田崎先生 (ボンゴレ)
2010-07-25 21:24:33
藤原さん、コメントありがとうございます。

私は田崎先生の優秀な生徒ではなかったので、学校で教わる英語以外には勉強をせず、折角田崎先生に教わりながら英語の力は伸びませんでした。
藤原さんの世代の方たちにまで影響を及ぼしたとは、あらためて田崎先生を見直してしまいました。
田崎流 (上田(兵庫県))
2016-01-24 03:52:36
 田崎先生関連のサイトを検索していましたら、本ブログに到達しました。おそらく、内藤様よりは、6歳ほど年下になると思いますが、私にも、田崎先生のNHK英会話を視聴して育てていただいた年代になると思います。田崎先生の公式サイトを拝見し、先生にはご健勝のこと、喜ばしく思いますし、内藤様には、学級担任をしていただいたとは、うらやましい限りです。
 田崎先生のサイトには、なつかしい先生の面影と、NHK教育TV関連の画像が掲載され、思わず、いや、もうすでに、40年ほど前の記憶がよみがえってきます。はじめて英語を学ぶという興奮さめやらず、幸運なことに、当時の英語の先生は、全国英語教師弁論大会で準優勝した先生で、もちろん、授業中では、
流暢な英語を披露してくれ、単に教科書を使っての授業だけでなく、スキットや、近くの教会の宣教師を招聘しての授業など、ユニークな教授法で、ますます、興味を深くするものでした。
 学校での授業だけでは飽き足らず、遭遇したのが、田崎先生の英会話番組でした。確か、朝の6時からの放映だったと思うのですが、起床からの日課は、田崎先生の英会話番組に始まり、その後、松本亨先生のNHKラジオ英会話番組に続き、登校するまでの1時間は、それら英会話番組に浸っていました。(そのとき、はじめて、横浜国立大学という大学があることを知りました。)
 一番、記憶に克明なのは、田崎先生にサイトにも登場する、ジェーン・ファーガソンさんをともなって、京都の寺社仏閣を案内するというシーンです。もちろん、田崎先生の流暢な英語は、あこがれの的でしたが、その当時としては、今でいう観光ガイド風にアレンジされた番組は、学校での教科書を離れた、むしろ、”こっそりと”その番組を視聴していたことを自慢したくなるものでした。
 英語を学習するという、それだけでも衝撃的な中一生でしたが、さらに、”英語熱”が高じ、親に無理を言って、英文タイプライターを買ってもらい(このとき、クワーティの配列を習得)、国際文通斡旋の機関を通じて、マサチューセッツの少女との文通を始めることになりました。加え、当時、NHKで放映されていた、A・ウイリアムスやD・マーティンのショーを食い入るように視聴し、楽曲の歌詞を覚える中、アメリカの華やかなショービジネスの世界にも触れられました。
 その意味で、田崎先生の英会話番組は、単に、語学学習という領域におさまるものでなく、かたや、今でいう国際理解、異文化理解への端緒であり、実用英語の醍醐味に触れさせていただいたものと、感謝しています。
 インバウンドが、2000万人を数えるとか。当地においては、神戸タウン、姫路城への外国人観光客が急増しています。それら、観光客に、各観光スポットで、臆することなく、気軽に話しかけられるのも、田崎先生のお人柄、また、その番組の賜物です。
 先生の、そして、内藤様の益々のご清栄をお祈りします。愚文、失礼しました。
訂正 (上田(兵庫県))
2016-01-24 04:35:14
 訂正します。”40年ほど前”ではなく、もう、半世紀前、です。ビートルズが初来日して、かの、長髪スタイルに大騒ぎした、その数年後です。今では、一世を風靡しつつあった、ビートルズと同時代に生きていたことは、まさに、歴史の貴重な証しです。東京オリンピック、大阪万博、高度成長期のただ中の時代でした。
田崎先生 (snaito)
2016-01-24 11:25:24
上田さん、コメントありがとうございます。
コメントいただいたことを、さっそく田崎先生にメールでご報告しました。
私は、英語についてはむしろ劣等生だったとの自覚しかありませんでしたが、65歳を過ぎた今になると、結構英語が頭に定着しているな、と思うこともあります。やはり中学時代に田崎先生の薫陶を受けた賜物かもしれません。
出会い (上田(兵庫県))
2016-01-24 13:57:25
 内藤様 コメントを読んでいただき、また、田崎先生へのご報告をありがとうございます。田崎先生のサイトから、英語の先生としてだけでなく、工学系の学校にすすまれたことを知り、なるほど、と思ったものです。学習のアイテムに、視聴覚機器を活用された所以がそこにあるのとかと、感慨をあらたにしました。今のようなICT活用が当たり前の時代でしたら、どのように、活用されたのかと思うと、想像をかきたてさせるものです。まさに、松任谷由実の「空にあこがれて」の青春時代だったことでしょうかと。
 実は、その中一生のころ、NHKを通じて、田崎先生にお手紙を差しあげたことがあります。手紙というよりは、質問状だったのですが。英語を学習するにつれて、たとえば、幕末にペリーが来航したころに、どうやって互いの意思の疎通を図ったのか、つまり、日英の言語を誰が、どのように翻訳したのか、その起源はどこにあるか、などとおたずねした内容です。残念ながら、お返事をいただくことはできませんでしたが、そのような疑問をもてるに至ったのも、その英会話の番組のお陰です。
 自慢話のようになって恐縮ですが、英語学習は、その英会話番組と、授業中に視聴したNHK教育TVの学校向け英語教室の二本立てが中心で(当時、母校には、全室にテレビ受像機が備わっていました)、教科書以外に、こんなに面白い世界、学習法があるのかと、年少ながら感じたものです。中一の年度末に、その英語教室の番組のキャストが、全国の中学生に英文での手紙を募集したので、絵葉書3枚と手紙を同封して応募したところ、3通が番組で紹介され、なんと、私の手紙も紹介されたのです。美術の授業を受けていた私は、残念ながら視聴していなくて、ほかの学級で英語の授業をしていた英語の先生が、授業後、手紙が紹介されたことを教えてくれました。つまり、その番組は、私にとっては、”幻の番組”となったわけです、現在までも。
 軽妙な語り口と、いつもにこやかな表情で番組に登場された田崎先生は、その映像や内容ととともに、今でも、克明に記憶しています。つまりは、私も、内藤様に同じく、田崎先生の”教え子”となるわけです。直接、ご拝眉することがなくとも、文字通り、人生の途上のターニングポイントでの、貴重な出会いでした。
 東京も降雪のもよう。関西地方も、ようやくにしてスキー場が営業を開始するほど、春を迎えるまでは、いつもの激寒の到来です。田崎先生、内藤様には、どうぞ、ご自愛くださいませ。ありがとうございました。
追伸 (上田(兵庫県))
2016-01-24 15:06:33
 なお、蛇足です。本ブログのカナダ紀行など、興味深く拝読しています。内藤様のプロフィールを拝見し、私も自己紹介をかねて記します。多岐にわたる業務にご専念のことと思いますが、半導体の分野にも、深いご造詣もおありのことと拝察します。小生には、2-6族化合物半導体ZnSe(セレン化亜鉛)の結晶構造欠陥をテーマの研究に専念、応物学会でも発表したことがあり、かの、一昨年、GaN発光LEDで、ノーベル賞を受賞したUCSBの中村修二氏も、かつては、セレン系に没頭するなど、学界、産業界の70年前後のLED開発競争の潮流をなつかしく回顧するものです。
 先年、元M重工取締役の方にお出会いし、歓談の機を得ましたが、東日本大震災発災直後は、東奔西走されていました。東工大ご出身。内藤様の少し先輩にあたられると思いますが、幅広い知識と豊かな知見をお持ちです。内藤様の記事内容を、より興味深く拝読しています。失礼しました。

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