弁理士の日々

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NHK「原爆投下 活かされなかった極秘情報」

2011-10-30 00:12:51 | 歴史・社会
10月29日に再放送しているのをたまたま観ました。
NHKスペシャル「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報
『広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。
番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。』

途中から観たのですが、番組では陸軍参謀本部?で情報を担当していた堀栄三氏のテープ肉声が流れました。堀栄三氏なら知っています。このブログでも『堀栄三「大本営参謀の情報戦記」』で2008年に記事にしました。堀栄三著「大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)」をテーマにしたものです。
以下、「大本営参謀の情報戦記」から原爆関連を拾います。

2008年のブログ記事では触れませんでしたが、1945年6月から8月にかけて、堀氏は大本営第六課米国班に勤務し、テニアンで活動する「正体不明の」B-29部隊を追いかけていたのでした。最終的にはこの部隊が原爆投下部隊であることがわかりました。
本によると、堀氏の属する米国班は、航空本部、陸軍中央特殊情報部(特情部)と緊密に連絡を取って、サイパン方面のB-29の情報把握に努めた、とあります。堀氏自身は特情部に属していたのではないのですね。

B-29が発する無線電信は暗号あり、日本は解読できていませんでした。しかし信号文の冒頭だけは平文のコールサインであり、識別できました。V400番台はサイパン、などと決まっていることが分かっていました。
1945年5月、今までなかったV600番台が初めて登場し、長文の電報をワシントンに向けて発信するという奇妙な行動を取りました。6月末ごろからテニアン近海を飛行しだし、7月中旬になると日本近海まで飛んではテニアンに帰投するという妙な行動が出始めました。しかも単機か、せいぜい2、3機の編隊でそれ以上の数ではありません。「この行動はある種の訓練と観る。何を企図しての訓練だろうか?」第六課、特情部、航空本部は、このV600部隊が何者なのかを探ろうとしましたが、不明のままです。

8月6日午前3時頃、このコールサインでごく短い電波がワシントンに飛びました。内容は分かりません。午前4時過ぎ、この飛行機は「われら目標に進行中」の無線電波を発信します。「特殊任務機前進中」と特情部は緊張しますが、それ以後は皆目電波を出しませんでした。
午前7時20分、豊後水道から広島上空に達したB-29の1機が簡単な電報を発しました。後続部隊があれば、この1機は後続部隊に対する気象の連絡であることが統計から分かっていましたが、奇妙なことに後続部隊がありません。豊後水道に気を取られているその瞬間、8時6分、2機のB-29が豊後水道とは反対の東の方から広島上空に向かって突入していました。
8時15分、広島市上空に一大閃光とともに原子爆弾が投下されました。

堀氏たちが追跡した正体不明機が原爆投下機であることを最後まで見抜けなかったことと、侵入経路で裏をかかれたことから、虚をつかれてしまったのです。

以上が、堀栄三氏の著作に記述された広島原爆に関する事項です。
つまり、広島原爆に関する秘話は、NHKスペシャルが今回初めて発掘したというより、堀氏の著作で以前から知られていたことなのです。

一方、堀氏の著作には長崎原爆に関する記述が全くありません。
それに対してNHKの放送では、長崎原爆に関して詳細な記録が放映されました。
実は、陸軍の諜報部隊は、8月9日の朝にV600の無線を傍受していたのです。まさにその無線を聞いた本人が存命で、番組に登場して証言しました。その時点で、陸軍の情報部隊は8月6日のV600機が投下した爆弾が原子爆弾であることを知っていましたから、この人は大きな不安を感じたといいます。
傍受情報はもちろん上に報告されました。
参謀総長付きの部下であった人の手記が残っています。そしてその手記の中に「長崎原爆投下の5時間前にV600」という趣旨の記録が残されているのです。つまり、少なくとも参謀総長にはV600傍受の情報が上がっていました。
番組ではもう一人、大村の航空隊で紫電改(戦闘機)のパイロットをしていた人が登場しました。この人は偶然、広島原爆投下時にすぐ近くを飛んで惨状を目撃していたのです。しかし大村の航空隊には、V600機を目標としての迎撃命令は下されませんでした。大村どころか、日本のどこにも、V600警戒警報は出されておらず、長崎市民に対しても空襲警報は出されませんでした。

番組によると、堀栄三氏が遺した記録の中に、長崎に関してはごく僅かの記述があるのみだそうです。
このとき陸軍上層部において、何があったのでしょうか。
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