弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

半藤一利「昭和史1926->1945」(3)

2010-02-18 21:02:57 | 歴史・社会
前回に続き、半藤一利著「昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)」の3回目です。

《310万人の死者が語りかけてくれるものは? 昭和史20年の教訓》
日中戦争から太平洋戦争までの戦争における日本人の死者は、最近の調査では約310万人を数えるとされています。
半藤氏は15回にわたる授業を終わるに際して、昭和史の20年がどういう教訓を私達に示してくれたかを話します。以下、ピックアップします。

第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。
マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威をもちはじめ、不動のもののように人々を引っ張ってゆき、流してきました。

二番目は、最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論を全く検討しようとしないことです。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意なんですね。物事は自分の希望するように動くと考えるのです。
ソ連が満州に攻めてくることが目に見えていたにもかかわらず、攻めてこない、という思い込みになっているのです。
昭和16年の開戦時にも、“ドイツがヨーロッパで勝利する”ことを前提としており、また“アメリカ海軍主力を日本近海におびき寄せて艦隊決戦で葬り去る”と決めつけます。
三番目に、日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害があるかと思います。
陸軍大学校優等卒の集まった参謀本部作戦課が絶対的な権力をもち、そのほかの部署でどんな貴重な情報を得てこようが、一切認めないのです。軍令部でも作戦課がそうでした。

そして四番目に、ポツダム宣言の受諾が意思の表明でしかなく、終戦はきちんと降伏文書の調印をしなければ完璧なものにならないという国際的常識を、日本人は全く理解していなかったこと。

さらに五番目として、何かことが起こったときに、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想です。

昭和史全体を見てきて結論としてひとこと言えば、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。
そして、その結果まずくいった時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られ、別に昭和史、戦前史というだけでなく、現代の教訓でもあるようですが。』
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 半藤一利「昭和史1926->1945... | トップ | 審査基準専門委員会の議事録公表 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・社会」カテゴリの最新記事