弁理士の日々

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憲法9条2項

2019-08-18 15:07:19 | 歴史・社会
前報で述べたように、日本国憲法9条1項の「戦争放棄」は、自衛権行使のための武力行使を否定していないことが明らかです。
第1に、日本国憲法9条1項は、パリ不戦条約、国連憲章の条文のほとんどコピペです。パリ不戦条約、国連憲章は、いずれも自衛権行使のための武力行使を否定していません。また国連憲章は、自衛権(個別的自衛権、集団的自衛権)と集団安全保障における武力行使を否定していません。従って、日本国憲法9条1項が否定しているのは、国際法によって違法化された「国権の発動たる戦争」であり、「国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇又は武力の行使」であって、自衛権(個別的自衛権、集団的自衛権)と集団安全保障における武力行使を否定していない、との解釈が成り立ちます。
第2に、連合軍総司令官のマッカーサーが、GHQ民政局に対して提示したマッカーサーノートと、民政局次長のケーディス大佐が中心となって作成したGHQ草案と対比すると、ケーディスはマッカーサーノート中の「自己の安全を保持するための手段としてさえも」という部分を削除したのです。マッカーサーはこの削除を黙認しました。以上の経緯を踏まえると、GHQ草案において、自衛のための戦争が否定されてないことが読み取れます。
ここまでは前報のおさらいです。

さて、問題は9条2項です。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」
9条2項の上記条文において、自衛権行使のための武力保持が認められているかどうか。条文を素直に読むと、目的が自衛権に限定されるか否かに関係なく、一律に武力保持が禁止されているように読めます。

「陸海空軍その他の戦力」とあり、「の」が入っています。一般的にこのような条文では、「{陸海空軍その他}の戦力」のように括弧でくくられ、「陸海空軍」は「戦力」の例示である、と説明されます。
これが「陸海空軍その他戦力」と「の」が抜ければ、「陸海空軍、{その他戦力}」とくくられ、陸海空軍と並列で「その他戦力」が解釈されます。
「の」が入っていることを拠り所として、「戦力」の解釈が重要であるとの議論が生まれます。
『9条2項において、同項に「前項の目的を達するため」と記載されていることもあり、9条1項で放棄した戦争を行うための戦力のみが禁じられているのであって、自衛権行使のための武力保持まで禁じたものではない。』
との議論です。

憲法66条2項
「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

9条2項冒頭の「前項の目的を達するため」は、当初の憲法案にはなかったもので、衆議院で追加された文言です。「芦田修正」と呼ばれています。この文言が付加された結果として、「自衛のためには戦力が保持できるように見える」ことになりますが、芦田はそれを目的としており、GHQ民政局もその点を認識していたようです。
芦田修正が衆議院を通過した後、極東委員会のソ連代表が、日本国憲法に「すべての大臣は、シビリアンでなければならない」という条項を入れなければならないと提案しました。議論の結果、極東委員会の声明として、
「日本語の案文は、衆議院で修正された結果、いまや9条1項で定められた以外の目的(注:自衛の目的)であれば、軍隊の保持が認められると日本国民に解釈されうるようになったことに気づいた。」
とし、極東委員会はマッカーサーに対して憲法に上記シビリアン条項を入れるよう主張すべきことを勧告したのです。
極東委員会はマッカーサーよりも上に位置します。
そのようないきさつのもと、参議院において修正が行われ、上記66条2項が付加されたといいます。

9条2項ですべての戦力が否定されているのであれば、日本には軍人が存在しないのですから、66条2項は意味のない条文になります。それにもかかわらず66条2項が追加されたのは、9条2項のもとで自衛のための戦力保持が認められ得る、と考えられたからに他なりません。

一方で、9条2項の文言に立ち返ると、やはり、目的が自衛権に限定されるか否かに関係なく、一律に武力保持が禁止されているように読めてしまいます。
そもそも、自衛権行使のための武力保持が認められるのであれば、それはパリ不戦条約、国連憲章と同じスタンスです。そしてそれら条約では、「自衛のための戦力以外は保持できない」などと規定していません。同じように考えれば、日本国憲法でも、9条1項で「自衛目的以外の戦争を放棄」しているのですから、9条2項は規定するまでもない、といえます。
ただし憲法制定当時、極東委員会でのソ連の存在などもあり、9条2項を現在のような形で存在させるのが精一杯で、9条2項を削除する、などという選択肢は取り得なかったでしょう。それが、憲法制定時の限界だったと思います。

憲法9条2項はしかし、戦後の日本にとってはとても便利な条項でした。そのおかげで、日本国民は、本来精算すべき事項について精算せずに現在に至っている、という側面があります。その点については別の機会に。
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