弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

札幌・中島公園

2023-08-28 20:29:18 | 趣味・読書
8月28日、札幌の中島公園を訪問しました。
地下鉄南北線の中島公園前駅で降りるとすぐ、下の案内図の左端(北端)が公園の入り口です。


案内図

案内図の児童会館の前に、下の造形物が立っています。

説明によると、昭和34年の北海道博覧会を記念して白色セメントで制作された造形物を、平成9年にブロンズで再鋳造し、この地に設置した、ということです。


札幌市こども人形劇場 こぐま座

こぐま座

下の像、台座には「新一年生お母さんのつどい記念」(昭和五十一年)とあります。

像「のびゆく子等」

池の南西から池の中の島を撮りました



中島公園のカツラの木です。藻岩山、円山の原始林の中で、直径が2m程度でその外縁部のみに幹がある木が見つかりました。カツラか?と思いつつ確定していません。中島公園のカツラは、中心部もまだしっかりとしています。

カツラ

池の南西部に日本庭園が設けられています。

日本庭園

その日本庭園の中に、八窓庵があります。説明書きによると、
起源は、江戸初期の大名で茶人の小堀遠州が建てたと伝えられる茶室です。遠州の居城があった滋賀県長浜市内に所在していました。
1919年(大正8年)に札幌在住の人の所有となって札幌市内に運ばれ、組み立てられました。その後、札幌市に寄贈され、現在地に移築しました。
八窓庵は札幌での積雪荷重に耐えられないので、冬季間は防雪用の上屋を設置していたのですが、平成17年、その上屋が梁強度不足で倒壊し、八窓庵は全壊したとのことです。
平成19年に補修と組み立てに着手し、往時の姿を取り戻した、とのことです。

茶室 八窓庵

豊平館の起源は、1880年(明治13年)に今の大通りに面する位置に高級西洋ホテルとして開拓使が建造しました。
1958年に中島公園内に移築され、市営結婚式場として長く使われてきました。今は交流施設として使われています。

豊平館(ほうへいかん)


豊平館


階段


部屋


階段

豊平館から南西へ、次いで南東に向かって移動します。




途中に天文台がありました。札幌市天文台とあります。1958年の札幌大博覧会施設との一つとして開館したようです。20cm屈折望遠鏡を備えています。

札幌市天文台



ネット記事によると、『第25回国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の開催にあたり、PMF創設者レナード・バーンスタインの立像が札幌コンサートホール・キタラ近くに設置された。』とあります。当該団体の説明では、『パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌(PMF)は、1990年、『ウエストサイド・ストーリー』の作曲者として知られる世界的な指揮者、レナード・バーンスタイン(1918~90)が、ロンドン交響楽団とともに札幌で創設した国際教育音楽祭です。』とあります。

レナード・バーンスタイン プレイス

札幌護国神社を遠くに眺めながら歩きます。

札幌護国神社

さて、公園の南の端に到達しました。
南口を出てすぐ、豊平川の幌平橋に至ります。
幌平橋は、車道部分と歩道部分が異なった構造を有しており、歩道部分のみがアーチ橋になっています。そしてそのアーチ部分には階段が設けられており、歩いてアーチの上に上がれるのです。当然上がりました。

幌平橋

アーチのてっぺんから下流側を見た景色です。

豊平川

札幌市とアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド市は姉妹都市です。そして1994年、この幌平橋の歩道空間の愛称を「ポートランド広場」と命名しました。

下の造形物は、そのポートランド広場に設置されています。制作者はリー・ケリー氏で、1995年にポートランドから寄贈されたようです。

サーモン・リバー

こうして、札幌の中島公園訪問が終わりました。地下鉄幌平橋駅から南北線を利用して帰宅の途につきました。
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