弁理士の日々

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ジーコ・ジャパン大惨敗の教訓

2006-07-09 00:34:55 | サッカー
ドイツワールドカップで、日本代表はどんな戦いをしたのか。日本代表が持っている実力が出せたのか出せなかったのか、どのように総括されるのか。雑誌などの論評から考えをまとめていこうとしています。
たまたま月刊現代8月号で、スポーツライターの二宮清純氏が「ジーコ・ジャパン大惨敗の教訓 屈辱の一次リーグ敗退」という記事を書いていたので、買ってみました。まずこれから手を付けていきましょう。

《クロアチア戦について》
柳沢がシュートを決められなかったことを挙げ、「決めるときに決めておかなければ、ワールドカップのような大会で勝利を得るのは難しい」としています。
三都主については、1対1の守備は完敗だったが決定的なチャンスは作らせなかったとし、むしろ攻撃の起点となった際にもっとドリブルで切り込んでも良かったのではないか、とコメントしています。
勝ち点3が必要にもかかわらず不用意にボールを下げたり、必要以上に後方でパスを回すシーンを批判しています。

《オーストラリア戦について》
まずはヒディングの采配を誉めています。
次に、後半31分、高原から柳沢にパスが出され、柳沢の力のないシュートで終わったシーンについて述べ、ストライカーのあるべき姿について語っています。そして、「あそこで決められなかったことが日本には高くついた」としています。
そして後半39分、オーストラリアの同点ゴール。「残念だったのは、まだ追いつかれただけなのに、ほとんど全員が下を向いていたことだ。30度を超える猛暑にスタミナを奪われていたとはいえ、白籏を揚げるにはあまりにも早すぎた。」
後半34分の小野の投入について。
監督の狙いに対し、選手たちがその意図を正しく理解することができなかった点を指摘し、「極限の状態で、ファジーな指示を理解しろ、というほうが無理な話だ」としています。

以上が二宮氏の論評です。
日本代表のフォワードに決定力が不足しているのは、今回の3戦に限ったことではありません。日韓ワールドカップでフォワードが挙げた得点が鈴木の1点のみであったことを二宮氏自身が述べています。
ジーコの試合中の采配があまり上手でないことも以前からわかっていたことで、今回に限ったことではありません。今回は、相手が名将ヒディングだったので、差が際だちました。試合前からジーコには気の毒だと思ったものです。
オーストラリア戦における小野の投入と、最後の8分間については、深く考察する必要がありますが、現時点では「極限状態の中ではあんなことも起きるのだろう」としか言えません。
もし二宮氏の論評の趣旨が「もっと良い結果が出せるはずだったのに、実力が出し切れずに惨敗した」ということだとしたら、二宮氏の指摘事項は目新しいことではなく、「だったらもともと実力がなかった、予想通りの敗北だったということか」と聞き返したくなります。
もしそうだとしたら、論説のタイトルに「大惨敗」だの「屈辱」だのと書くのはおかしいですね。
ジーコが調子の上がらない俊輔を使い続けた点についても、二宮氏はノーコメントでした。

大雑把に言えば、日本、オーストラリア、クロアチアの3国が、実力が拮抗する中で一つの椅子を奪い合い、確率30%の勝率の中で日本は結果として勝利を奪えなかった、というのが私の見方です。
今の日本選手の力量の中で、どうしたらもっと高い勝率に持っていくことができたのか、後半39分まで勝っていたのに、なぜ2点差で負ける羽目に陥ったのか、日本選手は力の限り戦ったのか、もし試合を途中で投げた姿勢があったのだとしたら、その原因は何なのか、そういった点について、さらに冷静に見ていきたいと思います。
コメント (2)
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