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これは渡辺直樹さんでしょうか>西城秀樹「セブンスターショー」

2018年07月28日 | TV番組レビュー

 TBSチャンネルでの西城秀樹さんの追悼特集で「セブンスターショー」を見ました。オリジナルの放送日は1976年2月29日。見てみるとスタジオライブで、とにかくヒデキがヒット曲中心に歌いまくる構成ですから、これはファンは相当満足したことでしょう。変にコントとか対談とかバックステージの映像で時間を潰すより今回のような構成は大賛成。もちろんこの時点までのヒット曲ですが、ここまででも相当知った曲が多いです。

 この後も「若き獅子たち」「ブーメランストリート」などがあって、「ブーツを脱いで朝食を」とか「遙かなる恋人へ」とか「ブルースカイブルー」で大人の雰囲気になり、さらに「YOUNG MAN」でヒットチャートの頂点を極めることになりますが、「傷だらけのローラ」とか「情熱の嵐」とかの初期の勢いのあるレパートリーを満喫するには今回はいい映像でしょう。これが今までTBSの倉庫で塩漬けにされていたことには不満しかありません。

 意外だったのは、カバー曲でグレープの「追伸」を歌ってました。のちにオフコースの「眠れぬ夜」をシングルで出したりしてましたが、この頃からその手のカバーにも積極的だったんですね。洋楽カバーももちろんありましたが。

 そして、実は私は藤丸バンドを見たくて録画したのですが、やぐらを組んだステージの脇で演奏してたので、藤丸さん以外はほとんど見えず。それでも洋楽カバーのコーナーでヒデキが藤丸さんの横に行った時にベースもチラリと。この当時の藤丸バンドのベースは渡辺直樹さんでしょうか。

 スペクトラムのリーダーだった新田一郎さんのファンクラブ「オムライスクラブ」の会報に連載されていた「新田ヨロシク一郎 苦節29年その偉大なる生涯(?)」によると、新田さんがヤマハ主催の「ライトミュージックコンテスト」に「コーヒーアンドクリープ」というバンドで出場し、その際審査員としてそのメンバーに目を付けたのが加瀬邦彦氏。そのバンドからスカウトされたメンバーと、ワイルドワンズのチャッピーなどで結成されたのが伊丹幸雄のバックバンドとなるフレンズでした。そのメンバーは、渡辺茂樹、西村コウジ、遠藤セイイチ、渡辺直樹、辻野リューベン、新田一郎という面々。

 そのフレンズがのちに改名してロックンロールサーカスというバンドになり、あいざき進也のバックもやっていたものの、その後解散となります。それであいざき進也のための新たなバンドを組み直すことになり、それがビートオブパワーという11人編成のバンドでその際にリューベン氏と直樹さんが抜けて他のバンドへ行ったのだとか。

 以上はそのファンクラブ会誌での関口和之氏による記事ですが、この時に直樹さんが行ったのが藤丸バンドなのではないかと。正式な時期はわかりませんが、1975年5月にヒデキが「恋の暴走」を発表した際、「夜のヒットスタジオ」で直樹さんがバッチリ映ってる映像がYou Tubeで確認できます。ちなみにビートオブパワーが縮小して8人編成になって改名したのがMMPで、その時に直樹さんが戻ってきたとか。その辺詳しい人がいたらおせーて下さい。

 ちなみにこの写真で演奏中の曲は、KC & The Sunshine Bandの「That's The Way」で、ヒデキがダンサーと一緒に踊ってる間は藤丸さんが歌ってました。この時から既に渋いボーカルを聞かせてます。もっと藤丸バンドを見せて欲しかったところですが、当時の映像はハイビジョンでもなく、画面に映る範囲も狭いですからそこまで気の利いた映像は撮れなかったのでしょう。まぁ時代が時代ですしね。