高等学校を卒業して、わが社に勤めてくれたH君の七々日の法要と納骨が、佐倉市の妙経寺で行われた。骨壷を墓に入れられるとき、涙が止まらなかった。
昨年8月、目眩がして成田日赤病院に緊急入院。検査の結果、脳幹出血水頭症との診断であった。春頃から物が二重に見えたり、味覚障害になっていたらしく、眼科医院に通院し治療していた矢先だった。三度にわたる手術の結果、手術は成功し、後はリハビリにより回復できるところまでになったが、リハビリ病院に転院して9日目の2012年12月28日午前3時ごろ、呼吸が止まり、48歳で亡くなってしまった。
思えば、優しい、真面目な青年だった。私が困っているときにいつも助けてくれた。印刷技師に辞められて困ったとき、自ら進んで「私にやらせて下さい」と印刷機を操作してくれたし、営業社員が不足した時も自発的に「営業職」をかってでてくれた。お客さまにも信頼され、同僚からも頼られる存在だった。
なのにどうして?
ラーメン食べ歩きが趣味だったり、焼酎が好きだったこと、それに喫煙していたことも、入院して初めて私は知った。煙草も事務所内や人の面前では喫煙していなかったので、喫煙しているなどとは知るよしもなかった。
入院した時、見舞いに行ったら、H君の下肢が両足共、紫色に充血していた。尋ねてみたら4,5年前から症状があったが、「病院に行く、行かない」で夫婦喧嘩になっていたらしく、結局この時になってしまったという。「なぜその時に病院に行かなかった」と叱ってみてもせんないこと。血栓症と診断され、治療の結果、転院する頃には治っていたし、春になれば職場に復帰できるのではないかと期待していた矢先の訃報だった。
八街市倫理法人会の設立以来、8年余、欠かさずモーニングセミナーに出席し、学んでいた。藤城博先生の玄米食や健康に関する講話を幾度となく聴いたはずだし、私も藤城先生にご指導いただきながら、料理教室や玄米菜食レストランを経営した時期もあり、朝礼でも食事の大切さを話してきたのにと、H君が「聴く耳」を持っていなかったのが、非常に悔やまれてならない。「素直」になることが如何に難しいことか痛感した。
またH君の奥さんの両親の出身地が青森県八戸であるので、料理の味つけが濃いのが影響しているかも知れない。長寿の家系は長寿の食事、短命の家系の食事は短命の食事のようで、内臓の管理は食事でコントロールされている気がしてならない。
さまざまな教訓を遺してくれたH君の冥福を祈りたい。 合掌