ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

遅くなったけどマヤノトップガンよ、今までありがとう。

2019-11-21 08:15:02 | さるさる日記
7時20分起床。
昨日はスマートフォンの充電をやってなかったから大変なことになったけど、今日はちゃんと充電をしましたよ(汗)。決してどうだ!みたいなことはないけどや、ホントちゃんとしてほしいもんですわ。
門別開催が終わると期間限定騎乗で他地区に遠征することが多い季節になるけど、園田には井上幹太騎手がやってくることに「マジか!」なった。その情報を知ったのは『その金ナイター』が終わる日で、私が見れる日は年末のみかな…と思ってたんですがね…。
<北海道所属・井上幹太騎手の期間限定騎乗の辞退について>
<11月26日から園田・姫路競馬場で期間限定騎乗予定であったホッカイドウ競馬所属の井上幹太騎手ですが、一身上の都合により辞退することとなりました。>
具体的な日にちは11月26日~来年2月6日だった。<一身上の都合>て何?となったのは一昨日に知ったのにや、昨日の夜にリツイートで知り即返信しましたよ。その井上幹太騎手のツイートはこれ。
<私事ですが、この度北海道競馬から園田競馬場に移籍する事になりました、第二の人生一生懸命頑張りたいと思います、また北海道競馬でお世話になった方には本当に感謝しています、ありがとうございました!>
私が返信したのは、期間限定ではなく完全移籍ですか?について「はい!」と返信が来る。高知の松木大地騎手が園田へ完全移籍してきた時もビックリしたけど、門別所属かつJRAにも参戦したことがある井上幹太騎手がまさかまさかの園田へ移籍してくるのなら、また楽しみになったのは確かですよ。少し欲めいたことを書くならば、勝負服は今のままで騎乗してほしいなって願うばかりですよ。移籍して勝負服も一新する騎手がっているし、どんな感じになるんかな~。
今頃書くのもなって思ったりもしたけど、馬の話を書いてるのならこのタイミングで!になった。東京話を書いてる時に知ってたけど、レースを初めて見たのはナリタブライアンの菊花賞&有馬記念を勝った94年だった。で、初めて好きな馬ができたのは95年の菊花賞を勝ったマヤノトップガンだった。それ以降、マヤノトップガンが出走するレースは全て本命にしてたほどね。そのマヤノトップガンが6日に天へ行った時はショックもあれば、今までありがとう!の気持ちが強かったですよ。
<マヤノトップガン死す…96年阪神大賞典ナリタブライアンと世紀の死闘>
<95年の有馬記念を制するなどG1・4勝を挙げたマヤノトップガン(牡27)が老衰のため3日に、繋養先の優駿スタリオンステーションで死んだ。現役時代の成績は通算21戦8勝。95年は菊花賞も制し、その年の年度代表馬と最優秀3歳牡馬を受賞した。96年に宝塚記念、97年に天皇賞・春を制した。現役引退後は北海道で種牡馬として活躍したあと、余生を送っていた。/(株)優駿は「今年になってだんだん体にハリもなくなり、歳をとってきたように感じていました。3日夕刻より体調を崩し、18時に安らかに息を引き取りました。種牡馬として、重賞(障害含め20勝)馬も数多く出してくれて、長く現役種牡馬として活躍してくれました。功労馬として余生を過ごし、ファンに愛された馬でした」とコメントを発表した。>
27歳…。大往生ですよ。現役時代の映像をたまに見たりもするけど、97年の天皇賞(春)も衝撃もあったが、私は97年の阪神大賞典で復活勝利した時はただただ嬉しかったですよ。96年はナリタブライアンとの一騎打ちで負けた時はご機嫌ナナメになったこともあれば、96年の宝塚記念を勝って秋の産経賞オールカマー・天皇賞(秋)・有馬記念で負けた時はガックリしたことも懐かしくなった。
引退以降は優駿スタリオンステーションで余生を過ごしてることは知ってたけど、今までありがとうございました。マヤノトップガンのカードや当時のテレフォンカード、さらには阪神で買ったミニゼッケンを今も大切にしてます。ゆっくり休んでください。