ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

千代の富士が亡くなるなんて早すぎるだろう!

2016-08-01 08:10:19 | さるさる日記
7時10分起床。今週も頑張りましょう。
今日から8月。いろんなイベントがスタンバイしてる中で「楽しみは?」としたら、27日の甲子園ではなかろうか。その前に京セラドームの中日戦も行ってもいいかなって思うも、こちらはまだはっきり決まってませんよ。オリックスに関してもひょっとしたら楽天戦が妙に見たいも、こちらは途中からになりそうな気配もちょっとある。7月も途中からソフトバンク戦に観戦もしてたことを考えたら8月も行きたい!それだけですわ。
『ニュース7』の速報を見てただただショックを受けてました。
<千代の富士死す/小さな大横綱優勝31回、膵臓がんで…まだ61歳>
<大相撲で史上3位の優勝31回を誇り、昭和から平成にかけて一時代を築いた元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が31日17時11分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で死去した。61歳だった。九重親方は昨年5月末に自身の還暦土俵入りを行った後、早期の膵臓がんが見つかり手術。一時は職務に復帰して元気な姿を見せていたが、がん発見から1年余りで帰らぬ人となってしまった。 昭和の最後の土俵を彩った「小さな大横綱」千代の富士が、人生においてもついに体力の限界を迎えた。都内の病院に愛弟子の佐ノ山親方(元大関・千代大海)が駆けつけたときにはもう意識がなかった。17時11分、妻の久美子さん、次女でモデルの秋元梢ら家族が見守る中、苦しむことなく静かに息を引き取った。>
私が相撲を見始めた頃の横綱は千代の富士・大乃国で、さらに北勝海が昇進したことも覚えてますよ。千代の富士の土俵入りや塩の巻き方をマネしてたことを思い出した。初めて相撲観戦をした2003年3月の大阪場所で正面審判席に九重親方が座った時でも迫力はありましたよ。体調を崩したのは知ってたけど、ガンまでは知りませんでした…。
<7月の名古屋場所では所属する監察委員室に初日から現れ、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気いっぱいだったという。それが4日目になると様子が急変。居合わせた関係者によると、重い足取りで室内に入り、椅子に座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」と声を絞り出し、目を閉じた。「大将」と呼ばれ照れ屋で強がりで皮肉屋でもあったが、やせ我慢すらできないほど弱っていた。翌日から緊急帰京して休場。場所後に名古屋市内で行われた九重部屋千秋楽パーティーも欠席していた。/精かんな顔つきと筋肉質の体から「ウルフ」の愛称で呼ばれた九重親方は、昨年6月1日に60歳の誕生日を迎えた。その前日に行った還暦土俵入りでは太刀持ちに白鵬、露払いに日馬富士の現役横綱を従えて元気な姿を見せていたが、その直後に病魔が襲った。早期の膵臓がんが見つかったため手術を受け、7月の名古屋場所を休場。それでも治療により2ヶ月後の秋場所では職務に復帰し、秋場所で休場した白鵬に対し「8年間休場なく頑張ってきて疲れも出てきたのかな。万全な体調で出てきてほしい」とエールを送っていた。だが、今年に入ってがんが再発。関係者によるとがんが胃や肺などに転移していることを周囲に漏らしていたという。3月の春場所には体は急激に痩せ始め、7月には都内で乗用車を運転中、接触事故も起こした。>
膵臓がんになると亡くなる率は…とかは書きたくないけど、いろんな伝説を思い出した。

<小兵、脱臼癖…だから大横綱になれた/1日1000回もの腕立て伏せも>
<千代の富士は横綱としては恵まれた肉体ではなかった。身長183センチで体重は120キロ台の小兵。肩には脱臼癖もあった。だが、その弱点を克服するために取り入れた筋力トレーニングが飛躍のきっかけとなった。当時、相撲の稽古は四股、てっぽう、すり足が中心。筋トレには否定的な見方が強かった。だが、千代の富士は稽古場に相撲部屋では初めて腹筋台やバーベルを持ち込んだ。自宅でも1日1000回もの腕立て伏せ。東京都江戸川区の8畳の自室は4ヶ月に一度、畳替えをしなければならないほどすさまじいトレーニングだった。>
千代の富士のケガ=脱臼が…のイメージがあったけど、腕立て伏せを1000回!素人でもできないことを千代の富士はやっていたことを思うとすごい横綱だったなって思う。仕事が終わったら『You Tube』で千代の富士の映像を見よう(泣)。