constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

終わらない南北戦争

2006年11月04日 | knihovna
佐藤賢一『アメリカ第二次南北戦争』(光文社, 2006年)

巽孝之による書評(『朝日新聞』10月22日)で興味を抱き、また同時期に読んでいた鈴木透『性と暴力のアメリカ――理念先行国家の矛盾と苦悶』(中央公論新社, 2006年)の議論と反響するところが多々あり、フィクションでありつつも、すぐれて今日的な含意を持つ小説といえるだろう。

マクギル大統領(女性)の暗殺事件後、副大統領から昇格したムーア大統領(黒人)が打ち出した銃規制に対する反発は、女性あるいは黒人という彼らの刻印と絡み合って、南西部諸州の白人社会において激化し、2013年、これらの諸州は「アメリカ連合国」を結成し、独立を宣言したことによって第二次南北戦争が始まる。小説は、その2年後、連合国と合衆国の間で停戦が合意された2015年、日本政府から派遣された森山悟の(日記風)調査レポートの体裁を採っている。森山、日本人義勇兵の結城、イタリア系アメリカ人のヴェロニカの3人が、ロサンゼルス(合衆国)からヒューストン・ダラス・ニューオーリーンズ(連合国)へ向かう行程は、「アメリカなるもの」の深奥へと入り込んでいく過程であり、コンラッドの『闇の奥』あるいはそれを下敷きにしたコッポラの「地獄の黙示録」と重なり合う。またときおり章の後に挿入される解説・論評文において、学者やジャーナリストの見解を織り交ぜることによって、アメリカの歴史や社会、文化の特異性を際立たせると同時に、現実のアメリカと結びつけることを容易にし、小説のリアリティを高める役割を果たしている。

アメリカが再び2つに分かれて戦火を交えるという発想は、近年の、とりわけ冷戦終結以降のアメリカ政治・社会情勢に目を向けたとき、単なるフィクションとして片付けられない。分裂そして内戦に向かうアメリカというシナリオの歴史的背景を概略的に整理すれば、1968年を頂点にした反戦・公民権・学生・女性運動がもたらしたアメリカ社会のリベラル化に対する危機意識がその根底にあることは明らかであろう。またワシントンのエリート主義的政治や肥大化する連邦政府に対する不信感は、ヴェトナム戦争の泥沼化やウォーターゲート事件によって決定的になり、80年代に入ってレーガンの登場をもたらした反エリート意識に根ざしたポピュリズムの下地を作り出した。こうして国内的には、アメリカの一体性を担保していた「冷戦/ニューディール・コンセンサス」は1970年代にすでに消え去り、「文化戦争」の時代に突入していっていたわけであるが、冷戦構造の解体という国際環境の変容がこうした趨勢をさらに推し進めることになる。文化戦争の交戦主体であるキリスト教右派の観点に基づけば、国内では依然として世俗的快楽主義が、国際的には非道徳的な政治勢力が蔓延っている現代の状況を考えれば、「戦いは終焉したどころか、これからが本番だ」という認識になる(古矢旬『アメリカ 過去と現在の間』岩波書店, 2004年: 5章参照)。

1990年代以後のアメリカ政治・社会の軌跡は、アメリカの一体性を揺さぶり、ひいては分裂を引き起こすのではないかという予想を現実化する方向に進んでいるように思われる。2004年の大統領選挙において共和党(ブッシュ)と民主党(ケリー)の支持地域が見事なまでに赤と青で色分けされたことは、存在するのが1つのアメリカではなく、2つのアメリカであり、分裂という時限爆弾がすでに動き始めている印象を抱かせる。「2つのアメリカ」は、11月7日に投票予定の中間選挙において民主党が過半数を獲得したとしても、あまり影響を受けないだろう。むしろES細胞研究の推進を訴えるマイケル・J・フォックスのCMへの賛否、ヒスパニック系移民の投票に対する脅迫行為などや、また中間選挙と同時に全米37州で実施される住民投票の争点(同性愛や中絶容認の是非)に見られるように、「アメリカとは何か」というアインデンティティーの(再)確認作業、あるいはその決定権をめぐる争奪戦としての色彩が強く反映されている。

そしてこのような些か常軌を逸したようなアイデンティティーに対する欲望が時として暴力化する物質的条件が、アメリカ社会に氾濫する銃の存在であるならば、理念的条件として指摘できるのが連邦(中央)政府に対する懐疑主義、すなわち共和主義の伝統だといえる。小説においても、連邦政府が進める銃規制に対する反発が第二次南北戦争の開戦理由の1つであり、中央政府の恣意的な権力行使に対する自衛手段として銃の保有が権利として認識されていることは、紛争が生じた際に暴力手段による解決の衝動に駆られる背景を構成している。それは、超法規的な暴力行使としてリンチが紛争解決において一定の機能を担ってきたことに関係している(鈴木『性と暴力のアメリカ』、土佐弘之「世界内戦化とリンチ的暴力――『市民的』不服従のアソシエーションへ」『現代思想』32巻9号, 2004年: 175-181頁)。こうした近代の法規範の外側にリンチという別種の裁きが位置づけられ、20世紀に入っても公然と行われていたことは、「超歴史的/脱歴史的な近代啓蒙国家」(古矢: 215頁)でありつつも、近代の啓蒙主義の理念を否定するアメリカの特異性を浮き彫りにする。

また鈴木透の問題意識との関連で言えば、ニューオーリーンズを舞台にした小説終盤のストーリーは、性と暴力の交叉を描いた場面として読むことができる。第二次南北戦争のハイライト「ニューオーリーンズの戦い」で、「現代のジャンヌ・ダルク」ジョーン・メロリーの出現によって鼓舞され、合衆国側について最後まで抵抗の意思を示していたニューオーリーンズの戦線は、メロリーが「プレイメイト・ミス・ジュライ」だった過去を暴く写真によって一気に崩れ去る。その結果、連合国側はアメリカ南部をほぼ手中に収める。しかし連合国領内のほとんどが白人で構成される同質的な社会になったのとは対照的に、ニューオーリーンズは、黒人やヒスパニックが居住する多人種社会であり、また合衆国側に共感を寄せる住民も多数いるため、紛争の火種を宿した状態にある。そして森山とヴェロニカ、およびフランス人のファビアンの(意図しない)行為が介在することで、姦通罪で告発されたメロリーに対する宗教裁判当日に起きた爆弾事件が、「ニューオーリーンズの暴動」へと発展し、さらには停戦が破棄され、合衆国と連合国は再び戦争に突入してしまうことになる。とりわけメロリーを姦通罪で告発するニューセイント教団とネオKKKのつながりは、性をめぐる問題が、他者に対する怖れを喚起し、それが暴力の誘惑を掻き立てる循環を示唆している。

またファビアンが形容する「暗黒の中世」(269頁)としてのアメリカ像は、「紛うことなき想像の共同体 Imagined Community par excellence」として近代性の所産であり、その体現者でありながらも、十分に世俗化されていない宗教国家の側面を言い表している。それは、アメリカが近代啓蒙主義の申し子であると同時に、その鬼子でもあることを意味する。別言すれば、アメリカは、(ヨーロッパ)近代性の否定の上に、まったく新しい共同体を創造/想像することを目指していた意味で、建国時点においてすでに近代性の彼方を見据えていたといえる。アメリカを特異な、あるいは規格外の国家と表象したり、またその帝国性に着目する議論が説得力を持っている理由の一端は、ヨーロッパで醸成された近代性に対するアンチテーゼであることにアメリカの一体性、そしてアイデンティティーの源泉を見出すからだろう。また近代性を基準にして理解しようとするならば、アメリカが近代性を超えた存在であると同時に、近代性未満の要素を抱え込んだ存在でもある。この点をまさしく言い当てているのが「アメリカは成功したオウム真理教なのです。アメリカ合衆国というのは、恐ろしく巨大な『カミクイシキ』なのです」というファビアンの言葉だろう(365頁)。

最後に、アメリカ史において南北戦争が「国民国家的統合への戦争」(チャールズ・ビアード; 古矢: 53頁)という性格、つまり「帝国から国民国家へ」というベクトルを持っていたとされる。言い換えれば、南北戦争を契機として、アメリカは特異国家から普通の国家に転換しようとしたのである。しかしその試みはアメリカにおいて血肉化するまでには至らなかった。アメリカが(ヨーロッパ)国際社会に本格的に参画したのが20世紀に入ってからであり、しかも対象である国際社会自体も古典外交が機能する条件を失っていたこと、さらに「理念の戦争」としての様相が色濃い冷戦が到来したことは、ヨーロッパ流の規範に合致するような社会化が十分に作用することなく、アメリカを国際社会に招来することになった。そのため、アメリカは、「帝国への回帰」の衝動を払拭できず、その魅力に抗することに困難を抱えている。もし第二次南北戦争が現実に起こるとすれば、それは(第一次)南北戦争とは反対に、「国民国家から帝国へ」というベクトルが作用する転換点となる可能性がある。それこそ森山が最後に提案するように(439-443頁)、アメリカを5つの主権国家に分割し、ヨーロッパ流の勢力均衡に基づく規範を学習させることが必要かもしれない。
コメント   トラックバック (2)   この記事についてブログを書く
« list21 | トップ | 優勝の対価 »

コメントを投稿

knihovna」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

2 トラックバック

赤を攻める (南西部がすごくよかった)
色は濃い。黒っぽい色。香りはブラックベリー、チョコレート。味は渋味メインで余韻に渋味と甘味。シャトーブースカッセによく似た味だがあちらよりもさらに深い香りと重厚な味わい。肉料理等と合わせて飲まないと単独で飲むにはヴォリュームがありすぎて途中で飲み疲れる...
ミディ [2005] シャトーカンプラゼン (南西部をあげる)
インポータさんより今回、日本での始めての発売ということもあり特別に生産者さんから特別価格にて分けていただいたとの事。大変お買い得価格での販売になりますのでお急ぎください。通常価格1680円⇒1100日本入荷限定50ケースの限定品! プルーンやスグリのみなどの黒...