某の日々是好日

本来無一物。身一つあれば何とでもなる

本能寺

2018年07月15日 14時30分00秒 | 史跡めぐり


京都「本能寺」に行って来ました。

言わずと知れた「本能寺の変」の舞台。



本能寺の変とは、
天正10年6月2日、早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件。
信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自刃した。
2人の非業の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。
この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる(wikipediaより)。



けれど、ここは、あの本能寺であって、本能寺ではない!

「信長が自害した本能寺」は、元々、京都市中京区元本能寺南町にあり、今は「此附近 本能寺址」と彫られた石碑が建つばかり。
「現在の本能寺」は、本能寺の変後の天正19年(1591年)、豊臣秀吉の命により、京都市中京区下本能寺前町へと移転させられた。

とは申せ、寺内には「織田信長公廟」や信長の遺品を納める「大賓殿」等もあり、あの本能寺ではないものの、本能寺というジレンマ。



一度は訪ねてみたい場所でしたが、現地に立っても、思いを馳せることができない・・・。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。