おはようございます、こんにちは。
皆さんご存知の通り平成23年5月に児玉清さんがお亡くなりになりました。
アタック25の司会やテレホン人生相談のパーソナリティは定番です。
しかしゲーマーとしては大河「武田信玄」の飯富虎昌役が思い出されます。
そこで、児玉さん追悼の意味を込めて<GJ甲越軍記>をやってみました。
飯富虎昌もしっかり初期配置から登場しているので、活躍させてあげたいです。
第一回(天文十年~十二年)主導権=甲三
調略で望月盛時が甲に寝返り。
飯富は武田晴信と諏訪に侵攻。
甲軍は諏訪頼重を蹴散らし笠原清繁を降伏させるが、諏訪と佐久の支配に失敗。
勝利得点=越軍一
第二回(天文十三年~十五年)主導権=越八
飯富は武田晴信の先手衆として筑摩まで進出。
合戦では飯富の活躍で小笠原長時を敗走させ、高梨政頼を討取る。
一方で諏訪は越軍(と言うか信濃勢)に支配される。
勝利得点=甲軍三
第三回(天文十六年~十八年)主導権=越七
行軍数が多いので調略はなく信濃各地で戦いが繰り広げられます。
飯富は諏訪奪回に赴き、諏訪頼重らを敗走させます。
勝利得点=甲軍三
第四回(天文十九年~天文二十一年)主導権=越三
飯富は小県に進出し村上義清に睨みを効かせます。
合戦は更科、筑摩、伊那、諏訪で発生。
甲軍は信濃南方を固めました。
勝利得点=甲軍四
第五回(天文二十二年~弘治元年)主導権=越四
主導権はずっと越が握っているのですが…。
甲軍は信濃に進出するのは平原(一回に武将四人まで行軍可能)を通れます。
が、越軍は河川(一回に二人)を通る必要があるので、思うように兵力展開が出来ません。
しかし、長尾景虎の単騎突出などで更科、埴科、安曇で越軍三連勝。
川中島も越が支配します。
勝利得点=甲軍一
第六回(弘治二年~永禄元年)主導権=越五
飯富は更科奪回に進軍し更科を回復します。
一方、越軍は景虎主力が筑摩侵攻で支配地域数は変わらず。
勝利得点=越軍二
第七回(永禄二年~永禄四年)主導権=越四
調略では越軍優位とみた海野棟綱が越陣営に移ります。
飯富は小県に侵入してきた村上義清を迎撃するため小県に移動。
また、諏訪奪回に来寇した信濃勢は諏訪頼重が討ち死にし小笠原長時が降伏するなど戦力を一気に失います。
勝利得点=越軍二
第八回(永禄五年~永禄七年)主導権=甲四
やっと甲軍に主導権が来ました。
飯富は更科に進出し、北条高広、本庄繁長ら越軍と本格交戦(謙信は来ず)。
ここで越軍両将を討取り、一気に信濃の軍事均衡が甲軍へと傾きます。
勝利得点=越軍一
第九回(永禄八年~永禄十年)主導権=越五
飯富は埴科に移動し、屋代基綱や終始越軍陣営にいた真田幸隆を討取ります。
また、信濃西方は甲軍が安曇まで支配下に置きます。
勝利得点=零
第十回(永禄十一年~元亀元年)主導権=甲五
甲軍は越軍の進出を抑えるため、川中島に香坂昌信を先頭に大挙進出。
飯富虎昌は川中島背後の更科に控えます。
越軍は安曇に浸透するのがやっとでした。
川中島合戦は越軍大勝利(甲軍武将三名討ち死、香坂昌信敗走)しましたが、安積は越軍が支配失敗。
勝利得点=甲軍二
展開がはまると太平記システムは抜群の面白さを発揮します。
今回は武田信玄と上杉謙信の直接対決はありませんでした。
あまり武将を集めすぎると撤退が出来なくなって大変なのです。
飯富さんも武田勢主力の先手大将として存分に働きました。
児玉さん、安らかにお眠りください(また、大好きな読書を存分に堪能してください)。